極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

里山資本主義異論Ⅰ

2014年04月09日 | 時事書評

 

 

【プラズマクラスター技術考】

PM2・5の影響のため1ヶ月間えらいめにあったが、いまは回復している。ところで、プラズ
マクラスター技術が黄砂に付着している細菌・カビの抑制効果およびPM2.5に含まれている有機
化学物質の除去効果があることをシャープは実証したという(2014.04.03)。それによると、プ
ラズマクラスター技術が粒子状物質PM2.5に含まれている酸性雨の原因物質である芳香族カルボ
ン酸(安息香酸)を約98%除去、自動車などの排ガスに含まれている物質であるアルカン(ヘキサ
デカン)を約99%除去したという。その試験方法は、細菌やカビの抑制効果や有機化学物質の除
去効果を、実使用に近い25m3(約6畳)および28.5m3(約7畳)で確認。
 

 



そこで一言。この手に効果については疑似科学ぽいなどと見られていたが、このような実証デー
タ(正しければの話だが)が、長
い時間をかけ積み重ねられてくれば、それなりに説得力をもつ
ものだ、と。

 

 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

●里山資本主義異論

藻谷浩介著の『里山資本主義-日本経済は安心の原理」で動く』の「最終総括「里山資本主義」
で不安・不満・不信に訣別を」から読んでみたが驚くことに、「デフレーション」「リフレーシ
ョン」や「近代経済学」「マルクス経済学」「列島強靱化論」に対する考え方には、わたし(た
ち)とは、相当隔たりがありこの本の推奨を行ったものとしては、甚だ心許ない出だしとなる。
『デフレの正体』ではマルサスの人口論を映した人口減少主因説で、科学技術進歩(『デジタル
革命渦論』)主因説とも、需要と供給の不均衡(デフレギャップ)説とも異なり、また、需要喚
起による円安誘導による不安ー今年(2013年)はさらに化石燃料輸入額が増え、他方でもともと
減っていなかった輸出は別段増えることがなく、経常収支赤字に転落する可能性もあると述べて
いるが、
「貿易収支には、7~8兆円の赤字が残ると試算されているから、資本蓄積が進めば対
外貸し付けが増え、貿易は赤字になり、その代わりに外国からの知財収入や資本所得が増大して
いくのは必然であり、将来世代へのつけ回しにより、化石燃料の輸入量を人為的に下げるより、
サービス輸出や海外からの直接投資を妨げている要因を取り除くことの方がはるかに重要」(八
田達夫・大阪大学招聘教授/参照『二人の教授の原発論』)との見解に比して、恣意的あるいは
情緒的のようにも思える。また、
藤井聡の『「大阪復活」と「列島強靭化論」』(竹本直一関西
21フォーラム賀詞交歓会(基調講演「列島強靭化論」講演録、2012/01/16)を読めば相違の程
度(ただし、リニアの優先順位は低くて良いと考える)
が理解できるが、このまま進めていくこ
とに躊躇するものの徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」の事例があるように、個別事例から学ぶ
ものがあるだろうと考えこの項を継続させていく。


 「新書大賞2014」? 

