函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

道民は政府にバカにされている!

2021年03月26日 19時13分24秒 | えいこう語る
▼北海道はアイヌ・モシリ(人間が住む静かな大地)と呼ばれた、アイヌ民族の島だ。鎌倉時代の史書では「蝦夷が島」と呼ばれ、江戸幕府は青森以北は日本だと思っていなかったようだ。

▼つい最近まで「北海道・沖縄開発局」が設置され、特別に開発しなければならない、後進地として政府はみていたようだ。

▼政府に対し、いろいろ言いたいことはたくさんあるが、最近一番腹が立つのは、この広大で人口が少ない北海道を、核のゴミの捨て場に選んだことだ。

▼寿都町や神恵内村が、住民が多く反対する【核のゴミ地下埋設場】の文献調査を、2年間で20億円という補助金につられ、議会が受け入れを決定した。

▼シンゾウが得意とした「閣議決定」なるものを、地方議会もまねたようだ。つまり住民を無視した決定だ。

▼釣られた地方自治体が悪いのか、高額な餌で釣った政府が悪いのか?どちらでもない!。そんな流れが出来そうな前に、阻止できない地域社会の体質が問題なのだ。

▼普段から議会を傍聴しない住民も悪い。議会議事録の閲覧をする住民など、ほとんどいないのは、住民ばかりが悪いのではない。

▼傍聴も閲覧も地縁・血縁が強すぎる地方自治体では、常識的に不可能なのだ。主権は国民にあるということすら、間違いではないかというのが、地方自治体の姿だからだ。

▼議会や役所が権力を持ち、住民がそこにものを言えない状態を作り出す「地方自治体」を【痴呆爺体】と私が称したのは、今から30年以上前だ。

▼高齢化が予測されていたので、揶揄した名称だが、まさしく団塊世代の私、そのものが【痴呆爺体】になってしまったのだ。やはり若者たちの蜂起に期待するしかない。

▼その蜂起をさせまいとNUMO(原子力環境整備機構)は、寿都町と神恵内村に、住民と対話するための交流施設を建設した。

▼【獅子身中の虫作戦】だ。敵の体内に入り込み、体内を食いちぎり、死滅に至らしめる作戦だ。原子力の専門家と、何も知らない住民とでは、勝負は見えているからだ。

▼原子力科学者であった反原発の故高木仁三郎は『原子力を専門家ばかりに任せるのではなく、国民もしっかり学ばなければダメだ』と話している。

▼知らない者が知っている者に戦いを挑んでも、勝負にならないということだ。大人と小学生が争っても、大人が勝つに決まっているからだ。

▼寿都町や神恵内村の住民たちだけの戦いにしてはならない。核のゴミ問題は道民全体の問題として、国家との戦いを挑まなければならない。

▼両町村の周辺自治体は、核のゴミ埋設場反対の意思を示す【放射性廃棄物の持ち込み禁止条例】を次々採択し始めている。「囲い込み作戦」だ。他の全市町村もそれに続いてほしいものだ。

▼我が函館市議会といえば「寿都・神恵内問題」について、他の自治体のことだをとし【関係ない】?を採決した。

▼函館市議会は大間原発建設に、全会派一致で反対し、国を提訴している。だが、他の原発のことは“関係ない”としている。さらに、大間原発は「建設中止」ではなく【建設凍結】という言葉を入れた。

▼今年の冬は、寒さが厳しく周囲でも水道管の“凍結”や破裂が目立った。だが今は、春の日差しを浴び、雪も氷りも融け春が輝いている。

▼国は原子力のエネルギーを、22%としている。つまり再稼働を必ず行うということだ。もし憲法が改正されたとしよう。

▼自民党改憲草案では、現憲法が人権は「公共の福祉」に違反しない限り守られるとあるが改憲草案では【公益や公の福祉】に違反しない限りとなっている。

▼何度も繰り返すが、原子力政策は“国策”なのだ。それに反対すれば「公益や公の福祉」に反するということになる。函館市の訴えなど、立ちどころに消滅し【凍結解除】だ。

▼春がやってくれば凍結も解除されるという、アイヌ・モシリ(人間が住む静かな大地)に、私たちは住んでいる。

▼そんな道民の一人である私は「凍結」は、必ず融けると信じている。原発反対運動に参加しているが「原発凍結」という言葉に、私はいまだに「拒否反応」を示す。

▼さらに言えば、原発に“凍結”という言葉を使うこと自体が、原発反対の本質から大きく離れていると考えている。

▼核のゴミ問題に戻そう。政府は行き場のない核のゴミ処分場を、北海道に決めた。「蝦夷が島」や「アイヌ・モシリ」は、金をばらまけばなびくとバカにしているからだ。

▼そう考えれば、ウポポイ(民族共生象徴空間)も、真にアイヌ民族の人権を確保するための施設ではないような気がする。

▼北海道を守るため、道民一揆を期待したい。【アイヌ・モシリの戦い】だ。「人間が住む静かな大地」を守る戦いだ。それは「国民主権」と「民主主義」を守る戦いともなるはずだ。

