事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「下山事件」その2

2008-02-11 | 本と雑誌

Simoyama02 前号繰越

昭和24年(1949)7月5日朝、国鉄の下山定則氏が日本橋の三越本店から突然姿を消して大騒ぎになりました。その夜0時20分ころ、常磐線下り最終列車が足立区の東武電鉄との交叉点付近に差し掛かった時、近くに轢死体が転がっているのを運転手が発見します。遺体は下山氏と判明しますが、これが他殺なのか自殺なのか結局分からずじまいになりました。これを下山事件といいます。
当時国鉄は吉田内閣の指導の下、大量の人員整理を断行していた最中で色々な憶測が飛び交う中、捜査はまったく進展せず、迷宮入りになります。この事件の真相はいまだもって不明です。
この年国鉄がらみでは更に8月17日、松川事件が発生。松川駅で列車が転覆して3人の死者が出ています。この事件は当時共産党の陰謀だとされましたが、裁判の結果被告全員の無罪が確定しています。とにかくこの時代不可解な事件が続きました。

 森が会ったのは、事件に関与した(要するに殺害した)と予想される三越のすぐ近くにあった会社関係者の孫。アウトドア関係のライターをやっている「」。そっち方面が好きな人なら、名前をきいたこともあるかもしれない。「彼」経由で、当時その会社で働いていた大叔母の話を聞くうちに……

 この事件の背景にあるものは
A)GHQ内部の、ニューディーラーと呼ばれる日本国憲法を現在の形にしたリベラル派と、共産勢力の急伸に懸念を抱いた保守派の確執
B)アメリカの意を受けた(つまりCIAの手先になった)当時数千名もいたといわれる“日本人協力者”の存在
C)自殺か他殺かはともかく、この事件を共産主義者の仕業とすることで得をする層の意向
……などであり、森の追跡によって次第にこの事件の詳細が見えてくる。
しかし。
以下次号

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