Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

「乗ってみたいリゾート列車は?」に答える

2017-10-17 20:28:38 | 旅行記
お題「乗ってみたいリゾート列車は?」に参加中!

コナサン、ミンバンワ!ここの所は雨がちの日々。来週初めに、南方の台風第21号が北へ抜けるまでは、秋らしい晴天は期待薄らしい。まあ「降られる」のは慣れているし、雑事にしても、雨天時にした方が良い事もあるだろう。本来なら過ごし易く、週末辺りは行楽などに充てたい所だが、空模様に関しては、もう少し先になりそうであります。

さて、衆院解散総選挙の期間中でもあり、又、依然不安定な朝鮮半島情勢、5年ぶりの共産党大会を迎える中国大陸など、内外の情勢に触れたいのは山々だが、先日10/14が「鉄道の日」だった事もあり、この辺で今回のお題「乗ってみたいリゾート列車」に答えておきたいと思います。

2011=平成23年春の、忌まわしい東日本大震災の惨禍を経て、前後して約 3年続いた旧民主党政権が終わりを告げた直後の 2013=同25中頃、本格高級リゾート列車「ななつ星in九州」が運転開始。これまでの、どの様な優等列車より遥か上を行く、個室寝台や食堂、ラウンジなどの豪華装備。行き過ぎたスピードを求めず、九州内の見所とじっくり向き合える、今までにないリゾート志向は高く支持され、続いて登場の「トラン・スィート四季島」 「トワイライトEXP瑞風(みずかぜ)」などにも、大きな影響を与えた様だ。最低でも 20万円代の高額な旅行費用さえ気にならなければ、どの列車にも、一度は乗ってみたい気がする所だが・・

出発地などから考えると、拙者が乗りたいのは、やはり「トワイライトEXP瑞風」辺りではと思う。前述の三列車に共通する高水準(ハイレベル)な装備と、乗務などの関係各位による、高次元な接客応対、経由地の見所を上手く押えた行程の組み立てなど、見聞だけで恐縮だが、どれも魅力十分と心得るが、やはり出発地が大阪又は京都と、拙居所から遠くない事が大きな理由ではありますね。

「トワイライトEXP瑞風」の車両は、基本的にはディーゼル気動車。「87系」と呼ばれる型式の様だが、走行系は、電気モーター動力も用いた、ディーゼル・ハイブリッドに近い構成の様だ。展望スペースを持つ、両端の先頭車と、編成の中央に位置する、食堂車とラウンジ車、計 4両が動力車。その前後に各 3両ずつ、都合 6両の個室寝台車が入り、これらはいずれも動力なしの付随車だとか。何よりも静粛さが厳しく求められる高級寝台車には、必須の条件であろう。関西対北海道直通で鳴らした、先代「トワイライトEXP」に続く、濃緑のカラーを纏った、合計 10両編成で、鉄道ファン的に表すと、4M6T編成。当面は、関西から日本海側・山陰地区の豪華周遊行程を担う事になる。

「トワイライトEXP瑞風」は、車両によっては、一車フルに一名借り切りにできる内装のものもあるとかで、費用面も、20万円代から100万円超までピンキリだ。拙者は勿論、一車借り切りまでもは望まない。一生一度は分っているが、乗る機会に恵まれるなら、最安値の所でも良いかなとも思う。又、昔ながらの開放式展望スペースがあるのも大いなる魅力。先頭時は立入が許されず、最後尾の場合のみは当然だが、それにしても、よくぞ認可されたもの、と感銘を新たにするものだ。

残念ながら、拙地元の JR東海社は、少なくともリニア中央新幹線が初開業を迎えるまでは、この様な高級周遊列車運行の予定はなそさうだ。営業エリアが、我国の中程に限られ、こうした特別列車の運行に向いていない事も大きな理由だと言う。これ以外にも、拙邪推も入りはするのだが、近年、静岡対山梨県向けの特急「ふじかわ」や、愛知対長野県南信向けの特急「伊那路」の運行を担う特急車 373系の需給に余裕が生じ、当面は、この車両の臨時、或いは特別列車への充当で間に合う事情もある様だ。電車の通えぬ、未電化路線向けには、特急「ひだ」 「南紀」の運用を担う、85系ディーゼル気動車の運用調整で対応できる様だ。