 ●繁栄するほど「日本経済衰退」への不安が心の奥底に溜まる

 「根本原因分析」というのをご存知だろうか? 何かが起きている原因は何かを考える。次
 に、その原因が起きているそのまた原因は何かと考える。それを繰り返して、根っこの根っ
 こにある本当の原因にたどり着く、そういう思考法のことだ。そのやり方で、現代の不安・
 不満・不信は何から来るのか、さらにその原因となっている何かは、何か原囚で立ち現れた
 のか、と考えて行ってみて欲しい。
  筆者は、今日本人が享受している経済的な繁栄への執着こそが、日本人の不安の火元の源
 泉だと思う。
  マネー資本主義の勝者として、お金さえあれば何でも買える社会、自然だとか人間関係だ
 とかの金銭換算できないものはとりあえず無視していても大丈夫、という社会を作り上げて
 きたのが、高度成長期以降の日本だった。ところが繁栄すればするほど、「食料も資源も自
 給できない国の繁栄など、しょせんは砂上の楼閣ではないか」という不安が、心の中に密か
 に湧き出す。この不安は理屈を超えたある種の実感として、成長の始まり以来ずっとそこに
 あったのだが、周辺国が続々ライバルとして成長する中で、さらなる高まりを見せてきた、
  ところで全体の繁栄が難しいということになると、誰かを叩いて切り捨てるという発想が
 出て来やすい。官僚がけしからん、大企業がけしからん、マスコミがけしからん、政権がけ
 しからんと、切り捨てる側の気分で叩いてきたが、そのうちに、「自分こそが、そのけしが
 らん奴らから巧妙に、切り捨てられている側なのではないか」と疑心暗鬼になる人が増えて
 きた。特に日本人の四人に一人を占める高齢者には、経済社会の一線を退いた結果として、                       
 世の中から置き去りにされるのではないかという危惧を抱く層が多い。やりがいのある定職
 を持てない若者も、自分は置き去りにされているという実感が強いだろう。これが不満とな
 り、さらにはその不満を共有しないように見える(うまい汁を吸っているのではないかと思
 われる)一部の日本人に対する不信、日本を叩くことで自国の繁栄を図っているのかもしれ
 ない(?!)周辺国に対する不信となって、蓄積され始めた。
  そこに来だのが大震災だ。温和なはずの日本の自然が突然牙をむき、一時的にだがお金が
 あっても何も買えない状況が現出する。原発事故による放射能汚染で、国上の一部が麻蝉し
 た状態が生まれ、誰も口にしないが当事者以外の心の中にも、ある種の取り返しのつかない
 喪失感が広がる。しかも南海トラフという、今度はもっとすごいのが来るかもしれないそう
 ではないか。富士山や浅間山など、これまた可能性が高まっているという火山災害も心配だ。
 おまけに震災に連鎖したユーロショックと化石燃料価格の高騰で、国際経済競争は厳しさを
 増すばかりだし、日本の凋落(?)に乗じたように周辺国が領土的野心(!?)を表に出し
 てきた。
  さあいよいよ今度は日本全体が、切り捨てられる側になってきたのではないかと不安に思
 う層が増え、不安・不満・不信を共有することで成り立つ擬似共同体を形成し始める。そう
 いう種類の擬似共同体に属することで本当に安心立命を得られるのかどうか、はなはだ疑問
 ではあるが、一度属して少しでも仲間とつながった感覚になると、そこからはじき出される
 のはイヤだ。はじき出されないためには、不安・不満・不信を強調しあうことで自分も仲間
 だとアピールするしかない。つまり擬似共同体が、不安・不満・不信を癒す場ではなく、煽
 りあって高めあう場として機能してしまう。
  安倍首相も、不安・不満・不信を解消する力量のある人物というよりは、自分と同じ目線
 で不安・不満・不信を共有し、自分の側に立って行動してくれる人物として人気になる。
  これが選挙前に維新を押し上げ、そして選挙後には安倍氏への期待を高めている浮動票
 意識、彼らに迎合した一部マスコミなどが形成している「世の空気」の構造だ。

