その1はこちら。
日本テレビが中心になって盛り上がった超能力ブームに、冷水をあびせたのは週刊朝日だった。スプーンを投げる少年たちに黙って“別方向からのカメラ”で彼らの行動を撮影。ある少年はお腹にスプーンを押し当て、またある少年はベルトのバックルに押しつけてスプーンを曲げていたのだ。
こうやってインチキを見破られ、以降の人生を棒に振ることになったのが関口少年。しかし今もサイキックとして生き残っている人物もいる。清田益章だ。彼もインチキの現場を押さえられたにもかかわらず、なにゆえに超能力者の看板を掲げ続けていられるか。
「放送禁止歌」「A」「下山事件」と、宮藤官九郎に次いで「この1冊」で数多くとりあげている森達也の本業はドキュメンタリー専門のテレビディレクター。タブーに果敢に挑戦しているものだから、マスを相手にしなければならないテレビとは宿命的に衝突する。したがって、その経過を文にまとめることで問題提起を続けているのだ。今回彼が注目したのが清田だった。前号で彼が行ったパフォーマンスは、ある外資系化粧品会社のパブリシティのキャラクターとして清田を起用するための、一種のプレゼンテーション。このように、清田は職業として超能力者であることを選択し、生活を続けている。その要因はやはり目の前でぐにゃりと折れ曲がるスプーンの圧倒的な不可思議さだろう。わたしだって同じテーブルにすわり、間近でスプーンが曲がったら、畏怖し、そして超能力の存在を受けいれてしまうかもしれない。同じ専修大学文学部出身者として後輩を信じたい気持ちもあるし(笑)。
しかし清田がインチキをあばかれたのは事実で、彼もインチキを行ったことは認めている。現場に居合わせたある編集者は森にこう語っている。
「日本テレビにこっそり頼んで、スタジオの天井に清田の手許が撮れるように隠しカメラを仕込ませてもらったんです。結果は案の定でした。CMのあいだにテーブルの下で、清田はスプーンを手で曲げていたんです。」
清田はその理由として「スプーン曲げはいつもいつも成功するとは限らない。でもテレビなどで生中継されると、失敗が許されないというプレッシャーからトリックに頼ってしまった」と語っている。図らずも、自分から超能力とトリックの親和性を暴露しているのだ。はたして、サイキックとマジシャンの境界線はどこなのだろう。以下次号。
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