そんな訳で、表題の「高級リゾート列車」は、JR他社の便と言う事になるのだが、微かな希望がない訳ではない。最も出発地の近い「トワイライトEXP瑞風」は、前述通りのディーゼル気動車による豪華列車。これは、国鉄時代からの、積年の夢だったと言う事も聞いた。未電化路線にも入れるし、会社間の調整さえつけば、拙地元 JR東海路線への一定進出も期待できよう。春と秋の祭事がつとに有名な飛騨高山、紀伊半島一周などは、二社間のコラボがなければできない。乗務員各位の研修など、難しい所はあろうが、遠くない日に実現するのでは?と些かの期待も抱いているこの頃であります。画像は、先月下旬に捉えた、京都西方を西日本へ向かう姿。編成中 4両が備えるディーゼル・エンジン音は、思ったより静かだった記憶がありまして。

 

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我が心の寝台列車

2017-02-17 19:06:27 | 旅行記
お題「寝台列車に乗ったことある?」に参加中!

コナサン、ミンバンワ!内外は、東芝の経営危機や、トランプ米新政権の行方、それに北鮮の要人 金 正男(きむ・じょんなむ)さん不審死の事共などで騒然としている。拙方も、できる所でそうした事共に言及したい所だが、今回は、又も気になるお題「寝台列車に乗ったことある?」に少し答えようと思います。

寝台列車・・拙記憶が正しければ、我国では19世紀末の明治中期に関西と西日本を結ぶ山陽鉄道(当時。現在のJR山陽線)での運転が始まりだったと聞いている。蒸機時代の旧世代車両が昭和の終わりまで活躍、それ以降は、空調完備、居住性の良いエアサスの足回りを持つ、所謂「ブルー・トレイン」の天下となった。それと並行して、昼夜共に走れる、特急寝台電車も現れ、鉄路の夜の主役として、四国以外の全国で活躍したのは良く知られる所。

拙者が初めて寝台列車に乗ったのは、まだ餓鬼時分の高度成長期の頃で、その時の記憶は飛んでしまったが、十代の頃から後半生の近年まで、何度か世話になっている。十代の頃は、まだ旧世代の寝台車も多く残っており、とに角狭い三段式の寝台が、忘れられない所。幅はやっと横になれる50cm代、高さも低く、不用意に起き上がれば頭を打つ。これは勿論、旧二等のB寝台で、中には空調さえない車両もあったと聞く。暫く後には世代交代が進み、今様のブルトレ車両に置き換わって、まずは幅方向、次に高さ方向と、B寝台の二段化が進んで改善されて行った。

国鉄がJRに移行した平成期には、一部個室の寝台も現れ、首都圏又は関西対北海道を結んだ「北斗星」 「トワイライトEXP」 「カシオペア」がつとに有名だったが、拙方は、数年前まで当地も通った「はやぶさ」のB個室に乗った事がある。格上のA個室に比べれば、それは狭いが、何と言っても施錠できる事で、安心感が違った記憶がある。個室寝台は、前述の各列車以外でも設定がある様になり発展が期待されたが、後述の理由もあって、今ではほぼ消えてしまったのが残念な所。それと、個室でない普通の寝台で良かったのが、電車の寝台だろう。これは特に、下段の居住性が広くて優れ、過日滋賀・米原から新潟まで乗った急行「きたぐに」では、広いA寝台の下段に、当時小児だった親族と「雑魚寝」で夜を過ごしたのも良き思い出だ。

多くの各位に良い記憶のある寝台列車だが、特に今世紀に入ると衰退が目立つ様になる。実は、夜行列車の減便は、山陽新幹線が博多まで伸びた、昭和末期辺りから始まっていたのだが、今世紀からは、九州方面から廃止が始まり、数年前には東京~九州間、更にその後、日本海縦貫線や首都圏~北海道線区からも退き、今や首都圏と山陰・四国を結ぶ「サンライズ」二列車だけの様だ。

