Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

この雨は、こんな風に聞えるⅣ

2008-06-30 00:02:34 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ!今年2008=平成20年6月も後僅か、よって今月の拙ブログも最終回と言う事か。Cafe表日記にても記したが、当地は昨夜より梅雨本番の雨。明日は一応天候が回復しそうだが、どうも梅雨空は今一信用ならないものがある様だ。一応傘を持って出かけた方が良さそう。

さてこれも表日記に記した事だが当地の名物電車、名古屋鉄道パノラマカーが遂に一昨日付けで主戦の座を降板した。思えば1961=昭和36年に初登場以来最盛期には240車以上の勢力を数えた同車も経年と省エネルギーの時勢には勝てず、平成期に入ると徐々に勢力縮小へと向かわせられる。今世紀初頭に約半分まで、昨2007=平成19年春にはほぼ3割まで減少し、遂に残党も事実上の戦線離脱と相成った。ここで最後まで残ったパノラマカー編成の事を、俺なりの視点でなるべく詳しく記してみたい。

パノラマカーの基本仕様は表日記にても触れた様に、原則前向き着座のクロス・シートで1車につき片側2か所の乗降扉付近にのみ、通勤通学に適したロング・シートが配されていた。基本編成は展望式先頭2両、中間4両の計6両で、最後まで残ったのは以下の3編成。()内は先頭車の車番。①第2編成(7003~7004) ②第4編成(7007~7008) ③第10編成(7019~7020)。基本編成維持組は昨日までに全て運用離脱してしまったが、この内 ③はこの5月、名古屋鉄道名古屋~豊橋間開通60周年記念の臨時列車に充当されていた。ある愛好の方の話では、6両編成中では②が最も車両状態が良好の由で、昨日の離脱後も予備編成として残されている様だ。来月後半に予定との噂があるお別れ運転までは保留されるのだろうか。

後本線対支線への直通運転向けに、先頭、中間共各2両の4両編成も後年配備され、以下の6編成が最後まで頑張っていた。①第1編成(7001~7002) ②第6編成(7011~7012) ③第13編成(7025~7026) ④第17編成(7033~7034) ⑤第21編成(7041~7042) ⑥第22編成(7043~7044)。各編成の仕様の詳細は割愛するが、前後の逆富士形の行先表示盤は6連組が自照式のつまらない後期型であるのに対し、4連組には人手にて表示を変える本のページ式の原形が多く、終点にてのこれの表示替え作業を、途中駅での高層運転台にての乗務員交代と共に、重点的に捉える愛好者もあった由。

さて今後は大幅に勢力縮小を余議なくされるパノラマカーだが、現時点では4両編成が3隊残るらしい事が判明した。編成番号は上記の②、⑤、⑥が残留の模様。名古屋鉄道HPによると、今後はパノラマカー独自の時刻や車両運用の設定はせず、他の通勤車両などとの共通使用となる為に、今後はその雄姿を拝む機会は確実に減少するであろう。これも省資源など時代の要請とあってはやむなしであろう。

とに角今は、引退するこの名車に対してその功労と軌跡を心より讃え、又今暫くの続投各車に対しては、今後の日々のつつがなきを祈りたい所。下記アドレスは関連動画で、パノラマカー独自の音楽警音もお聴き頂けます。と言う所で、ラタ、マイ月・・・。

http://jp.youtube.com/watch?v=MzaSt3-3KcM 

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名物電車、終章へ・・・

2008-06-29 16:51:00 | インポート
梅雨本番の雨の日曜日です。昨日午後より大阪へ出かけ、先程帰宅した所です。どうもこの雨、明朝まで残りそうな気配です。

さて、拙写真帖にても時折取り上げて参った名古屋鉄道の名物電車パノラマカーが、昨日遂に経年の為長らく守って来た主戦の座を降り、後輩や新鋭の車両達に後を委ねる事となりました。高年式を中心に若干の車両の残留はあるものの最早隠居の立場。今までより頻繁には見られなくなりそうで、それも後約1年位の様です。

