Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

2015=平成27年5月回顧

2015-05-31 14:47:53 | 日記・エッセイ・コラム

今年5月も最終日となった。ここの所は、特に日中は真夏並みの暑さが続き、梅雨前にも関わらず、早くも熱中症や紫外線への注意を要する有様。もう何度も伝えられている事だが、適度の水分摂取や、余りの長時間日なたに出ない事など、これらの症状への基本的な注意事項を良く把握し、実行したい所であります。

今月は、前述の事が気候面の回顧だが、後は勿論内外共に色んな事共が続いた。まず先日の、九州・口永良部島の噴火。今月初めの箱根山の火山活動に続くもので、最初から危険な火砕流を伴った為、一時島民の方々の安否が気遣われたが、犠牲や重傷者を一人も出さなかったのは幸いだった。ここは昨年も火山活動の履歴があり、その折などの防災訓練が積極的に行われていた事が、今回噴火の折、迅速で安全な全島避難の実現に繋がった様だ。又、非常時の船舶運航のあり様につき、普段より国と自治体レベルで事前協議が行われていた事も、急を要する今回の様な場合には力となった様だ。今度の口永良部島噴火関連の防災活動は、これからの我国各地の防災行動を考える上で、大事な教科書になり得る。農林漁業が主な生業の同島にとって、残された家畜の世話や家財設備の管理などと言った重い課題が残ったのも事実だが、噴火当初の、島民の生命最優先の防災思想と行動は勿論最大限尊重されなければならないし、これから各地で必要になった場合も、不変の基準だろう。それは折しも、昨夜生じた首都圏を中心とする広域地震にての、高層建物よりの避難とか、交通機関の安全管理のあり様を考える上でも、形こそ違え、一定のヒントとなり得るかも知れない。政府与党の対応も、概ね評価できるレベルで、対応の遅かった昔と比べれば好印象だろう。

その政府与党、もう一つ大きなお荷物を抱えているのはご存じの所。例の、安全保障法制が国会審議入りしているが、所謂集団的自衛権行使の考え方などを巡り、両院通過は相当な難儀だろう。まあ旧来の日本国憲法に依拠する安保路線から相当に転換し、例えば緊急時在外邦人救出や、我国が多くを輸入に頼る原油の海上輸送路保安確保など、自衛隊が表に出る場面も確実に増える事だろう。勿論、それに伴う自衛隊各位のリスク抑制も図られなければならないが。日本国憲法による思考だけなら、個別的自衛権=〇、集団的自衛権=×みたいなそれこそ〇×思考も可能かも知れないが、同憲法にしたって、戦後の国際連合憲章の意趣に沿って制定されているのだ。国連憲章は、仮に自国が直接の攻撃に晒されない場合でも、同盟関係国が同様の事態に遭った場合には、やむを得ない事案に限り、原則国会の事前承認を得て、武備を伴う支援活動に限定的に道を開く集団的自衛権の考え方を否定していない。その事は当然ながら、同じ思想で制定された日本国憲法が、第9条と言えども集団的自衛権を全否定するものではないと理解するのが至当である。「戦争放棄」とは、先の大戦の様な、泥沼的に周辺国を不当に巻き込んで、多くの人的犠牲を伴って強行される大戦争の様な事態を否定する事であって、我国の尊厳を大きく損なう様な事態の進行を食い止める様な、正当な最低限の自衛行為まで否定するものではない。

この事に際し、安倍連立政権と野党勢力とは、当然と言えばそうだが、外見上は鋭く対立している・・・様に見える。それが「予定調和」なのかも知れないが。野党各党の質問姿勢は一部を除き、概ね挑発的で、中谷防衛相向けの質問では、特に攻撃的だった様だ。見かねた安倍首相、同防衛相へのフォローのおつもりだったのだろうが、質問議員へ向けた過剰反応が問題視され、謝罪要求も出された様だ。俺も報道で拝見したが、安倍大臣の一連の反応はどうも拙く、野党より「野次」と取られてもやむなしかとも思った。例えば「挑発名人」とも揶揄される、某女性議員の対防衛相質疑の折には「早く質問しろよ!」の様なお言葉がはっきり聞こえた。これは確かに拙い。もしこれが「質問を急ぐ様に!」位にしておけば、相手方も、野次扱いを諦めたのではないだろうか。又、安倍大臣の、難しい見解を迫られた中谷防衛相をフォローし、援護したいお気持ちは分るが、谷垣自民幹事長も仰った様に「各党には、挑発上手な議員もいらすので、そこは気をつけるべき」と言う事だろう。もしこれが、往年の首相だった中曽根康弘さんや東京都知事だった石原慎太郎さんだったら、こんな問題を起こしたりしなかった可能性もありかとも思うのだ。