 ●マッチョな解決に走れば副作用が出る

  このように連鎖した不安・不満・不信は根深いもので、厄落としに短期間で政権を交代さ
 せても解消されるものではない。そうするたびに問題はむしろ悪化するであろうし、現に悪
 化してきた。ではどうしたらいいのか。
  経済的な繁栄への執着を捨てられれば話は早いのだが、人間社会が人間様ではなく仏様の
 集まりでない限り、無理というものだろう。それでは逆に、お金が最も大事という「マネー
 資本主義」的な発想法で考えるならば、不安の解消策はどのような方向になるのだろうか。
  出てくるのは、日本の「マネー資本主義の勝者」としての地位をいかなる形をもってして
 も回復し、その金の力をもって土木工事で自然災害を封じ込め、周辺国には軍事力を強化し
 て毅然として対峙する、というマッチョな方向だ。野田政権も特に領土問題ではマッチョ志
 向だったが、その「弱腰」を攻撃して出てきた安倍政権はさらに強気なことを言わざるを得
 ない。そこで出てきたのが「アベノミクス」という、公共投資の大盤振る舞いによる「国土
 強靭化」と、金融緩和↓インフレ誘導による景気刺激の組み合わせだった
  このマッチョな選択は、保守が聞いて驚く社会実験的な施策で、マッチョ的な発想ゆえの
 無理や、その結果としての不安点が多々ある。それらを指摘する経済学的な議論は他にも多
 いと思われるので、ここでは敢えて多くの紙幅を割かない。一言だけ述べておけば、何かす
 れば副作用が生じるのであって、ご都合主義者が願うような穏便な問題解決にはならない。
 副作用もなしにできるなら他の誰かがとうにやっている、ということは認識しておいた方が
 いい。
  たとえば、海外がインフレ・日本はデフレということで進行して来た円高も、日本がイン
 フレ気味になれば円安に転じるが、そうなるとGDPの+数%を占める輸出関連産業は息を
 つける反面、GDPの八割以七を占める内需関連産業は輸入燃料価格のヒ昇に直面する。実
 際問題として、上がるだけ上がった円が円安に戻り始めた2012年の秋以降、日本の貿易
 赤字はむしろ拡大している。尖閣問題などの影響もあって対中国を中心に輸出がドがり始め
 た一方で、円安で化石燃料代は値上がりしているからだ。2013年になり、ガソリンや灯
 油も値上がりし始めたので、平和ボケならぬ円高ボケから醒めて、円安=生活費上昇である
 という当たり前の事実に気付いた人も、ようやく出てきたのではないか。
  株価が上がるのは皆さん欧迎だし、事実これまでの日本の株価は投資利回りの実績からみ
 ても低すぎたことは間違いない。しかし国債に流れていた資金が株に流れれば(それは本来
 正常なことだが)、異常に額の膨れ上がった国債の新規の消化には次第に困難が出てくるこ
 とも予想される。足元の金利を見ている限り、まだその兆しがないのは幸いだが、これは欧
 州の経済が絶不調で、投機筋の資金が相対的に状況がましな日本に向いているという理由が
 大きいだろう。欧州の難局打開に少しでも明るい見通しが出てくれば、風向きが変わること
 は十分ありうる。
  このように経済という複雑な問題は、肩こりにも似ていて、一時的にほぐすことはできて
 も、もみかえしのような副作用もなしにすっきり問題を消してしまうような解決策はないの
 だ。

 ●「日本経済衰退説」への冷静な疑念

  だがそれはそうとして、以下ではもっと根源的な問題を考えたい。それは、「戦後の日本

 人が享受してきた経済的な繁栄は、本当に失われつつあるのか?」ということだ。筆者は、
 人々の不安・不満・不信をかきたてている「日本経済衰退説」は、「みんながそういってい
 るんだからそうなんだろう」という以外にはっきりした根拠のない、一種の集団幻想なので
 はないかということを問うている。
  次節から個別に「日本経済衰退説」の根拠を検討していくが、結論を先取って中し上げれ
 ば、戦後の日本人が享受してきた経済的な繁栄は、別段失われていないし、事実をしっかり
 認識し、ゆっくり落ち着いて適切に対処する限り、今後とも失われない。さらにいえば、仮
 に今のマネー資本主義的な繁栄がゆっくりと弱まって行くようなことがあったとしても、里
 山資本主義的な要素を少しずつ取り入れて行けば、生活上はそんなに困ることもない。筆者
 は「何もしないでも大丈夫」とまで言っているのではないが、事実をしっかり認識し、ゆっ
 くり落ち着いて適切に対処すれば、問題はないと言っている。「大地震も大噴火も来るだろ
 うが、それで日本が終わりになることはないし、あなたも私も十中八九どころか千に九九九
 は大丈夫だろう」というのと同じような話である。
  納得できるだろうか? どうかこの先を読んでからお考えいただきたい。

 ●そう簡単には日本の経済的繁栄は終わらない

 「戦後の日本人が享受してきた経済的な繁栄は、別段失われていないし、事実をしっかり認
 識し、ゆっくり落ち着いて適切に対処する限り、今後とも失われない」
 「仮に今のマネー資本主義的な繁栄がゆっくりと弱まって行くようなことがあったとしても、
 里山資本主義的な要素を少しずつ取り入れて行けば、生活上はそんなに困ることもない」
  筆者のこの指摘は、世の空気=真実だと思い込む人からは、「根拠なき断言」と言われる
 だろう。だが逆に、「戦後の日本人が享受してきた経済的な繁栄が、とうとう失われつつあ
 る」と語る人こそ、何か根拠でそう断言するのか。基本的な数字すら確認せず、空気に流さ
 れているだけではないのか。そこで以下では、「日本終末党」の党員になった気分になって、
 代表的な「日本経済ダメダメ論」を列挙し、その根拠を確認してみよう。

