Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

石原慎太郎さんの残像と向き合う

2022-02-03 00:10:50 | 国際・政治

国会両院議員を歴任、作家でもあった 石原慎太郎・元東京都知事が逝去された。享年満 89。まずは謹んでの弔意を表したい。大学時代の 20代で早くも芥川賞を受賞。作家としての力量も天下に響くは承知しているが、恐れながら今回は割愛致し より良く知られた政界人としての軌跡に少し触れたく思う。

「重責を担い 大きな足跡を残された。寂しいかぎり」「太陽が沈んだ」「歯切れのよいリーダーだった」

「大きな衝撃で仰天。大ショック」「カリスマ性あり。時代を代表する政治家、言論人」「既成概念に挑戦し続けた政治家」

「政界で おやじのような存在」「存在感のある人だった。喪失感が大きい」

なるべく先入観を排すべく 発言者名は明かさないが、各界人から発せられた石原評の一部だ。どれもそれぞれに「かなり正論」だと思う。重責の自覚、リーダー・シップ、しがらみの様な既成概念から自由にならんとする姿勢、大変な発信力と表現力。功罪相半ばだった所もなくはないも、石原元都知事は「政治の力とは何か」という所をよく抑えて諸事に臨める方だったと思う。

一番思い出深いのは、旧民主党政権下で顕在化した 中国大陸との間で今も続く、沖縄・尖閣問題についてだろう。昭和後期の 1970年代初期から燻るこの問題が深刻化した 2010=平成 22年に、この問題を重くみた当時の石原都知事は 尖閣諸島の東京都保有を宣言、後の同地域国有化に道筋をつけたのは有名な所。日中間に尖閣周辺の領土問題は存在しないはずだが、中国大陸は 軍事力を背景にそれを難詰してきているのだ。

石原元都知事は 逝去の間際まで尖閣諸島に灯台や港湾設備の整備を促す様な発言をされていた由だが、外務省以下関係省庁は もういい加減に対中弱腰をやめ、尖閣周辺の保全により強い措置を構ずべきだろう。危険につき 出漁すらままならない現地漁業関係各位を速やかに救済すべきは当然だし、その実行が 亡くなられた石原元都知事への大いなる供養の一つにもなるだろう。数ある言及の内たる、自衛隊正規軍化への検討も課題にして良い。

もう一つ これは末尾の関連記事に譲る所もあるが、昨今の東京・羽田空港国際化の進展にも 石原元都知事の目立たぬ尽力があった様だ。首都圏上空の航空路に大きな影響あるも 普段は意図的に報道されない米軍横田空域の問題。その為に、羽田や成田など首都圏に発着する航空各便は 大きな進路の制約を受けている由。今世紀に入り、その米軍横田空域の一部が我国に返還されたのだが、石原元都知事はその交渉の先頭に立ち 部分的でも実現に至らしめたのである。本当に「政治の力とは何か、どう使えば良いか」を心得た方だった事の証左ではないか。

失敗もあった事は承知する。平成の不況期、金融各社の対中小企業向け融資渋りの緩和策として設けた 新銀行東京構想が不調に終わった事がその代表かも知れない。又 国レベルでも、おおよそ実現するとは思えぬ核兵器保有への言及など そのまま頂く訳には行かない所もそれはあったのも事実だろう。

しかしながら、政界人といえど「トライ&エラー」の機会を持ってよいのも事実。大きく国民の利益・・つまり国益を損ねでもしない限り、そうした試行は一定は許されるべきとも思われる。それを躊躇わず実行する勇気と思い切りも、石原元都知事の魅力の内だったかも知れない。そうした「失敗覚悟で試してみる」姿勢が他の我国政界人・・いや 国民レベルで欠けている事が、我国の沈滞した現在の大きな一因かも知れない。

時にキナ臭さを伴う大胆発言で 報道メディアを含む左傾側からの不興を買っていたのも事実だが、我々保守側の視点からはよく「左傾勢力の主張する反対が正解だ」ともされる様だ。石原元都知事は その辺りも一定は理解されていた事だろう。

それにしても、もう一昨日の事となる石原元都知事の訃報は 初めは受け入れられない想いがあったのも事実。第一報は、たまたま聴いていた民放 FMラジオにて、人気司会者 J・ヘイヴンスさんのアナウンスによるもの。「速報だな。石原慎太郎さんが亡くなられた模様」の一声に「マジか。信じられん」の想いが完全に先行していた。拙者は平成期から親しんだ ヘイヴンスさんの進行を疑っていた訳では決してない。石原さんの訃報が唐突過ぎたのだ。暫く経ってから拝見したネット報道記事で、ようやくその現実を受け入れられたという事だ。

繰り返しになるが、賛否ある軌跡は分かっている。その上で、石原さんの軌跡はやはり大きかったと心得る者だ。秀でた政界人として「何が一番大事か」を少なくとも一面ではよく理解されていたと心得る。それは複数の各界の方々が「我国が自立する事の大切さを、一番よく理解されていた」との評価にも表れている事と思う。

石原慎太郎さん、政治家としての良き軌跡を拝見できた事を 心より感謝致します。本当に 長らくお疲れ様でした。先に逝かれた 江藤 淳さん、佐々淳行さん、それに弟君・裕次郎さんらと 又ゆっくり語り合える事を祈念致しております。今回画像は 石原元都知事への弔意を込め、昨春仰いだ 霊峰富士の英姿を載せる次第。以下に 関連記事をリンク致します。(私的憂国の書様) 巨星墜つ ~ 理想の国家像を追い求めた石原慎太郎氏の死を悼む - 政治 (fc2.com)


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2 コメント

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Unknown (のん子)
2022-02-03 13:04:25
ほんとに残念なことでした。
あの時代によくぞ仰って下さったと思います。
なのにあれから余り進展していません。
改めて、御意思を継ぎたいものですね。
継承は大切 (HAKASE(jnkt32))
2022-02-03 22:51:09
のん子さん、今回もご見解を有難うございます。亡き
石原元東京都知事に対し、改めての弔意を表します。

賛否分かれの可能性ある 明快な政治姿勢を打ち出す
のは並外れた勇気が必要だったろうと心得ます。石原
元都知事は、それができた数少ない方でした。

仰る様に、癖はあれど分かり易く 実行力も発信力も
ある政治姿勢は、是非継承されるべきと拙者も思います。
後継名乗りの方々も何人かある様ですが、是非勇気
と大胆さある 石原元都知事のスタイルを受け継い
で頂きたいものです。まずは お礼まで。

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