2012年11月28日夕刻、山梨県甲府市で日本維新の会、石原慎太郎氏の講演があったそうです。
来る衆議院議員選挙で山梨県第一区から日本維新の会で立候補を予定されている候補の応援に来られたとのこと。
石原慎太郎公式サイト (「宣戦布告」とタイトルされていて URL もそれを使われています、URLだけで偽サイトと判断しないように) 先日はトップページに書かれていた記事ですが再確認したら、「暴走老人の決意」というメッセージがあります。この冒頭から引用します・・・全文はサイトでご確認ください・・・
私がこの度都知事を辞職し、有志の仲間たちと一緒に日本の政治をなんとか造り変えたいと決心したのは、さまざま理由はありますが、今年はすでに九十二になるある戦争未亡人の歌を聞かされたことも強い引き金になりました。
『この国のかく醜くもなりぬれば、捧げし命ただ惜しまるる』
総選挙が公示されてすぐに12月8日が来ます。この時、石原さんはじめ、日本維新の会の候補のみならず、全ての候補者が何を語るか、それに注目したいと私は思っています。
石原さんがこの戦争未亡人の歌に強く心を動かされたことは私も分かります。私は甲府に来て知った山梨縣護國神社や甲府連隊のことを何度かブログに書いてきました。今年は、鎮魂 山梨縣護國神社 8月15日でした。この時に知った玉砕の史跡についてもWebページで書きたいと思いながら未完です。山梨県出身の若林東一大尉と『後に続くものを信ず』についても知りましたが、この言葉に強く心を動かされました。若林大尉の遺志は戦時から戦後に続くものに違いないと思ったのです。
日本国がかくも醜くなったのは何故か。それを復興させるために将来再び「捧げし命ただ惜しまるる」と詠まねばならない人々を生むような国体に戻したいのか。
ここに書かれた石原さんのメッセージからは、それはわかりません。しかし石原さんがこの歌を契機として「宣戦布告」されたのなら、宣戦布告した相手、現行体制に勝利を得ようとする日本維新の会と、今後それに協働するであろう全ての政治組織が、どのようにベクトルの一致があるかどうかは、きちんと公表され、有権者も理解しておかねばならないと思います。子どもや孫の命がかかっているのです。
とかく「そもそも論」を避けて「そうは言っても現実は・・・」となるように私は感じるのですが、それではいけないのです。現実に合わせた部分最適化を続けたシステムは必ず破綻します。それに気付いたときに、新規蒔き直しで全体最適化から考え直したほうがよい、それはネットセキュリティとWebのあり方を学びつづけようとしている私がいつも感じていることです。