▼【北海道民は、恒久の平和を念願し、道民相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する全道民の公正と信義に信頼して、道民の安全と生存を保持しようと決意した。道民は平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭をアイヌ・モシリから永遠に除去し、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを、ここに宣言する】と演説し終え・・・

▼【立ち上がれ北海道!】と叫んだところで、昨日の夢から覚めた。夢の中で私は、ウイリアム・スミス・クラーク博士になっていたようだ。

    道民よゴミになるな
             三等下

標語について考える

2021年03月26日 19時13分24秒 | えいこう語る
▼市井にはポスターや看板が溢れている。流れゆく大河のような人の波、その中で「主張する」という作業は、作者や依頼主の思いを、瞬時に理解させ、他を圧倒させる「感性の戦い」ではないだろうか。

▼さらに、心に訴えるのは【標語】だ。固形ブイヨンにお湯を注ぐごとく、その短いフレーズが観る者の感性を刺激し、饒舌に語りかけるからだ。

▼心に残る標語がある。今から50年以上前の、私が20歳ぐらいのことだ。消防庁が発行する防火ポスターが目に入った。そこには毎年全国から募集し、選ばれた防火標語がある。

▼防火ポスターは、足をとめてじっくり見ることはない。「火の用心」に気をつけなければならないと、ちょっぴり感じるだけで素通りだ。だが、その標語は違った。

▼【今捨てた煙草の温度は700度】。当時は歩きながら煙草を吸っている人が多かった。横断歩道の前は、吸い殻がたくさん落ちていた。

▼「700度」もあるのかと衝撃を受けた。それから外での投げ捨ては止めた。30代中頃で禁煙したが、その標語が心の隅にあったせいかもしれない。

▼開催も危ぶまれる五輪・パラだが、モットーは「United by Emotion」=【感動で私たちは一つになる】だという。森喜朗一人が理解できなかったのだろう。すべてを台無しにしてしまった。

▼【欲しがりません勝つまでは】という標語は、戦後派の我々でも知っている。戦争中の物資欠乏時代に、国民に呼びかけた言葉だ。

▼「大東亜戦争一周年記念・国民決意の標語」の大募集があり、32万人余の標語の中から選ばれたものだ。賞金は100円の国債だったという。

▼選ばれたのは都内の小学5年生の女の子だ!。当時小学6年生だった、作家の半藤一利さんは「5年のおなごが考える言葉ではない。大人に違いない」と思ったそうだ。半藤さんの著書「昭和史B面」平凡社からだ。

▼だが戦後20年余ほどたってから、本当の作者はこの子の父親で、天理教の教師だったという。子供まで利用した戦争標語だが、短いフレーズで、心を射抜いた標語は、これに勝るものはないだろう。

▼今日は標語について考えてみたが、コロナ禍での「三密」「時短」「緊急事態宣言」など、政治家の言葉を聞いていると、コロナがさらに勢力を増せば【欲しがりません勝つまでは】に似た言葉が出てきそうな気がする。

▼さらに国民が政府の命令に従わなければ「治安維持法」をつくり「戒厳令」も発令しそうな感じに思えるスガ内閣だからだ。

▼我が国は、世界でも有数な製薬会社があるのに、自国のワクチンも開発できず、米国から輸入している。

▼そんなワクチンを体内に注入すれば、シンゾウと同じ【対米中毒】になり【日米人】になってしまうのではないかと心配する。

▼それに、無理やりワクチンの接種なんて、コロナ菌を植え付けられるようで、かなり心配だ。
昨夜「731部隊」の本を、少し読み返してみたせいかも知らないが。

▼コロナウイルスの発生元と言われる【中国科学院武漢病毒研究所】。中国で人体実験を行っていた「731部隊」は【関東軍防疫給水部】という。

▼中国の「生物兵器」!?ではないかと、歴史は私に語りかけてくる。嫌な世の中になってきたものだ。