中谷防衛相は、難しい質問を浴びせられて難渋されていたかも知れないが、そこは大人の対応で「とに角全てを任せる」と言うのがああ言う場面では最善だったのではと心得る。又、同様の問題に直面する岸田外相との連携や調整が上手く行っていたかどうかも、国会対策の見地からも検証する必要がありやしないか。「簡単に挑発には乗らない」方向での反省は必要だし、そう言う面よりの謝罪を早めに行えば、野党側もこれ以上は踏込み難くなるであろう。安倍大臣の善処を宜しくお願いしたいものである。その上で、できるだけ丁寧に、周辺国の理解をも極力得ながら、ゆっくり法制化を目指せば良いのではないか。西日本にて、こうした分野の良き協力者でもある橋下大阪市長が、先般の大阪都構想認否の住民投票で多くの支持を得られず、今任期限りで政界を退く為、これまでの様な助力が得られなくなりそうな所がやや残念だが、橋下さんは政治以外の所で力添えをして下さる予感がするのも事実である。

もう一つ、是非健全な実現を目指して頂きたいのが、納税者番号制度「マイナンバー」。ようやく来年初2016=平成28年1月実施に漕ぎ着けた。これまでは、諸税や社会保険料を巡る不正が横行し、その是正の為の切り札と言われた制度。実施に当たり、情報管理のあり方やセキュリティ確保が厳しく求められるのは事実だが、これまでがザルの様に抜け穴が多く、真面目な納税者等との格差が大きく、不公平税制と言うより、不公正税制の温床とされて来た現状が、ようやく改善へ向けて一歩を踏み出す。実施に伴う行政コスト抑制と並ぶ副次的な効果として、例えば先日、大阪府下にて生じた、心身耗弱者によると言われる殺人事件の様に、容疑者の犯歴を事前に明らかにできる可能性も指摘されている様だ。防犯に向けた、危険人物の把握にも役立つ可能性があろう。既に欧米では一般化していると言われ、我国では個人秘密プライバシーに固執する自称所謂「自由と平和」勢力の妨害によって、その実施が引き延ばされて来た。これ以上の延期は許されない。必要な安全策を施した上、予定通りの実施を望みたいものだ。

後は、W杯開催を巡る利権も絡む、国際サッカー連盟FIFAの巨額な不祥事が遺憾。詳細への踏込みは控えるが、世界中の子供や若者達に夢をもたらす大スポーツ行事の元締めが引き起こした事件だけに、徹底した実態解明と再発の防止に向けた強い取組みが必要だろう。先日の会長選挙にては、ブラッター前会長の続投が決まったが、世界のサッカー愛好者は、FIFAの改善への取組みを、注意して見守るべきだと心得る。最後に、拙趣味で気になる事を一つ。これも先週、九州・佐賀県下のJR線で起きた特急列車の衝突未遂事件。福岡・博多より長崎方面へ向かう下り列車が機器不調の為一旦停止。上り列車との行き違い駅を変更した上再発進するも、新たな行き違い駅の進路が上り列車待機側だったのに下り乗務員が気付き、緊急制動で辛うじて衝突をかわした件。原因は調査中の由だが、世界的高レベルを誇る我国の鉄道にあっては、決して生じてはならない事象であろう。「匠の技」で事故回避に尽力した関係各位のご努力を称えるのは勿論だが、国の関係機関は、是非ともこの事件の原因や詳細を徹底して調査し、再発防止の方策を強力に打ち出して頂きたいものだ。

今回画像は、当地東郊の安城市内で見かけた、初夏に色づいた田園の様子。作物は、多分麦だと思います。背後を過ぎる東海道・山陽新幹線の列車も揃いの「黄色」。あ、これ、設備監査中の試験列車「ドクター・イエロー」ですね。失礼

 