 ●ゼロ成長と衰退との混同―「日本経済ダメダメ論」の誤り①

 「日本の経済的な繁栄が失われつつある」とする根拠のトップに出てくるのは、恐らく経済
 成長率だろう。1990年のバブル崩壊以降、日本のGDPは全然伸びていない、という話
 だ。確かにバブル崩壊後のいわゆる「失われた20年」に、名目GDPは1.1倍にもなっ
 ていない。ゼロ成長と言ってもよく、先進国の間でも目立って取り残されている、いわば一
 人負けの状況だ。
  しかし冷静に考えて欲しいのだが、過去20年間でみれば日本のGDP総額は増えていな
 いが、減ってもいない。バブルの頃世界最高だった一人当たりGDPも、今では世界17位
 だというが、絶対額ではこの間も微増している。それどころか生産年齢人口(15~64歳)
 当たりのGDPを計算してみると、今でも日本の伸び率が先進国最高だという。経済的な繁
 栄の絶対的な水準は、まったく下がっていないのである。
  こう書くと「藻谷はゼロ成長を美化している」とか言われそうだが、そんなことはて一言
 も言っていない。ゼロ成長よりは力強く成長した方がいいに決まっているが経済衰退よりは
 ゼロ成長の方がまだしもましでありましょうよ、ということを言っている。
  経済は「ゼロサム」の世界だと思っていて、「他国が繁栄したということは、その分こっ
 ちが落ちたのだ」と何となく思い込んでしまう人がいるようだが、まったくの考え違いだ。
  過去20年間に北京は、馬車や自転車が行き交う田舎町から高速道路と地下鉄が縦横に走
 る大都会に一気に変貌したが、東京がその陰で、牛馬で物を運ぶ社会に転落したわけではな
 い。欧州の多くの国の一人当たりGDPは二〇世紀の間にアメリカに抜かれ日本に抜かれた
 が(その後抜き返してきた国もあるが)、その間も多くの欧州住民が、住環境といい治安と
 いい食生活といい装いといい、基本的なところで実に眼かな暮らしを享受している。これと
 同じことで、中国人が日本に来れば環境といい、清潔さといい地上の楽園だと思うし、日本
 よりご人当たりGDPの大きいシンガポール人でも、日本をよく知っている層は、食べ物の
 おいしさやおもてなしの柔らかさなどいろいろな面に日本の懐の深い豊かさを感じている。
  「そんなことを言っているけれども、仕事のない若者が増え、お金のないお年寄りが増え、
 地方都市は衰退を極め、日本人の生活はみじめになっている」とおっしやる方も多いだろう。
 だがその理由は日本経済全体の不調にあるのではなく、個々の問題ごとにそれぞれ根深い構
 造がある。実際には苦しんでいる人や地域がある分、うまくいっている人や地域もあるので
 あって、全体では差し引き微増となっているのだ。

                    -中略-

  ちなみにGDP以外の指標でみても、たとえば日本人の平均寿命は世界最高水準だし(敗
 戦時の日本や冷戦後のロシアのように、経済が破綻した国では必ず平均寿命は落ちる)、凶
 悪犯罪も減っているし、困窮者が暴動を起こしているわけでもない。これは経済が衰退して
 いる国の姿とはいえないだろう。本当に日本経済が衰退に転じれば、「ああ、あの頃は文句
 ばかり言っていたが、まだたいしたことはなかった」と思い知ることになるのではないか。

 
 ●絶対数を見ていない「国際競争力低下」論者-「日本経済ダメダメ論」の誤り②


 「日本終末党」の論拠の二番目は、「日本の国際競争力は失われている」という話だ。スイ
 スのビジネススクールーMDが発表する国際競争カランキングで、バブルの頃に1位だった
 日本は今や27位だという。日本の輸出額は2007年から比べてもう四分の三に減ってし
 まった。震災・円高・ユーロショックの襲った2011年には、とうとう貿易収支がマイナ
 ス2兆円と、31年ぶりの赤字になってしまい、2012年にはこの赤字がさらに6兆円に
 拡大した。長引く円高もあって、日本の産業はもはや瀕死である……ということなのだが、
 皆さんここに出ていない数字もきちんと確認したうえで、事柄の全体像を理解してお話しさ
 れているのだろうか?



