SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

コミさん。

2016-02-22 | スナップ

先日、電車でコミさんに遭った。
たまたまだが、結構遭う。
どうもそういう運命みたいだ。
コミさんは大学の先輩で、SWSというサークルで一緒のアメリカンバンドをやっていたが、
私の今の地元バンドのギタリストが知り合いだったり、世間は狭いもんだ。
同じ病気の同志でもある(笑)。
まあ、笑いごとでも無いのだが。








一緒に日比谷線に乗った。










帰りの東横線。













SONY α7Ⅱ、LEITZ WETZLAR SUMMICRON 35mm/F2.0 1969, 6 Element





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多摩川スピードウェイ 跡地 

2016-02-22 | スナップ
多摩川スピードウェイが東横線の多摩川橋梁の川崎側に有ったのは、
知人のFBで知った。
信じれないことだが、戦前の観客席跡がそのまま河原に残っているという。
というか、電車からその観客席の跡は見えている。
行こう行こうと思っていたが、やっと空いた時間に行くことができた。




東急東横線新丸子駅から歩いて12分ぐらいか。
多摩川に行く間には、こんな木造家屋があったりもする。
河原までは意外に距離がある。
15分ぐらいはかかったかなあ。










多摩川に出ると、こんな風景が見える。
当時の1200mのダートのオーバルコースの形がそのまま残っていて、
ここにサーキットがあったのがわかる。
今はサッカーなどのグランドとして使われているのだ。
そのままの状態でだ。










ここのカーブの部分は当時のままだ。













この階段が観客席だったのだ。
数千人が見れて、サーキット全体では3万人が入場できたそうだ。


















1936年6月に開業し、戦争に突入、その後はバイクの草レースが行われたが
いつ廃止になったかは不明。
経営はなんと、今の東急(当時の東京横浜電鉄)。

実は、この場所は、昔は砂利採取のトロッコや貨物線がたくさん走ってた場所でもある。
その場所を知りたいのだが、家が立ち並んでしまって判らない。
高架になった今も、東急の事業用車が並んでる場所があるが、それは当時の貨物ヤードの跡らしい。









ここにたくさんの人が座ってレースを見ていたのだ。

カーチス、フォードなどの外国車、日産自動車やホンダも出場していたらしい。
第1回全国自動車競走大会はオオタ自動車という町工場が優勝して、日産が俄然頑張って、
3か月でDOHCとスーパーチャージャーを装備したフォーミュラーカーを作成して
第二回大会は優勝したらしいが、オオタ自動車は出場しなかったらしく、残念だったと記録されている。(日産HP)
第一回大会で本田宗一郎がクラッシュして、本人が宙を飛んでいる写真が残っている。









なんとなく、当時のレースカーの音が聞こえて来そうだ。










いつまでも残って欲しい。
大田区も重要な歴史と認識しているようで、ちょっと安心だ。











横を東横線が静かに川を渡る。











今の鉄橋はひじょうに静かで、驚く。











この多摩川橋梁は複々線で、写真も実は3編成が写っているのだ。
3本重なっているのがわかるだろうか?











帰りは東横線多摩川駅から帰った。











SONY α7Ⅱ、LEITZ WETZLAR SUMMICRON 35mm/F2.0 1969, 6 Element





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コメント (4)
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