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「正義」の嘘 を読んで

2015-05-24 15:29:32 | 社会・経済

5月も下旬に入り、晴天の日中などは、些か真夏に近い暑さも感じる当地名古屋である。前日の天気予報は、朝方一時降られそうだったのだが、どうも良い方へはずれたらしい。先日は、隣家の火災で些かの被害を生じた、東三河の旧宅の修繕費の入金に行ったのだが、取り扱った某都銀の対応はお粗末なもの。当初、一旦は振り込みを受理しておきながら、担当された修理業者の社名登録に不具合が生じたとかで、その辺の確認を、あろう事かユーザーの我々に要求して来た。振り込み受け付けに際し、その受理の可否は、最初の段階で業者側の事共を調べて確認し、間違いない事を把握した上で、我々ユーザーに可能か、難しければその事情を明確に説明した上で通告するのが筋のはずであり、本来都銀の業務の内のはずだ。それを実行もせず、ユーザーに面倒をかけて丸投げとは、本当に都銀側の見識を疑い、かつ深い不快感を味わわされたものである。俺はこの所、住所異動や進路の事などで、複数の行政窓口にも通ったものだが、各部署の対応はまずまず良好で、IT化の威力もあって、処理スピードも以前よりは改善されている。それに引き替え、件の都銀の対応は、最近周ったどの行政窓口をも下回る拙劣さ。民業であるはずの銀行窓口の対応の質が、行政のそれに敗れ始めている現実を、とくと心に刻んだ方が良いのかも知れない。行員達の、顧客の血と汗の結晶たる現金や資産を預かる自覚が心もとない事も。俺はこの一件で、この都銀で開く予定だった口座の開設を見合わせる事にした。

さて話を変えたい。先日まで、報道家 櫻井よしこさんと著述家で雑誌編集も手掛ける花田紀凱(はなだ・かずよし)さんの共著『「正義」の嘘』を拝読して来た。昨年秋にも触れたが、全国紙 朝日新聞が、戦中の所謂慰安婦問題や、先の震災に伴う福島の原発事故に際しての、現場責任者の見解報道に正確を期さなかった事などにつき、少しでも公正な視点より、厳しい指弾をされた著作である。文面の進行には、社会学者 西尾幹二さんや西岡 力(にしおか・つとむ)さん、軍事専門家 潮 匡人さんらもご参加である。

文中、特に引っかかったのは、やはり所謂慰安婦問題に絡む報道の杜撰さ。当事者は、当時大韓民国・ソウル特派員だった元記者 植村 隆と言う人物と、当時の大阪本社企画報道室長 北畠清泰と言う人物。文面からは、この2人がどうも不適切な慰安婦報道の首謀格らしい事が理解できた。又、昨年この問題を検証した第三者委員会の人選も、決して公正な判断を下せる態勢のものではなかった事も指摘されていた。

もう何度も繰り返し強調されて来た事だが、正確な取材調査の裏打ちのない報道に、言論の自由を主張する権利などない。特に、前述の問題の様に、事が一国の尊厳や対外信頼に大きく関わる場合などは尚更だ。戦中の、未成年女子が慰安婦にされたのではとの話も、確実な根拠はない様だし、勤労動員された「女子挺身隊員」が慰安婦と意味を混同される様な杜撰さ。櫻井さんらのお話から、朝日報道が捏造に近い粗悪な状況で作られ、大韓民国の世論や同国メディアを大いに惑わせ、かつ我国にも計り知れぬ損害をもたらした事実が良く分ったものだ。

大韓民国内の、抗日歴史関係の施設には、「北」の拉致事件に遭って帰国、その後訪韓された著述家 蓮池 薫さんの記事にもある様に、我々日本人にはかなりインパクトのあるテーマも取り上げられている様だが、それらに留意するとしても、『「正義」の嘘』の記事にある朝日報道の不健全さが、ただでさえ難しい日韓関係が更にこじれる元凶となったのは否めない所。それと、福島原発事故に際しての報道態勢も、朝日は他紙に比べ、誤報に繋がる様な適当な対応が目立った様だ。慰安婦報道の問題については、外務省の対応もそれは好ましくないものがあろう。決して誉められない河野談話を良い様に利用し、例えば捕鯨反対勢力と対峙する時などの様に、必要な主張もせず波風が収まるのを待つ様な傍観者的姿勢で居るべきではないだろう。