  まず「ヘンだぞ」と気付いて欲しいのが、「日本が失われたバブル以降の20
年の間に本
 当に国際競争力を失っているのであれば、なぜ20年前よりも今のほうが円高なのか」とい
 うことだ。米国経済が相対的に凋落したからこそドル安が続いているのであり、リーマンシ
 ョックにユーロショックでユーロも下がった。中国は成長しているのに人民元を安く抑えて
 いると批判されている。日々の変動はともかく年単位のような大きな流れで見れば、経済的
 繁栄宇→自国通貨高というのは世界の常識だ。円高なのは、輸出が増えたからである。
  テレビ文化人には、日本の輸出の絶対額の推移を見てからしやべって欲しい。財務省の国
 際収支統計(これとは別に貿易統計もあり数字はやや異なるが傾向に違いはない)によれば、
 プラザ合意で円高が始まる前の1985年の輸出額が41兆円。バブル最盛期・日本の国際
 競争力世界一のに1990年が41兆円。それに対して2011年は61兆円と、約20年
 間で1.5五倍に増えているのだ。確かに輸出額は2007年には80兆円と、もっと多か
 ったが、これは1990年の2倍という異常な高水準であり、世界がリーマンショック前の
 バブルに沸いていた頃の一時的な数字である。月別の季節調整済み値を確認しても、震災直
 前の2011年2月の輸出が5.5兆円だったのに対して、震災一年後の2012年3月の
 輸出も5.4兆円と同水準だ。他の月を比べてもわかるが、震災後の超円高の下でも輸出は
 減らなかったのである。

  

  これは、円高が原因で値上がりしても買わざるを得ないほど非価格競争力のあるモノを日
 本が輸出してきたからでもあるが、もともと日本円が高くなっている相手の国内はインフ
 なので、相手国内物価と同程度の日本製品の値上がりは当然ということもある。だから、

 近の円安誘導に対して諸外国から「ダンピング」という批判が出るわけだ。「高かった
日本
 製品の値段が元に戻る」という印象なのではなく「他に比べて日本製品だけが急に安
くなる」
 という印象なのである。

  ところで震災後も5兆円台をキープしていた輸出は、2012年7月から4兆円台に転
 したが、これは円高のせいではなく、尖閣問題を契機にした対中国の輸出の減少による
もの
 だ。実際にも輸出が弱まってきたこのあたりから、1ドル90円まで円安方向に戻る
傾向が
 出てきている。しかし円安になっても輸出は増加に転じてはいない。円安だから輸
出が増え
 るのではなく、政治的な理由で輸出が減ってきたから円安になったのだ。

  「しかし現に日本は震災を契機に31年ぶりの貿易赤字になり、さらに赤字が拡大してい
 るではないか」と反論される方もあろう。赤字になったのはその通りだが、原因は原発事
 を契機に化石燃料の価格が高騰し輸入が増えたからであって、輸出=日本製品の海外で
の売
 り上げが落ちたからではない。そのため、日本が赤字を貢いでいる相手は資源国ばか
りであ
 
り、中国(+香港)、韓国、台湾、シンガポール、タイ、インド、米国、英国、ドイツなど
 に対しては、引き続き日本の方が貿易黒字である。つまり幾ら欧米や東アジアか
ら稼いでも、
 丸ごとアラブなどの産油国に持っていかれてしまう状態だということだが、
このあたりの数
 字を確認せずに、日本が新興工業国との経済競争に敗れた、中国(+香港)
や韓国に対して
 赤字になったと早とちりしている人が学者、政治家、マスコミ関係者の中
にもたいへん多い
 のには、筆者は本当に辟易している。

  しかも国際収支は貿易収支だけで決まるのではない。日本政府は世界殼大の借金王と言わ
 れるが、企業や個人は世界に余剰資金を投資している。その結果日本が海外から受け取る
 利配当(所得黒字)は2012年には14兆円と史上3位の水準で、貿易赤字6兆円を
カバ
 ーしてしまった。しかも所得黒字は円安だと増える煩向かあるので、同じく円安だと
増える
 化石燃料代をある程度はカバーしてくれる。