名古屋鉄道パノラマカーは正式名称7000型と呼ばれ、初登場は1961=昭和36年夏の事でした。基本仕様は原則前向き着座のクロス・シートで乗降扉は各車共片側2ヵ所。基本編成は展望式の先頭2両、中間4両の計6両であります。後年名古屋地区より支線への直通運転に適した先頭、中間各2両の計4両編成も配備される事となります。
当時同鉄道の主要路線である豊橋~岐阜間にてはライパルの日本国有鉄道の新幹線は未だ開通前。在来線にしても特急「こだま」「つばめ」「はと」などは電車列車により高速化し始めていたものの急行以下の多くは電気機関車牽引の客車列車も多く、この路線にていかに優位に立つかが課題だった様です。
又自動車王「トヨタ」の本拠地を控えて当時黎明期だった我国の自動車普及=モータリゼーションへの強い対応も必要だった事でしょう。

パノラマカーはその様な情勢下、名古屋鉄道では初の完全空調完備、そして高い走行性能と居住性を両立させた空気ばね=エアサスペンションを標準仕様とし、かつ最前部の運転台を屋根上に設けて本来運転の方がご着席になる位置をも客席として、眺望の良さと安全確保の両立が図られました。この為幼少の頃、私が同車と初対面した時には「まさか!客に運転させているのでは?」との錯覚に囚われたものでした。笑 勿論、厳しい安全が求められる鉄道の世界にて、そんな事はあり得ない訳ですが。
後この車両は「ミ~ド~ラ~・・・♪」の音階にて始まる独創の音楽警笛を標準で備え、そのユーモラスな音色が多くの愛好者を魅了して参りました。

些かマニアックな話にて恐縮なのですが、技術面ではやはり難題が数多くあった様ですね。
特に高い走行性能の実現の為、編成の計6両、あるいは4両全てが電気モーター動力を持つ所謂全電動車方式(鉄道会社内や愛好者間では、オールM方式と呼ばれる)での構成が決まり、床下の機器類に余裕がない為、接客上欠かせない(客室窓がはめ殺しの為開閉できない)空調機器の搭載をどうするかで関係各位にはかなりのご苦労があった模様。当時は今の様なハイテクの時代ではありませんでしたので尚更でしょう。が、しかし・・・。
1959=昭和34年、パノラマカーの前に登場した特急車両5500型がやはり同じ全電動車式の構成により完成。
この折空調機器がある程度の小型化を果たして動力車であっても搭載できる事が判明。続くパノラマカー登場へ弾みをつける事となります。
5500型は先発だけあってさすがに足回りはエアサスとは参りませんでしたが、電気システムはパノラマカーと同じ為、同車が不運にも事故に遭遇して修繕のやむなきとなったり、重点整備などで片側の展望車が何日も編成から抜ける時はその代役として、パノラマカー編成に加わる姿も時折見られました。先頭は従来と同じ通路付きの半流線型。窓は開閉可能で気になる外装は上半身桜色、下半身は小豆色の2色だったと記憶しています。因みにパノラマカーは全国的に良く知られる鮮やかな赤一色。これは当地の名画家だった杉本健吉さんのご発案だった模様で今では一部を除き、名古屋鉄道車両の制式色となっています。

その後も、仲間を増やしたパノラマカーは弟分の改良型7500型など勢力を広め、最盛期の1975=昭和50年には240車以上の大勢力へと成長しましたが、前世紀末の1998=平成10頃からは経年による引退が始まります。
引退の理由はこの他に
①やはり全電動車式の為重量がかさんでしまい、多くの電力が必要。
②車体素材に有害なアスベストが含まれている可能性大。その為適当な時期に引退が至当。
③片側2ヵ所しか乗降扉がなく、かつ前向きのクロス・シートの為朝夕ラッシュ時の乗り降りが煩わしく、列車の定時性に支障を生じる事が度々あった模様、などが挙げられています。

それはさておき、思えば同車先頭の展望席には我が幼少の頃の良き思い出が沢山載っており、それらは今も走馬灯の様に蘇って参ります。
惜別の念があるのは事実ですが、省資源と環境保全への対応が急務となった時代の変化の絡みで引退やむなしであるのも事実ですね。

ここは同車のほぼ半世紀に亘る功労と輝ける軌跡を讃え、心より一礼したく思います。
お疲れ様、パノラマカー。夢・喜びを、有難う。
(今月の拙日記は、以上です。尚拙ブログ「トイレの雑記帖」中の「この雨はこんな風に聞えるⅣ」にても関連記事を載せ、末尾のアドレスにてパノラマカーの動画と、独特の音楽警音をお聴き頂く事ができます)。