この芳しくない報道の元凶 植村元記者は、名誉棄損を理由に櫻井さんや西岡さん、それに一部の報道メディアを相手に訴訟に打って出る様だが、弁護団の人数を聞いて呆れてしまった。何と総勢約170人だとか。深刻な凶悪犯、あるいは世界的大企業の特許や収益などを巡る大きな訴訟でも、弁護団は数十人位までが主だろう。一体、これだけの法曹人が個人訴訟の為に何をする必要があるのだろう。邪推かもだが、この内の相当数が、あるいはろくに専門的な仕事もせず、顧問料収入だけを得る、所謂「訴訟利権」と化していやしないか。更に、その為に芳しからぬ地下資金などが回っていないか、法務省や財務省は、こんな時こそ連携して、厳しい査察をすべきではないのか。ともあれ、今回の不良報道の問題を正面から捉えられ、提起された櫻井さんと花田さんの勇気と叡智には感謝の一言だ。又、助力を惜しまなかった潮さん、西尾さん、西岡さんらに対しても厚く一礼を申したい。

今回画像は、今春の拙写真帖にも載せた、新潟市内で目撃した蒸気機関車の模様。有名な「SLばんえつ物語」を担う高速機、C57型が重整備中とかで、群馬県よりその留守を預かる形で出張中のC61型機。天を目指す排煙が、怒りの狼煙に見えたのも事実。想えばこのメカ、先の震災で大害を被った福島県下の常磐線ゆかりの機材。同線復旧の暁には、復興した土地での全力疾走を拝みたいものです。P.S 今回の拙記事は、昨年9/14付の「大失態 三連発!も、必要に応じご参照下さる様。

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依存症を考える+α

2015-05-17 13:08:09 | 社会・経済

晴天の日曜日となった今日だが、当地都心の栄地区では、歩行者天国が実施されているとか。当然、JR名駅辺りなどの中心街は、どこも半端ではない人出だろう。こんな日はむしろ、居所の雑事などをこなして過ごす方が賢明かも知れない。勿論読書も有意義だ。

昨日まで、櫻井よしこさんと花田紀凱(かずよし)さんの共著「正義の嘘」を拝読していた。昭和末期の1980年代以来、決して適切な報道をされて来たとは言えない、戦中の所謂慰安婦問題につき、その不適切の元凶とされた朝日新聞の不健全な報道のあり様につき、社会学者 西尾幹二さんや歴史家 西岡 力さんらのご支援をも仰ぎながら、そうした所を信念を持って抉り出そうとしたご努力には好感できた次第。朝日は、先日閣議決定を見た総合安保法案に対しても、その成立を妨害せんと、例の偏向した報道を繰り返している様だが、我々はこうした所も注意して見て参る必要があるのだろう。「正義の嘘」の感想や、総合安保法案の事なども触れたいが、それは又近日に譲ろうと思います。

さて話は変わる。今、俺の眼前には何本かの酒瓶がある。和洋取り混ぜ、勿論それぞれに幾ばくかの酒気が入っている。この春先まで住んだ以前の居所では、今だから話すが土・休日は(毎週ではないが)昼から缶ビールの標準1本位はあおっていた。鉄道やバスなどで遠出した場合も又同じ。人によっては、休日は3食共酒気を伴う方もいらすやに聞くので、まあ良いかとの想いも一方にはあったのだが、両親の生活支援の為もあって現居所に移った最近は、それもやめている。これも聞いた所だが「昼間も酒気が恋しくなると、依存症の入り口だ」との指摘もあるらしいからだ。

あるネットの知友もこれを患った向きがあるのだが、その人物から聞いた所では、日割りにしてビールの大瓶1本、630ml位がやめられなくなると、依存症への危険領域らしい。薬を使わないと不安になる「薬物」、賭け事のやめられない「ギャンブル」、物を買う事に際限がなくなる「買い物」の各依存症もそうだが、自身は気にかけない内に、症状が進んで深刻化する所が、確かに怖いと言えるだろう。又、その症状が進んでも自覚し難く、周囲からの指摘で初めてそれと分るのも困った所だろう。

どんな依存症もそれぞれに難があるのは事実だが、特に「アルコール」と「薬物」は直に健康を左右する事と、中毒症状に陥ると、周囲を危険に晒しかねない懸念があるのも遺憾な所だろう。現に、これらが原因の殺傷事件や深刻な交通事故なども生じているのだ。こうした患者による事件事故から、どう被害者を守るかの法制の立ち遅れもさる事ながら、依存症の予防策もまだ十分とは言えない印象だ。

