極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

豆腐と餅の最新製造工学

2015年10月14日 | デジタル革命渦論




 

   でも「やるべきことはきちんとやった」という確かな手応えさえあれば、基本
      的に何も恐れることはありません。あとのことは時間の手にまかせておけばい
      い。時間を大事に、慎重に礼儀正しく扱うことはとりもなおさず、時間を味方
      につけることでもあるのです。女性に対するのと同じことですね。

                          村上春樹 『職業としての小説家』

 

 

【豆腐と餅の最新製造工学】

昨夜は、「サーモグラフィーカメラ付リモート電子レンジ工学」という最新の食品調理技術を取り上
げたが、今日も「餅つき装置」(家庭内の少量生産向け)と「豆腐製造装置」(中大量生産市販向け
)の二つを取り上げてみよう。

●「つき姫」を開発 みのり産業株式会社

この商品を知ったのは NHKのまちかど情報室(2015.10.13)なのだが、これも出会い頭で、従来
の「餅つき機」をコンパクトにし、蒸した餅米を練るパドルを小さくしたことで、空気(=酸素が関
与する?)を入れず圧練
することで、餅米を「α化(糊化)」(→この逆は「「β化(老化)」)でき
ることを発見したという紹介の件がピンときた。もとものこの会社は農作機器の製造メーカ、餅つき
機研究の原点は、生ごみ処理機の開発にある(特開平06-312167  生ごみ処理機 )。

 特許事例

さて、メーカーのうたい文句は、もちつき機を研究し続けて40年。つきたての味が少量から楽しめ
る「つき姫」を誕生させた。
家で餅つきをしたいけど、少なく手軽にできなかった。だけど、つきた
て餅が食べたい。
そんな消費者に必見の少量から楽しめる餅つき機(三合)。 操作はボタン1つ。
「むす」「つく」だけ――とある。それにしても、大晦日前になると、家族でお餅ちをつくのが伝統
だったが、両親が他界するとそれもなくなり、神社の氏子達も近くの和菓子店に注文するだけとなっ
たが、中国大陸から渡ってきた「日本の餅文化」は衰えることなく、和菓子の一部として世界で認知
されるようになったが、それにしてもマイクロプロセッサをベースとしたデジタル家電は、電子レン
ジと同様、食文化(食品加工工学)著しく変化させ、『デジタル革命渦』に飲み込まれていく。この
「つき姫」は「ホームベーカリー」の派生デジタル家電としてどの程度普及していくのかいまのとこ
ろ見当つかないが、品質の良い水と餅米と電気に「レシピ」の充実が揃えば波及していくだろう。

そこで、事業の世界展開には、電気と水は各国・各地域に依存するとし、(1)餅米、(2)家庭用
つき機、(3)
レシピコンテンツ(これは無償を原則として)+α(農産品など)の拡販事業拡大が
期待できるぞ!と、考えた次第でこれは面白い。

※ パン文化(小麦:西方)VS. 餅文化(米:東方)→東方の逆襲?(ビートルズなどの英国楽曲が
  米国を 席捲したのイングリッシュ・インバージョンをなどって、なんちゃって。)




● 豆腐製造にロボット 相模屋食料株式会社

これは今朝の情報っだが、人手ならではの作業が多いため、ロボットが普及しなかった食品製造業だ
が、汎用
のロボットを用い経営革新を成し遂げた企業として、市販向けの豆腐製品を手がける相模屋
食料が
その代表格として紹介。05年に稼働開始した第三工場(同)で初めてロボットを採用。常識
を覆す製造法を確立し、導入当初と比べ売上高を4倍以上に拡大させたというが(日刊工業新聞 2015.
10.14)、上の写真だけでは、豆腐製造工場――ファナック製5軸多関節ロボット「M―710iC/
50H」3台が、コンベアを流れる無数の豆腐に、次々と容器をかぶせていく、主力の一つである木
綿豆腐の封入工程。活躍するのはファナックカラーの黄色ではなく、クリーン仕様の白いロボット―
―だとはだれもわからないだろう。 

 

同上記事によると、豆腐は冷やさず熱いままで食べるのが一番おいしいが、その状態でパックしない
のかとの疑問から始まり、製品サイズに切断した豆腐を容器に詰めるのは、従来は人手作業。高温で
行うのは不可能で、水中で冷やし詰める方法が定着―――そんな常識を打ち破る封入法を追求したか
当初考えた水中で豆腐が冷える前に高速で自動封入するシステムは、水中での高速制御が困難で結局
頓挫
する。水の外、つまりコンベア上で容器と豆腐を組み合わせる方式を発案し、容器に豆腐を収め
るのではなく、豆腐にロボットが容器をかぶせ、後に反転させる仕組みを考案し今回の成功につなが
ったとの経緯を掲載。