  事実としては、日本は未だに外貨を稼いでいる経常収支黒字国であり続けており、ずっ
 赤字の米国や、赤字と黒字の間を行き来しているユーロ圈など多くの国に比べて国際競
争力
 が劣っているとは言い難い。とはいえこのまま1ドル=百円を超えて円安に戻ってし
まうと、
  今年(2013年)はさらに化石燃料輸入額が増え、他方でもともと減っていな
かった輸
 出は別段増えることがなく、経常収支赤字に転落する可能性もある。円安を歓迎
して株価を
 上げている向きには真剣に現実を学んでいただきたいし、円安誘導で日本経済
再生と唱える
 ような「識者」には、数字を確認してから話をする習慣をつけていただきた
い。

 ●「近経のマル経化」を象徴する「デフレ脱却」論―「日本経済ダメダメ論」の誤り③

 
  こういう話をしてくると、「長引くデフレでどれだけ国民が苦しんでいるのかわからない
 のか」という怒りの声が飛んできそうだ。確かに消費税収の推移を見ても、国内の消費は過
 去15年以上ほとんど増えていない。同じ期間に輸出が1.5倍に増えたのとは対照的だ。
 国際競争力は落ちていないが、国内市場がガタガタ、というのが日本経済の実態なのである
 これを「日本終末党」の論拠の三番目としよう。
  物価が下がり続けるということは、金銭を稼いでいない、貯蓄に頼って生活している層に
 とっては、貯蓄の価値が目減りするどころか増えていくことになり、実は都合のいい話なの
 かもしれない。しかし働いている人や、内需対応型の企業にとっては、自分の経済活動の金
 銭的な価値がどんどんドがっていくという厳しい状態だ。勤労意欲・営業意欲が削がれ、市
 場の成長が見込めないので設備投資や人材への投資も減り、これがさらに経済を冷やしてい
 くという悪循環が生まれる。国外市場の開拓に成功している輸出企業の間では、海外に生産
 を侈していく流れが強まらざるをえない。若い人もフリーター暮らしばかりでは希望を持て
 ず、子どもを産むどころか結婚もできない。結局税収や年金の払い込みも減り、高齢退職者
 の生活も脅かされることになる。くどいのだが、筆者は決してデフレを美化はしない。

                    -中略-
 
  そんな中、執筆している時点で国論を覆っているのが「デフレ脱却」という掛け声である。
 では何をすれば脱却できるのかだが、いわゆる「リフレ論者」と呼ばれる方々の主張では、
 デフレは日銀が金融緩和を怠っているのが原因だ。とにかく世の中に流れるお金の量を増や
 し続ければ、いつかは「これからはインフレになるだろう」と皆が思い始めて、貯金が目減 
 りする前に消費を増やすようになり、内需対応型企業の売り上げが上がって給与も増え、設
 備投資も増え、必ず緩やかなインフレが起きる(‥デフレを脱却できる)という。
  確かに、際限なくお札を刷ればいつかは必ずインフレになる。実際問題、過去十数年間続
 いた金融緩和によって既に世の中に出回った貨幣供給量を考えれば、とっくにインフレにな
 っていてもおかしくないというのが、多くの金融機関の実感だろう。「回るはずのツマミが
 回らないので、ついにはヤットコを持ち出してえいとばかりにひねっていたら、土台ごとバ
 キッとねじ切れてしまった……」というような感じで、さらなる金融緩和の末に突然に極端
 なインフレが起きるという可能性もある。
  そうなれば円安となって輸入品の価格が高騰し、輸入原材料・燃料を使う多くの商品の価
 格が上がってめでたく「デフレ脱却」だが、その場合お金は消費ではなく外貨投資に流れ(
 ギリシャが正にそうなった)、日本経済は今度こそ本当に衰退してしまう。
  インフレがそのように急激にではなく、緩やかに始まるという根拠はあるのかといわれれ
 ば、「リフレ論」にはそれを保証するほどの理論的成熟も実証データの蓄積もない。間違っ
 てインフレが加熱したときにそれを制御できる方策があるのかと問うと、「現に日銀がこれ
 だけ長期のデフレをもたらしているのだから、今度は日銀が金融引き締めをすれば簡単にイ
 ンフレは収まる」という答えが返ってくるのだが、そもそも「今のデフレは日銀のせいであ
  る」という説が正しくない限りは、彼らの言う対策も効きそうにもない。これは結局、信じ
 る人は信じるという話で、賛否の議論が「神学論争」と呼ばれるゆえんである。
  ただリフレ論の信者に、ある共通の属性があることは間違いない。「市場経済は政府当局
 が自在にコントロールできる」という一種の確信を特っていることであり、これを筆者は
 「近代経済学のマルクス経済学化」と呼んでいる。昔ならマルクス経済学に流れたような思
 考回路の人間(少数の変数で複雑な現実を説明でき、コントロールできると信じる世間知ら
 ずのタイブ)が、旧ソ連の凋落以降、近代経済学に流れているということかもしれない。
  実際には日銀は、別段日本経済を滅ぼそうとしている悪の組織ではなく、これまで十数年
 続けた金融緩和が実際に物価上昇につながらなかったという経験をもとに行動している。特
 に小泉改革の時期、2002年から2007年まで続いた「戦後最長の景気拡大」局面では、
 当時史上最大の金融緩和にリーマンショック前の輸出急増があいまって、マネーゲームをす
 る余裕がある層の金融所得が大きく増えたが、個人消費は増えなかった。
  金持ち側から言えば「買いたいものがなかったので、あるいは使うことではなく貯めるこ
 と自体が自己目的化しているので、儲かった分もそのまま金融投資に回してしまった」とい
 うことであり、多くの企業側から言えば「富裕層のニーズに合っていない商品を作りすぎて
 は買い叩かれるという行動を繰り返し、せっかくの個人所得の増加を売り上げ増加に結び付
 けられなかった」ということである。金融機関側から言えば、「借りに来るのは返してくれ
 ないリスクの大きい相手ばかりで、融資がきちんと返ってきそうな事業が見当たらない。仕
 方ないので国債を買う」ということになっている。