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ユートピア思考をやめよ

2008-06-25 23:09:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!梅雨本番。当地名古屋も降雨前の蒸し暑い天候となっています。

先月も触れましたが、裁判員制度発足まで後1年を切り、国民世論の支持不統一や法曹界の準備不足を理由に、この制度への反対論や延期論も根強く残っています。何よりも、一般国民による裁判員が、被告人に対し公正に「死の宣告」をせざるを得なくなった時にそれができるか?私も大いに疑問に思う所です。

その一方で、先般日本弁護士連合会により、終身刑制定を目指す意向が明らかにされました。今後相応の期間をかけて議論を行い、犯罪被害者や遺族各位の感情を十分に斟酌の上、受刑者に対する公正な施行が確約されるのであれば私も支持する考えはありますし、遠い将来の死刑廃止へ向けた一歩として、評価も可能かと思います。但し・・・
一部で主張される、拙速な死刑廃止への言動は断じて支持できかねます。

今夜は先日勤務先の上司より拝借した西日本発の全国紙、S新聞の1面記事を引用して話を進めさせて頂きたく思います。同紙はまず、先週死刑執行された1988=昭和63年より翌年にかけ東京都近郊にて生じた連続幼女誘拐殺人事件の犯人について取り上げています。(氏名のみ匿名)

『もう45歳のネズミ人間になっていたのか。一昨日、昭和と平成をまたいで全国を震撼させた幼女連続誘拐殺人事件の犯人、M死刑囚の刑が執行された。26歳の「おたく」青年は、逮捕から20年近く生きながらえたが、殺された子供たち4人はかわいい盛りで時計が止まったままだ。

H法相は、就任以来13人の死刑執行を命じた。平成では最多の執行数とあって「H法相は、ほぼ2カ月おきに死刑を執行し、ベルトコンベアーのごとく処理している」とかみついた国会議員の集団がある。

S・K氏が会長を務め、K・K、F(女性・某野党々首)両氏といったおなじみの面々も名前を連ねている超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」だ。S・K氏はH法相を「法相の資格もなければ、人間の資格もない」とまで口を極めて罵ったことがあるが、正義は同法相の方にある。

刑事訴訟法第475条は、死刑が確定すれば、法相は再審請求が出ているときなどを除いて6カ月以内に刑の執行を命令しなければならない、と定めている。宗教上の理由などから在任中、死刑執行の命令を1度もしなかった法相が何人かいるが、彼らこそ法律違反者だ。

神ならぬ人間が人間を裁き、死をもって罪を贖わすのはいかがなものか。国家による殺人だ、という死刑廃止論者の理屈は一見、もっともに見える。だが、凶悪犯の衣食住を保障し、国民の税金で一生のうのうと過ごさせることが社会正義にかなうはずがない。

2年前に刑が確定した元O真理教代表、A死刑囚もM死刑囚同様、自ら罪を悔い、被害者遺族に謝罪する可能性はゼロに近い。欧州連合EUでは死刑を廃止しているので日本も、という出羽守(でわのかみ)はさっさと文明の都、パリあたりに移住されてはいかがか?』

S抄 2008=平成20年6月19日付

この文面を、皆様はどうお感じになりますか? 私は若干の語弊はあるものの、凶悪事件に斃れた犯罪被害者及び遺族各位の感情に良く配慮した、妥当な見解であるものと見ています。現状の死刑制度を肯定し尊重する一方で、S紙は最近の終身刑制度模索への動きをも否定せず、冷静に受け止めている様に見受けられます。将来へ向かっては、条件さえ整えば死刑廃止へ向けた動きに対してもやぶさかではないものと思われます。それに引き替えH法相を平然と「死に神」呼ばわりした全国紙A新聞の不見識と非礼には、本当に唖然とさせられたものでした。

顧みるに死刑廃止派の動きの拙速さは目に余るものがある様ですね。
先月も東京都内にて廃止派の会合があった様ですが、発言者の多くは最近のセキュリティ装置の信頼性向上につけ込んだ死刑早期廃止とか、死刑・終身刑のいずれにも反対などと言った児戯に近い低レベルなものに終わった模様です。