【符号の説明】

1…凝固部 2…成型部 3…切断・整列部 4…パック詰め装置 5…パック供給手段 6…豆腐
製造装置 10…豆腐 11…切断・移動手段 12…コンベア 13…位置決め手段 14…豆腐
15…切断・整列手段 16…豆腐 17…豆腐移動手段 18…スクレイパー 19…貯蔵手段
20…豆腐 51…パック 52…パック 53…パック貯蔵部 54…パック貯蔵部 55…パッ
ク搬送コンベア 56…パック搬送コンベア 57…穴 58…穴 71…シャッター板 74…
が充填されたパック 75…豆腐が充填されたパック 76…コンベア 77…コンベア 80…
封止部 100…パック詰め装置 155…コンベア 158…コンベア制御手段 170…パック
設置手段 171…シャッター板 172…シャッター板制御手段 180…パック取り出し手段
185…パック 186…豆腐が充填されたパック 188…パック取り出し手段 189…パック
取り出し手段 190…パック移動手段 192…可動部 193…先端部 194…先端部の爪部
195…先端部の爪部ベース 196…先端部の爪部固定部材 200…パック詰め装置 201…
パック取り出し手段 202…パック取り出し手段 203…パック取り出し手段 211…パック
送りコンベア 212…パック送りコンベア 213…パック送りコンベア 221…大きなパック
222…中くらいの大きさのパック 223…小さなパック 231…先端部 232…先端部
233…先端部

しかし、これだけでは開発の背景がいまいちなので、上図の特許を参考にすると、従来、豆腐のパッ
ク詰めは、所定の形状に切断された豆腐を水中に浮遊させ、下方からパックですくい取りで行われて
いたが、(1)衛生状態に問題が生じ易いこと、(2)大量の汚水が発生すること、(3)効率が悪
く大量生産に不向きであること等の理由により、今回のように、大気中(陸上)でパック詰めを行う
こと(いわゆる陸詰め)が行われるようになっているが、「陸詰め方式」でも、(1)多品種に対応
すればするほど、パック詰めに時間がかかり、スループットが低下する、(2)洗浄に手間がかかる
(3)高コスト、(4)大きな設置スペースが必要だという課題がある。

この新規考案では、品種に対応しても短時間にパック詰めを行うことができ、洗浄に手間がかからず
製造や保守・点検にコストがかからず、設置面積が少なくて済む豆腐のパック詰め装置が提案されて
いる。しかし、多軸ロボットの導入は、高度消費社会にあって避けることのできない格好事例がここ
で示されていて、大変面白い。

【参考特許】

・特許5297883  豆腐用凝固製剤                 花王株式会社
・特許4863860  豆腐の製造方法及びその方法によって得られた豆腐 相模屋食料株式会社



【メガソーラービジネスインタビュー:
   屋根上は太陽光の本命 4百メガワットをめざし開発する】

カナダに本拠を置くソーラーパワーネットワーク(SPN)は、ルーフトップ(屋根上)設置を中心に
太陽光発電システムの設計・施工から運営などを手がけ、日本でも工場や流通店舗の屋根上への設置
で実績を伸ばす。同社の社長兼CEO(最高経営責任者)を務めるピーター・グッドマン氏に、日本で
の戦略と市場展望のインタビューしている(「屋根上は太陽光の本命。400MWの開発目指す」日
経テクノロジー 2015.10.14)。ここでは興味を惹いた問答を掲載する。




Q:経済産業省は、30年の目指すべき電源構成(べストミックス)を公表し、太陽光は認定量を下
  回る64ギガワットとされ、抑制的な対策に転じるとのイメージも与えた。こうした日本政府の
  エネルギー政策をどのように見る?
A:太陽光の推進という点から、明らかな間違いだと思う。認定容量が80ギガワットを超えている

  にもかかわらず、ベストミックスで64ギガワットしか見込まなかったことは、日本の太陽光市
  場を
冷やすことになった。そもそも接続保留問題で、無制限無補償の出力抑制を条件とした案件
  が出てき
たことで、こうしたプロジェクトへのファイナンスは難しくなった。