 ●真の構造改革は「賃上げできるビジネスモデルを確立する」こと

  なぜこのような困った状況が固定されているのか、2010年に『デフレの正体』(角川
 one テーマ21)を潜いた筆者には、回書に寄せられた「批判」への回答を含め一家言も二
 家言もあるのだが、この本は里山資本主義についてのものなので、詳細な議論は『続こアフ
 レの正体一を書く機会に譲ることとする。
  結論だけを申せば、日本で「デフレ」といわれているものの正体は、不動産、車、家電、
 安価な食品など、主たる顧客層が減り行く現役世代であるような商品の供給過剰を、機械化
 され自動化されたシステムによる低価格大量生産に慣れきった企業が止められないことによ
 って生じた、「ミクロ経済学上の値崩れ」である。従ってこれは、日本経済そのものの衰退
 ではなく、過剰供給をやめない一部企業(多数企業?)と、不幸にもそこに依存する下請企
 業群や勤労者の苦境にすぎない。そしてその解決は、それら企業が合理的に採算を追求し、
 需給バランスがまだ崩れていない、コストを価格転嫁できる分野を開柘してシフトして行く
 ことでしか図れない。同じく人目の成熟した先進工業目である北欧やドイツの大企業、イタ
 リアの中小企業群などは、まさにそのような道を進んでいる。
  これを経済学者の言い回しでは「イノベーション」だとか、「構造改革」だとか呼んでお
 り、そうした企業行動を促進する政府の政策を「成長戦略」とか言っているが、難しく言う
 からわからなくなるので、要するに「企業による飽和市場からの撤退と、新市場の開拓」が
 デフレ脱却をもたらす唯一の道である。
  ちなみに「構造改革」というと雇用切り捨てのようなイメージを持つ人もいると思うが、
 生産年齢人口(15~64歳人口)が今後50年で半減というペースで減少している今の日
 本では、放っておいても働く人の数は減っていくのであり、勤労者あたりの所得を今後50
 年で2倍に引き上げることができない限り、内需は歯止めなく縮小していく。従って今世紀
 日本の構造改革とは「賃上げできるビジネスモデルを確立する」ということであり、「賃下
 げにより足元の利益を確保することで自分の国内心場を年々自己破壊していく」ということ
 ではない。
  賃金2倍などとても無理と思うかもしれないが、現実の世界では、フランスやイタリアの
 ように時給水準が日本より高い国が、日本から貿易黒字を稼いでいる。彼らの主要輸出品で
 あるワイン、チーズ、パスタ、ハム、オリーブオイル、服飾工芸品などがいずれも、コスト
 を価格転嫁できるだけのブランドカを持つ商品であり、現に日本でも高く売れているからだ。
  内需型産業各社も、同じようにコストを価格転嫁できるだけのブランドカを持つことに注
 力し(できない分野からは撤退してその市場は輸入品に任せ)、年平均1%でいいので人件
 費水準を上げて行ければ(別の言い方をするなら、平均年1%勤労者が減っていく中で給与
 総額を横ばいに維持できれば)、日本経済は衰退しないのだ。
  実際問題、日本の1400兆円とも1500兆円とも言われる個人金融資産の多くを有す
 る高齢者の懐に、お金(潜在的市場)は存在する。大前研一氏のブログによれば、彼らは
 死亡時に1人平均3500万円を残すというのだが、これが正しければ年間百万人が死亡す
 る日本では、年間35兆円が使われないまま次世代に引き継がれているという計算になる。