背景には、広く知られる様に、空路と新幹線の延伸と拡充、ビジネスなどカジュアル系ホテルの展開と価格革命、更に、高速道延伸に伴う、長距離高速バスの台頭が挙げられる。ホテルもバスも、賃料は鉄道の寝台より安価で、しかも居住性もまあ納得と来れば、これまでの寝台列車は、退場を余儀なくされると言う事だろう。

新しい高級リゾート志向の「ななつ星in九州」 「トラン・スィート四季島」 「トワイライトEXP瑞風(みずかぜ)」と言った、新世代寝台列車の勢力も現れてはいるが、高級志向とあって料金面が高いのと、それにも関わらず、少なくとも向こう数年は希望者多数で抽選となり、乗車機会も希少な様なので、これからは、我々庶民にとっては、雲の上に近い存在になりそうなのが、やや残念。「サンライズ」の二列車も、十年後見込みのリニア中央新幹線開通の折には確実に姿を消しそうなので、次の寝台列車のあるべき姿を、乗る側も走らせる側も、本気で模索すべき時かも知れません。画像は、昨春まで運転されていた「トワイライトEXP」の模様です

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ちょっと南紀へ行って来た

2015-08-24 13:27:55 | 旅行記

今回も、更新が一日遅れとなってしまった。謝 なるべく毎週日曜に更新をと思ってはいるのだが、これからは、諸事情により月曜辺りに行わざるを得ない事ともなりそうです。

大阪府下にては、大変遺憾な二中学生の不審死・死体遺棄事件が生じ、福島県下へ原発事故処理に赴いていた40代の男性容疑者が逮捕されている。盆休みの未明、自身の乗用車に被害者達を乗せた事は認めるも、殺害と死体遺棄は否定している模様。ただこの人物は、今世紀初め辺りより、未成年者を相手に悪質な傷害並びに金品奪取を繰り返しており、大阪府警には、厳正な捜査と取り調べを敢行願い、完全に罪責を明らかにして欲しい。容疑者は、自身に有利な弁護人が付けられるのを待っている節があり、今後の裁判にても、不明朗がなき様万全を期して頂きたいものだ。複数が斃された以上、死刑が想定される事も留意したいが、とに角重罪に見合った厳しい処分が下されなければならない。それが、斃された二名の犠牲者への弔意だろう。それを踏まえながら、再三に亘り、犯行を繰り返した容疑者への監視と警戒が十分だったか?未成年にも関わらず、夜間安易に外出した所見られる被害者とその保護者各位にも油断がなかったか?改めて丁寧な検証と、再発防止への強い取組みが求められるだろう。何よりも、一番悪いのは、我々国民市民の無関心だ。それが長らく漫然と続けられたツケが、今回最悪の形で回ったのだろう。落命した中学生達は、その犠牲となった一面も大きい事を、我々は肝に銘じなければならないだろう。

海外にては、又かとも思わせる、朝鮮半島の緊張が挙げられよう。相変わらず何を考えているのか分らない「北」の金 正恩(きむ・じょんうん)政権。触雷と思われる原因で、大韓民国兵二名が深手を負った事故をきっかけに、今回の緊張は深まった様だ。韓国側の対抗措置にすぐ激昂し、軍事対応をちらつかせる手口も毎度のものだろう。基本は韓国の内政問題につき、冷静に見守るのが最善だが、不穏な動きを見落とさない様にする最低限の心がけはやはり必要だろう。

もう一つ、今日の日中、国会参院委員会にて、新党改革代表 荒井弘幸さんが安倍大臣向け質問の席上指摘されていた事だが、先の大戦終結に際し、旧ソ連邦 スターリン執行部は、我国降伏のきっかけとなった、ポツダム宣言文中の「全ての我国軍関係者は武装解除の上、平和安全裏に各自の家庭に帰れる事とする」の規定を無視して数万に及ぶ我国同胞を不当に拘束、酷寒のシベリアに抑留した事がはっきりした(同宣言受諾後の1945=昭和20年8/23付で拘束)。こんな事で、現ロシア政権が事ある毎に発する「先の大戦結果を認めるべき」などと言う低能な主張など受け入れられるはずがない。現在もロシア要人が滞在する北方領土問題共々、この史実への国民的憤りを新たにしたい所でもある。