Q:国内では、地産地消型の再生可能エネルギーについて、今後も政策的に普及を支援していくべき
  だとの声も強まっているが?
A:その考え方は正しいと思う。需要地から離れた野立てのメガソーラーや風力と、需要地に近接し
  た分散型の再エネを同じ仕組みで支援するべきではない。カナダのオンタリオ州では、FIT導入当
  初、日本のように一律の制度だったが、試行錯誤を経て、ルーフトップの太陽光を含む小規模分
  散型に対してはFIT、大規模な野立てのメガソーラーについては入札方式という2本立てになった。

  
ルーフトップをFITの対象にしたのは、需要地に近い太陽光は、電力系統に負担が少ないなど意義
  が大きいとの認識が背景にある。その上で、スケールメリット効果の大きい野立てのメガソーラ
  ーに比べ、ルーフトップなどの小規模分散型の太陽光は、手間もかかりコスト面で不利なことに
  も配慮している。

Q:FITにおける10キロワット以上の太陽光発電の買取価格は、15年度下期に27円/キロワット
  時に下がった。日本企業の中には、事業性が低いとして、新たな案件の開発を断念する企業も出
  ている。この価格設定をどのように見る?
A:27円/キロワット時の買取価格は、太陽光発電の事業性を満たせる価格だと考える。電力利用
  者の賦課金を下げる意味で正しい判断と思う。買取価格を27円/キロワット時に下げることに
  よって、太陽光発電の関連分野はコスト削減を強いられるが、結果的に事業の効率が上がったり、
  再エネ分野全体の経済合理性が高まることが期待できます。

  
カナダのオンタリオ州でも、同じようなペースで買取価格を下げてき。32セント/キロワット
  時でスタートし、29セント/キロワット時、27セント/キロワット時と下がってきた。日本
  でもカナダでも、買取価格を下げ、電力利用者への負担を減らすことが重要。

  海外企業の中にも、この価格設定では事業性を満たしにくいと判断し、日本市場から出ていく企
  業があるかもしれない。SPNは、日本にとどまるつもりです。技術革新の速い産業分野の常とし
  て、時間とともに経験を積んで効率が高まり、価格が下がっていく。太陽光発電も同じ状況にあ
  る。

Q:コスト削減の余地は、どの辺に?
A:4つのポイントがある。(1)太陽光パネルとパワーコンディショナー(PCS)などの主要設備。
  
オンタリオ州では、FITの買取価格が低下するに従い、関連設備や資材のコストが下がっていった。
  国際競争の中で、メーカーが破綻する例もある一方、新興企業が次々に登場し、パネルやPCSの効
  率は向上を続けている。(2)
、設計・施工です。北米でも欧州でも日本でも、2~3年前に比
  べ、太陽光発電設備をより効率的に設計し設置。コスト削減と高効率化の圧力が強まることで、
  設計と施工の革新が進んでいる。(3)
ファイナンス。日本では、FIT開始後、2~3年は、太陽
  光発電に対する理解があまり進まず、金融機関はリスクを判断できなかった。実際には、政府に
  よる20年間の買取保証があり、リスクは十分に管理できるが、理解が得られず、返済の利率に
  も反映してもらえなかった。しかし、現在では、金融機関の理解が進み、前向きになっている。
  (4)
太陽光発電事業者が得る利幅。買取価格が27円/キロワット時に下がったから、撤退し
  ようなどという判断は、近視眼的な経営判断と感じる。太陽光発電には、今後も明らかに巨大な
  需要がある。これまで想像できなかったようなレベルの需要が出てきている。G7
でも確認され
  ているが、今後、石油の時代から、再エネと原子力発電の時代に急速に移行していく。その中で
  より効率的に発電事業を実現するような、クリエイティブ(創造的)な手法が、いまほど求めら
  れている時代はない。

Q:日本ではFIT開始以降、野立ての太陽光発電所が急速に増えている。
A:野立てのメガソーラー事業は今後もなくらないが、先進国で再エネ事業を成功させるための条件
  を満たしていない場合もある。その条件とは、(1)クリーンであること、(2)経済的である
  こと、(3)供給の安定性。

  
メガソーラーと、小規模な分散型の太陽光発電所を、これらの3つの条件で比べると、メガソー
  ラーは供給の安定性で劣る。小規模な分散型の太陽光発電所は、街の中にあるのに対し、メガソ
  ーラーは遠隔地に立地。メガソーラーで発電した電力の送電で、コストを要す。送電網の増強な
  どが必要になる。