 日本の小売販売額(=モノの販売額。飲食や宿泊などのサービス業の売り上げは含まない)
 が年間て20兆円程度だから、その35兆円のうち3分の1でも死ぬ前に何かを買うのに回
 していただければ、この数字は一割増となってバブル時も大きく上回り、たいへんな経済成
 長が実現することになってしまう。
  今世紀日本の現実は、個人に貯金がまったくなかった終戦直後の日本や、今の多くの外国
 とは訳が違うのである。さらにいえば、高齢者自身が何を買う気がなくても、お金さえあれ
 ば消費に回したい女性や若者は無数にいる。『デフレの正体』で論じたように、あらゆる手
 段を使って高齢富裕層から女性や若者にお金を回すこと(正道は女性や若者の就労を促進し、
 給与水準を上げてお金を隙いでもらうこと)こそが、現実的に考えた「デフレ脱却」の手段
 なのである。OECD(経済協カ開発機構)の日本経済活性化に向けた提言や、IMF(国
 際通貨基余)の提言もまったく同じことを言っている
  別にデフレを悲観して「日本終末党」に入る必要はない。生産年齢人目が減少に転じてか
 ら20年近く経ち、さすがに時代の変化に対応し、新たな市場を獲得し始めている企業も増
 え始めているからだ。だからこそ不景気だ不景気だといいながらも史上最高益の企業が続出
 しているのであり、日本全体の名目GDPも総じて横ばい(円ベースでは敵城、ドルベース
 では微増)を続けている。
  ちなみに、中国、韓国、台湾、シンガポールなどの東アジア新興国・地域でも、日本以上
 の少子化か進んでおり、生産年齢人目は数年以内に減少に転じていくと言われている。日本
 だけが「デフレ」に沈むのではなく、日本で見られる「ミクロ経済学上の値崩れ」が日本の
 「ライバル」の間でも深刻化していくことになろう。
  残念なことに、さらなる金融緩和で事態は解決すると主張するリフレ論が横行すればする
 ほど、旧態依然の低価格大量生産依存の企業に限って政府の助けを期待し、自らの「イノベ
 ーション」「構造改革」を怠ってしまう。彼らは企業でありながらまるで社会的弱者のよう
 だが、これが95年までの一方的な現役世代の増加に甘えてきた戦後日本の資本主義の現実
 でもある。人口増加の上げ底経済の中でだけ存続できた、本来持っているべき経営戦略の欠
 如した企業が滅んでいく過程。その前向きな産みの苦しみが、今の[デフレ」なのだとも言
 えよう。
  以上代表的な「日本ダメダメ論」を取り上げて、その根拠の怪しさを指摘してきた。「日
 本終末党」の数多くの主張というものは軒並み、世の「なんとなく終末気分」という空気に
 流され、数字の裏打ちや論理的な分析を欠いたまま出てきているものであるということは、
 それなりにご納得いただけたとしよう。しかしこの話はそろそろ切りLげて、さらなるそも
 そも論を提示したい。
  以上の話で日本はダメになりつつあるという不安・不満・不信は、払拭されるだろうか。
 困ったことにそんなことでは不安は消えないのではないか。だとすれば、それはいったいな
 ぜなのか。

         藻谷浩介著『里山資本主義-日本経済は安心の原理で動く』pp.251-274

                                   この項つづく

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