本筋からはそれるかもだが、その酒類の廉価販売を規制しようとする動きが、与党内にある様だ。表向きは、在来の小規模酒店を、大店舗の攻勢から守る為と言うのが名目の様だが、背後には、酒税収入の安定化を図る財務省の圧力があるのではとの指摘もある。又、規制法案提出を目指す与党側にも、来年以降の国政を初めとする選挙に備えての動きらしいとの話も聞いた。原価を割る様な不当な廉売は、確かに不健全であるのは事実なるも、行政権力による規制ばかりに寄りかかるのも又不健全な話だ。表題の依存症に陥らぬ為にも、進んで飲酒を煽ったりするつもりは勿論ないが、価格に関しては企業努力に基づく自由な競争を原則とし、不適当な動きには、公正取引委員会を間に入れての審査を厳正に行うなどの方法もあろう。安易に法規制に頼るのは、(全部が好ましいとは申さないが)最近の規制緩和の流れにも逆行するものではないか。

話が脱線してしまった。謝 しかしながら、結局の所「自らは、自らで守る」しかないのだと言う事だろう。まだ心身が安定しない未成年を、酒気や薬物に近づけない努力が求められるのは勿論だが、成人してからも、依存症への誘惑は尽きない。酒気などは普通に家庭内にもあるのだから、それは気をつけないと「気がついたら深みに嵌っていた」などと言う事態も考えられよう。そうした事態を招かない為にも、普段から自制できる事が大事だし、又家族を初め身近な人々に気付いて頂き易い環境を作っておく事も必要、と言う事を、明るい内から酒瓶を眺めつつ、ふと思った次第であります。

 

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大型連休回顧と今春の拙写真帖の事

2015-05-10 19:38:24 | 日記・エッセイ・コラム

今年の大型連休も終わった。有休をも含めれば、最大で15日連続可能だったが、それも今日まで。振り返れば、本当にその殆どが晴天に恵まれた当地愛知だった。雨らしかったのは、確か5/4(月)の「みどりの日」だけ。丁度恵みの雨とも言われる穀雨ともなった訳で、それはそれで良かったのではと心得る。後、今日は「母の日」。拙母も既に高齢だが、昨年暮れ以来の足の不調を少しでも援護すべく、親孝行の真似でもできればと思っている所である。
俺個人は連休前半、お陰様で少し遠出の機会を得、かねて参りたかった新潟磐越へ行って来た。現地も概ね晴天。これだけ連日天気に恵まれたのは記憶になく、有難い状況の下、つつがなく往来できた事に感謝致す次第。後半は各地の混雑を避け、居所近くをメインに行動して連休を終えた。

所で昨日、ロシア共和国では先の大戦の、対独戦勝70周年記念式典が行われた由。東欧ウクライナ国の帰属を巡って対立する欧米諸国と我国の首脳級が揃って出席を見合わせた一方、中国大陸の習国家主席は同じ戦勝国代表として出席、同国人民解放軍も、一部が軍事パレードに参加した模様。プーチン・ロシア国大統領は、中国大陸へのリップ・サービスのつもりか「独のナチズムと、日本の軍国主義に勝利した者同士」の意の演説に及んだらしい。又、習主席の面前で、ぬけぬけと「歴史の歪曲に立ち向かう」旨の見解披露には、本当に白けてしまった。これが先の大戦直後、我国に逆に侵攻して北方領土を不法占拠の上、戦後処理に向けた東京裁判にあっては、報復本意の不当な審判を主導した国の元首の言葉なのだ。これらの事より、同国が我国に対し、翻意したと見る事もできるのではないか。これまで、解決の可能性を匂わせていた北方領土問題につき、掌を返した様に、一切の交渉に応じない政策転換だってあり得るのだ。安倍政権は、年内にも同大統領を我国へ招きたい意向の様だが、この体たらくでは想像以上の困難が付き纏うのではないか。勿論、こんな見方が杞憂に終われば良いのだが。

さて、心配ばかりでもいけない。工事中だった、今年初より春にかけての拙写真帖「春を想えば~2015's」が一応の完成を見ましたので、下記に入口を記してご案内致す次第。恐縮ですが、ご意見ご感想あれば、拙ブログのコメント欄又は、ブック・マーク中の拙HPゲスト・ブックなどをご利用下さる様。各位ご多忙とは思いますが、折にご笑覧を下されば幸いであります。左下にある、☒マークからも入れます。  今回画像は、新潟県北部の名勝「笹川流れ」辺りの模様です。          


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憲法改正、まずは道造りを

2015-05-03 20:43:19 | 日記・エッセイ・コラム
今日5/3は(日本国)憲法記念日。現行憲法の制定を祝し、一部では真に立憲国家としてのスタートをきった記念日との捉え方もある様だが、それはちょっと適切を欠くだろう。戦前の大日本帝国憲法下だって、先の大戦などの一時期を除いては、我国は立派に立憲国家だった訳だし、先の深刻な大戦争への引鉄を引いたのは事実なるも、戦前の我国のあり様の全否定は決して好ましいものではないだろう。