所詮は戦勝国よりの下賜たる日本国憲法により蔓延した底の浅い性善説を一方的に信じ込んだ事より来る拙劣極まる見解。欧州の死刑廃止を一方的に丸飲みして祖国日本の刑罰を推し量ろうとする浅慮は、最早自虐史観の落とし子としか申し様がありません。
そもそも我国における死刑廃止の急先鋒は社会民主党。同党の支離滅裂ぶりは心ある方ならご存じでしょう。
自党にとり好印象な所だけを持ち上げるユートピア思考=短絡的理想主義の振りまわしはもういい加減に糾されるべきでしょう。それから脱する事ができないのであれば、主権者たる国民は同党に解党を強く要求して良いと思います。同時に司法当局に対しても、裁判員制度の安直な実施を止めさせる決断を要求すべき。これこそは議会制民主主義に基づく、国民の大切な基本的人権なのであります。
その様な実行を勇気をもって積み重ねる事が、凶悪事件に斃れた犠牲各位への、何よりの供養になると私は信じますね。*(日本)*
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この雨は、こんな風に聞えるⅢ

2008-06-22 23:42:52 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ!今年2008=平成20年の梅雨も本番となり、昨日午前と今日日中はかなりの雨量となった。明日の天気予報も、時雨位はありそうだと言っていた。まあ1年で最も傘と仲の良い時期と言うのは事実だろう。

さて本日のCafe表日記にては、肝臓を酒気から解放して休める所謂「休肝日」の事を記したが、やはり雨がちになると酒量が増える傾向があるのかも知れない。

今夜は先程まで昨夜飲んでいた名古屋市内、錦の繁華街近くへ雑用にて出かけていたのだが、普段は割合静かな日曜夜にしては結構人出があった様に見受けられた。飲食店の灯りも平日とさして変わらず、全国でも元気と言われる中部経済を投影しているのかな、ともふと思った次第。

ただ、良い事は長く続かないのも事実。良好と言われる状況を過信せず、不調な時も考えて日々を送るべきではと、ふと思った夜であります。

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休肝日

2008-06-22 23:10:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

昨日と今日、当地愛知は梅雨本番を想わせる雨天が続きました。昨日は主に午前、今日は昨日より雨量が多めでほぼ日中降り続いていました。
雨域はこれから東北へと移動する模様で、先般の地震にて大きなダメージを被った宮城・岩手両県の二次被害が懸念される所。
可能な限りの防災策が打たれる事を切に願う所であります。

さて前回、三重県下の医療事件について触れましたが、今夜も少し健康の事に触れようかと思います。
題して「休肝日」。これは何日かに1度、肝臓の機能を守るべく酒気を抜いて休める事を言います。

資料によると、平均体重の方で肝臓がビール大瓶1本分のアルコールを分解するには数時間を要する由。酒量の多い方ですと、確実に日量でビール大瓶1本を上回っている事でしょう。毎晩続ければ、それは肝臓にとり重い負担となり、やがて健康面に大きな支障を来す事が懸念されるでしょう。

本日夕方、名古屋市内の実家に顔を出して参りましたが父は折々「酒は百薬の長ってのは嘘だ!」と申します。酒量が度を越した場合を懸念しての言葉でしょうが、詳しくは不問なるも、あるいは父自身も過去に酒の上での失敗があるのかも知れません。

もう1人、昨夜は同じ名古屋市内の悪友と久々に酒を酌み交わす機会がありました。
悪友の父上は少し前にご逝去となりましたが、私が学生の頃1度夕食に招かれた事があり、その席でもかなり強度の酒気をお召しになっていた記憶がありますね。訃報に接した時は、あるいはそれが一因か?とも思ってしまったものです。余り記すべきではないかも知れませんが・・・。
因みにその市内の悪友も、酒気にはかなりの自信がある様です。笑

とまれ、一昨日は勤務先の会合、昨夜は悪友との会見にて2日続きで相当な酒量ともなりますと、3日目の今夜はさすがに止めないと、と言う気になった次第。我が両親の適切な忠告もあった訳ですが、平均すると月に2日位かなと言う所です。
本当は毎週1日は休肝日を設定すると理想的なんだそうですが、そこまでは中々実行できないでいます。
やはり意志力が弱いって事ですかね?苦笑*(ビール)*
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