  小規模な分散型の太陽光発電所ならば、例えば、街にある工場の屋根上にあり、送電網のコスト
  は最小
で済む。先進国では、既存の送電網を使うため、従来の発電所から、太陽光発電所に置き
  換えると、どう
しても送電網に要するコストが増える。いまの送配電網は、既存の電源による配
  電を前提に最適化したも
の。 

  送電網に要するコストは、発電所の約2倍となる。日本の大手電力会社の財務情報を分析しても、
  送電網に発電所の約2倍のコストがかかっていることがわかっている。14年9月に起きた、い

  わゆる「九電ショック」(再エネの接続申し込みの回答保留)は、送電網の空き容量が一杯にな
  ってしまった後の送電網の整備を、電力会社だけでは負担しきれないという問題提起だった。従
  来の電力システムの中で、最もコストがかかるのが送電網、遠隔地から送電するメガソーラーは、
  送電網
に追加的なコストを強いるという点で、小規模な分散型太陽光に劣る。



Q:日本の場合、人口密度が高く、都市や市街地に人口が集中しているため、都市部の電力需要を屋
  根上の太陽光だけで賄うのは限界がある。遠隔地に置くメガソーラーも必要になるのでは?
A:分散型というと、ルーフトップをイメージしがちだが、駐車場、カーポート、小さな空き地など
  さまざまな場所を想定している。探せば候補地はたくさんある。街中のちょっとした場所を太陽
  光発電所にできる。

  日本では特に屋根上の利用権に関する制約が大きいと感じる。例えば、建物の所有者が破産した
  場合、屋根を借りる権利への影響が日本と北米では異なる。米国やカナダでは、建物の所有者が
  破産したとしても、屋根上を利用する権利は保持される。

  
日本の場合は、建物の所有者が破産したら、屋根を利用する権利まで消失する。知っている限り
  この問題があるのは日本だけです。SPN社では、世界的な戦略として、あらゆるビルを対象に太
  陽光発電システムを設置し、事業化する方針を持つが、日本ては、こうした事情から、20年間、
  利用し続けられると金融機関が評価したビルへの設置に限定される。

なお、ここでは補足することはないが(その理由はブログ掲載済み)、原子力発電の問題点について
の現状認識は楽観的である。
  
 



● 折々の読書 『職業としての小説家』20

  何度くらい書き直すのか?そう聞かれても.性格な回数まではわかりません。原稿の段階でも
 う数え切れないくらい書き直しますし、出版社に渡してゲラになってからも、相手かうんざりす
 るくらい何度もゲラを出してもらいます。ゲラを真っ黒にして送り返し、新しく送られてきたゲ
 ラをまた真っ黒にするという繰り返しです。前にも言ったように、これは根気のいる作業ですが、
 僕にとってはさして苦痛ではありません。同じ文章を何度も読み返して響きを確かめたり、言葉
 の順番を入れ替えたり、些細な表現を変更したり、そういう「とんかち仕事」が僕は根っから好
 きなのです。ゲラが真っ黒になり、机に並べた十本ほどのHBの鉛筆がどんどん短くなっていく
 のを目にすることに、大きな喜びを感Uます。なぜかはわからないけれど、僕にとってはそうい
 うことが面白くてしょうがないのです。いつまでやっていてもちっとも飽きません。

  僕の敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーもそういう「とんかち仕事」か好きな作家の一人
 でした。彼は他の作家の言葉を引用するかたちで、こう書いています。「ひとつの短編小説を書
 いて、それをじっくりと読み直し、コンマをいくつか取り去り、それからもう一度読み直して、
 前と同じ場所にまたコンマを置くとき、その短編小説か完成したことを私は知るのだ」と。その
 気持ちは僕にもとてもよくわかります。同じようなことを、僕白身何度も経験しているからです。
 このあたりか限度だ。これ以下書き直すと、かえってまずいことになるかもしれない、という微
 妙なポイントかあります。彼はコンマの出し入れを例にとって、そのポイントを的確に示唆して
 いるわけです。

  そのようにして僕は長編小説を書き上げます。人それぞれ、気に入ってもらえるものもあり、
 あまり気に入ってもらえないものもあるでしょう。僕自身、過去に書いた作品については、決し
 て満足しているわけではありません。「今ならもっとうまく書けるんだけどな」と痛感するもの
 もあります。読み返すとあちこち欠点が目についてしまうので、何か特別な必要がなければ、自
 分の書いた本を手に取ることはまずありません。

  でもその作品を書いた時点では、きっとそれ以トうまく河くことは僕にはできなかっただろう
 と、基木的に考えています。自分はその時点における全力を尽くしたのだということかわかって
 