その大日本帝国憲法は、形はどうあれ改正の手続きを経て、現行の日本国憲法へと変貌する訳だが、ここで一つ押さえなければならないのが「法律は生き物」と言う所だ。どんなに優れた前文や条項が備わろうと、国家の最高法規たる憲法にしても、時代に応じた見直しがされなければ嘘だろう。何かにつけて平和への大看板、第9条の見直し云々が話題になるが、戦後営々と築き上げた平和を尊ぶ戦後日本と言うブランドを、軽々に手放すべきでないのは勿論だ。全部ではないにせよ、先の大戦であの様な暴挙をやって、その反省で戦後は戦争と距離を置いたから、我国は諸外国の信頼を得て参ったのも事実であり、集団的自衛の面を含め、あくまでも最低限の自衛目的でのみ、法制や装備の整備をする姿勢は守り続けるべきであり、又その事を海外へ強く、正確に発信して行く国民的責任を負っていると強く感じるのだ。安倍政権が進めようとする、米合衆国との安保面での連携も、それは大事だろうが、大きく失敗しない為にも、同国に対し、できる事とできない事を正しく峻別して、理解を求めて行く姿勢も必要ではないか。
例えば、普天間に代表される沖縄県下の基地問題などの様にだ。

むしろ、日本国憲法の抱える問題は、平和条項と並んで護憲勢力より、まるでお経の経典みたく金科玉条の様に主張されて来た、基本的人権の権利間のバランスが適正か、又、多くの国民の幸せを左右する公共の福祉との整合性の取れた健全なものかを再検討する所に、多くが尽力されるべきではないのか。
例えば、犯罪人の権利が事細かに保護された為に、凶悪事件などでの犠牲被害の方々の立場が人道上十分に担保されない問題。近現代史と道徳の教育が不十分だった為に、今春目立つ、著名な寺社の設備が破損、汚損を被ったり、電子通信経由の遊興などの行き過ぎで、いじめや金銭的脅迫など、多くの人心荒廃を引き起こしている問題。そして、個人秘密の偏重の為に、その事を悪用する勢力による、高齢層の高額な資金資産を狙った特殊詐欺事件の多発、などなど。

こうした現代病的な事件に対しては、日本国憲法は何らの強制力も、拘束力も有しはしない。つまり、旧来の人権や古い自由などの観念に囚われる余り、全く手も足も出ないと言う事だ。護憲勢力は、何かと言うとすぐ「日本国憲法に瑕疵はなく、関連法規の整備で事足りる」などと言い逃れ続けて来たが、最早そんな手法も通らない所まで、事態は深刻化しているのが現実だろう。戦後の混乱期、不当性の付き纏う東京裁判を含む米合衆国の占領政策にやむなく従う必要が、当時はあったかも知れないが、70年もの間引きずる事はないはず。必要な所から改正を目指すべく検証や検討を加え、然るべき時に国会発議、国民投票を経て、真に日本国民の手による次の憲法の制定を目指すのは、当然のあり様と言って良い。
改憲の話題が出ると、一部左派野党などは「改憲の議論自体認めない」不良姿勢を露わにするが、これなどは基本的人権を尊重する姿勢が、本当はない証拠。色んな事共について、あらゆる角度よりの考察研究を許容する「学問の自由」への重大な脅威ではないか。

その一方で、やはり憲法改正は「国家百年の大計」。改正への道筋は、政権党側だけの閣議決定レベルではダメで、(話にならない)左派などを除いた政党横断レベルで十分に議論した後、国会に諮って正当な手続きで改正発議、そして国民投票へと持ち込む安全重視の姿勢も必要だろう。
安倍政権と、改憲の志を同じくする野党各党の想いは分るが、今日の明日改正が叶わなくても、この道程を確かにする「道造り」をまず行うべきだと心得る。弱い姿勢に映るかも知れないが、改憲への道筋を整え、明らかにする努力をすれば、次の世代はきっと理解してくれる事と思う。

先月末は、久しぶりで日本海側へ遠出する機会を得ました。新潟県下の少し山間にて、遅咲き桜と遠くの雪山、それをバックに決然と歩を進める蒸機の出発を捉えられる事に。今春、一度は捕捉を諦めかけた祖国日本の春模様です。
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