さて恐れながら、俺は先週末、実家の状況の合間を見て、南紀辺りへちょっと足を延ばして来た。全国のJR社が学休期に発売する「青春18きっぷ」を利用し、主に各停列車を乗継ぎながらの行程。花火で有名な、熊野辺りまでは到達叶わなかったが、その手前の尾鷲市内をメインに、久々にちょっとの息抜きができたかな?と言う所です。

熊野と言えば、先日行われた毎夏の「熊野大花火」と風光明媚な海岸 七里御浜、それに世界遺産にも登録された熊野古道が知られるが、これらの見聞は残念だが又次回と言う事になりそうだ。特に七里御浜は、今朝のTV報道で初めて知ったが、地元では「天国に通じる砂浜」と信じられ、それを実践すべく、不帰の旅に就いた修行僧も少なくなかったと言う話も聞いた。又、熊野大花火も祭祀の一方、亡き地元の方々を弔う儀式の面もある様だ。毎回、大変な人出の様なので、存命中に見られるかと言う所もあるが、まあ機会あれば是非とも思っている所です。

今回画像は、尾鷲市の大曾根浦公園付近から臨む尾鷲湾の様子。この南方が、七里御浜へと繋がると言う事ですね。拙20代の頃までは、海水浴や海釣りなどで親しんだものだが、もう今は眺めるだけの海です。

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祖父江にて

2013-12-01 23:56:52 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!2013=平成25年12月も、拙ブログを宜しくお願い致します。

先日より、天皇・皇后両陛下がインド共和国へご出張中だ。皇太子時代、ご成婚直後の1960=昭和35年より、半世紀ぶりのご訪問。当時も、都市部のみならず、農村などの郡部へも分け隔てなくお越しになった事に、当時のインド国民の方々は感銘を受けたやに聞いている。その高潔な姿勢は今回も変わらず、引き続いての敬愛を受けられているのは誇らしい限りだが、両陛下とも既にご高齢。どうかくれくれも無理のないご行程をお願いしたい。

さて、俺の方は昨日、勤務先絡みの用事で郊外の一宮市へ参ったのだが、その道すがら、やや時間に恵まれたのを良い事に、ちと寄り道をして行った次第。

「そうだ!祖父江行こう」。本当は良くないとは思いながら、俺はまず、今は「平成の市町村大合併」で稲沢市内となった、旧中島郡祖父江町へ向け、車を走らせた。ここは今、名物の銀杏が見頃となり、訪れる方々も多い様だ。土曜が祝日となった先週程ではなかった様だが、それでも公設の駐車場は相当に混み合っていた。銀杏の見所は周辺に散在している様で、本来の用事の途中だった事もあって、1時間弱の滞在時間でしかなかったが、少しは画像を残せたかなと言う所。

想えば、この土地へは、甥が生まれるまで、拙父が写生の為一時訪れていた事もある様だ。都市部の印象が先行する同じ当地愛知にあって、まあ牧歌的なのんびりした印象も残るこの土地で、父はどの辺りで描いていたのか、又、どの様な情景を追っていたのか、いずれ日を改めて、探ってみたい思いが過るのも事実。又、この後訪れた、一宮市内の拙勤務先の関与先の方のお話では、当然の事ながら、良質の銀杏の実が多く獲れる由。それも又、この土地が人気を呼ぶ理由の一つの様だ。添付画像は、その折の一場面であります。

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森林鉄道催事に行って来た

2013-10-20 12:37:35 | 旅行記

久し振りで、雨の日曜日となった。今朝、若干の買い物が必要となり外出した他は、ここまで主に在宅にて過ごしている。夕方、実家への往復予定だが、明日より又出番。なるべく疲れを取っておきたい所であります。又、悪友達や日頃お世話になっている医療関係各位の勧めもあり、今週後半、大腸健診を受ける予定もある。又も南方にては、大型台風が我が本土を窺っている気配があり、荒天にならない事を祈りたい所だが。