いるからです。かけたいだけ長い時間をかけ、持てるエネルギーを惜しみなく投入し、作品を完
 成させました。言うなれば「総力戦」をオールアウトで戦ったのです。そういう「出し切った」
 手応えが自分の中に今でも残っています。少なくとも長編小説に関しては、僕は注文を受けて書
 いたこともないし、締め切りに追われたこともありません。自分の書きたいことを、書きたいと
 きに、書きたいように書きました。それだけは自信をもって断言でぎます。だから後日「あそこ
 はこうしておけばよかったな」と悔やむようなことはまずありません。

  時間は、作品を創り出していくヒで非常に人切な要素です。とくに長編小説においては、「仕
 込
み」が何より大事になります。自分の中で来るべき小説の芽を育て、膨らませていく「沈黙の
 期間」です。「小説を書きたい」という気持ちを自分の中に作り上げていきます。そのような仕
 込みにかける時間、それを具体的なかたちに仕上げていく期間、立ち上がったものを冷暗所で
 じっくり「養生する」期間、それを外に出して自然の光に晒し、固まってきたものを細かく検証
 し、とんかちしていく時間……そのようなプロセスのひとつひとつに十分な時間をかけることが
 できたかどうか、それは作家だけか実感できるものごとです。そしてそのような作業ひとつひと
 つにかけられた時間のクオリティーは必ず作品の「納得性」となって現れてぎます。目には見え
 ないかもしれないけど、そこには歴然とした違いが生まれます。

  身近な例にたとえると、これは温泉のお湯と家庭風Mのお湯の違いに似ています。温泉に入る
 と、たとえ湯温が低くても、じんわりと身体の芯にまで温かみが浸みてきますし、お風呂を出て
 からも温かみが冷めません。しかし家庭のお風呂のお湯だと、身体の芯まで浸みないし、お湯か
 ら出るとすぐに冷めてしまいます。これはたぶんみなさんも体験されたことがあると思います。
 たいていの日本人なら温泉につかつて、ほっと一息ついて、「うん、そうだ、これか温泉のお湯
 だよな」と肌身にじわっと実感できると思いますが、生まれてから一度も温泉につかったことの
 ない人に向かって、この実感を言葉で眼確に表現するのは簡単ではありません,

  優れた小説や、優れた音楽にも、それに似たところがあるようです,温泉の湯と家風呂のお湯、 

 温度計で測ると同じ温度でも、実際に裸になってそこにつかってみると違いかわかります。肌で
 実感できます。しかしその実感を言語化するのはむずかしい。「いや、じんわりくるんだよ、こ
 れが。うまく言えないけどさ」みたいなことしか言えません。「でも温度は数字的には同じだよ。
 気のせいなんじゃないの」と言われるとは―――有効に反論できません。

  少なくとも僕のような科学方面に知識のない人間に
 だから僕は自分の作品が刊行されて、そ
 れがたとえ厳しい―――思いも寄らぬほど厳しい―――批
評を受けたとしても、「まあ、それも
 仕方ないや」と思うことができます。なぜなら僕には「や
るべきことはやった」という実感があ
 るからです。仕込みにも養生にも時間をかけだし、とんかち仕事にも時間をかけた。だからいく
 ら批判されても、それでへこんだり、自信を失ったりすることはまずありません。もちろんいさ
 さか不快に思うくらいのことはたまにありますか、たいしたことではない。「時間によって勝ち
 得たものは、時間が証明してくれるはずだ」と信じているからです。そして世の中には時間によ
 ってしか証明できないものもあるのです。もしそのような確信が自分の中になければ、いくら厚
 かましい僕だって、あるいは落ち込んだりするかもしれません。でも「やるべきことはきちんと
 やった」という確かな手応えさえあれば、基本的に何も恐れることはありません。あとのことは
 時間の手にまかせておけばいい。時間を大事に、慎重に礼儀正しく扱うことはとりもなおさず、
 時間を味方につけることでもあるのです。女性に対するのと同じことですね。


                  「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』


次回は、このつづきと、「第七回 どこまでも個人的でフィジカルな試み」に移っていく。いよいよ
佳境を味あうことになるだろうと考える。


                                     この項つづく  
 

   ●今夜の一品

Introducing the Light L16 Camera, the world's first multi-aperture camera.

世界初のマルチレンズ(開口数16)カメラ登場!デジタル革命ギャラクシーならではの一品なのだ。

 

  

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