明日から臨時国会。この折に、過日も触れた国家特定秘密保護法制に関する案が審議される運びだが、条件付きながら賛成の俺としては、同盟国とのより良い外交面の連携が望める、適正な集団的自衛権の行使に道を開く事と共に、是非成立、それが無理ならせめて継続審議に持ち込んで頂きたいと願っている。左派野党や護憲的法曹専門家の勢力より、反対意見が相次いでいる報にも接するが、連中の見解は、正直な所、戦後すぐより何も変わっていないのが実情ではないか。高度成長の頃の冷戦時代より、国際情勢は又変わり、最大の同盟国米合衆国を初め欧州、そしてアジア圏との向き合い方も、時代の変化に応じて見直しが行われなければならないはずで、その為に外交安保上、少なくとも当面は非公表としなければならない事項はどうしても存在する。国際関係の健全な維持発展の為にも、必要な秘密が守れないとあっては、我国の対外信用は地に落ちてしまい、国家としての存続すら危うくなるだろう。例えば数十年後を目途とした、秘密事項の原則事後公開のあり様も考えなければならないが。国民の「知る権利」やメディアの報道権との整合も、それは必要だろうが、短い期間でそれらをクリアし、強い姿勢にて法制化して頂きたいものである。「話にならない相手」はどこまで行っても話にならない。時間は限られるだろうが、少しでも必要性を認める民主、公明、維新、みんなの各党と、議論を煮詰め、より説得力のある取り決めを願いたいものである。

さて話は変わる。今月初の事だが、岐阜の悪友よりの情報を受け、長野県下は木曾町辺りに広く展開していた、旧木曾森林鉄道の保存行事を覗いて来た。1916=大正5年に初開通したこの小柄な鉄道線は、現在の農林水産省の外局、林野庁所管の複数の営林署による、国有林の木材搬出の為に建設されたもので、昔の筏流しによる運材より格段の輸送力向上をもたらし、山林開発に弾みをつけたのは良く知られる所。又、筏流しの様が、有名な民謡「木曾節」に歌われているのも有名な所であります。

創始期には米合衆国より、所謂軽便鉄道規格の小型蒸気機関車や貨車などが輸入され活躍。昭和期に入っては、我国の工業発展に伴い、木材輸送用のディーゼル機関車や運材貨車、林野職員の巡視の為の小型ガソリン動車、正式な営業ではなかったものの、地域住民の便宜を図っての乗用客車などが増車され、先の大戦中の苦難を越えて、戦後の高度成長期まで良く頑張ったと言う所だろう。高度成長期を過ぎると、我国の山間でも道路整備が徐々に進み、又、性能の良い大型トラックの開発普及に伴って、森林鉄道は使命を終える事となる。営業終了は1976=昭和51年で、丁度60年の歴史を積み重ねた事になる。

20世紀終盤になると、一度は廃れた森林鉄道を、地域の観光資源として生かそうとする機運が高まり、同じ木曽町内の赤沢森林鉄道が1987=昭和62年に観光路線として、冬場以外に一部の路線が再開している様だ。今回参ったのは、赤沢森林より少し離れた旧大滝森林鉄道の一部だった所で、国道19号沿いの木曾町の中心部よりやや西に入った所にある。現状は3年に一度の公開だそうで、廃止前現役だったガソリン、ディーゼルの各車両のデモ走行や人数限定の体験乗車会、史料展示や地元特産品の販売などもあって、親子連れや鉄道愛好者をメインに中々賑わっていた。ご存じの方もあろうが、木曽路は雨の風情も中々で、出かける前は、俺も「木曾なら降られても仕方ないか」と思いもしたものだが、開けてみればまず上々の秋晴れ。悪友と共に、日頃の行いがまあ良かったのが報われた形で、概ね良い気分で見物ができたと思う。これは、当日訪れていた各位の、無理のないまずは良好なマナーに支えられていた所も大きいだろう。この様な催事がこれからも維持され、まずは毎秋、そして赤沢森林同様、冬場以外の通年動かせる様になれば良いと愚考する次第である。

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