函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

空は晴れても心が晴れない

2018年10月14日 20時39分15秒 | えいこう語る

▼新緑の春、情熱の?(そんなに若くないけど)夏が過ぎ
、紅葉の美しさに心を奪われる物思う秋を迎えているが、
今年は、過ぎ去った月日全体が、鈍色の冬の日のように彩られているような感じだ。

▼今年を振り返り、何も楽しいことがなかったというような、喪失感に襲われたような気分だからだ。もしかして、アベ総理やトランプ大統領のせいではないかと、いつものように自分を除いて犯人探しをしてしまうが、どうやらそんなことでもないようだ。

▼今朝(14日)の北海道新聞のコラム「卓上四季」の、こんな言葉に目を奪われた。気象学者の倉島厚さんのエッセイの中で【秋忘れ】という言葉がある。本来は秋の収穫を祝い、農作業の労苦を忘れるという意味だという。

▼だが、今年はそんな気持ちになれない。本当に今が秋なのかも実感できないでいる。その原因は、どうやら9月に起きた「胆振東部地震」のようだ。

▼地震が発生した場所は、私が住む地域とそう遠くはないからだ。他人事ではない皮膚感覚があるからだ。それに「山津波」という、私の地域とも類似した地形だからだ。 

▼私の家は、海の目の前にあるので、地震の時は海ばかり心配している。裏山の崩壊というのは、地震の時の恐怖が海と山とで数倍増した気がするからだ。

▼今年は北海道と命名されてから「150年」。私たちはこの広大な大地に何か迷惑をかけてきたのではないかという、そんな気持ちに駆られている。

▼3:11の東日本大震災と福島原発の爆発事故の時、当時の石原東京都知事は【罰が当たった】と発言した。もちろん顰蹙(ひんしゅく)をかったが、文明の進歩の影に自然を破壊し続けてきた人類への、痛切な叱責に私は聞こえた。

▼近年の相次ぐ自然災害、地球が人類に対し反乱を起こし始めたのではないかという、そんな気もしてくる。そんなもやもや感が蔓延している昨今、読書しか救いの道はないような気がして、私の地域にやってくる移動図書館に足を運んだ。

▼以前、詩の先生に薦められよく読んだ、芥川賞作家宮本輝の「真夜中の手紙」という本を借りて、さっそくその夜布団の中で読んだ。

▼宮本さんも2000年頃からインターネットを始め、その後読者と登録性のブログを始めたという。夜中に酒を飲みながら落語を聞いたりジャズを聞いたりして書いたものを、本にまとめたものだ。

▼本は、くしくも2011年3月12日から始まる。「被害を受けた方々、いちにちも早く立ち直っていかれるようにと願っています。」・・・から始まり、会員たちとのコメントのやり取りが掲載されている。

▼3月15日の宮本さんのブログ。「16年前の阪神大震災の時のちょっと面白い話でも。もう笑ってもいいだけの年月が経ったからねぇ。神戸のラブホテルがほとんどペシャンコに壊れてしまって、中で何組かのカップルが亡くなりました。男の方の身元が分かり奥さんに連絡すると「そのままううっちゃといて下さい」といって、本当に引き取りにこなかったそうです。」・・・あまり笑える話じゃないなぁ。

▼そんな楽しい本に巡り合い、今晩も続きを見るために布団に入るのが楽しみだ。

▼もう一つ、図書館に関するブログです。「図書館は新刊本が出たら、せめて半年ぐらいは貸出してはいけないと思います。それはあまりにも仁義に反しているよ。書店ばかりではなく出版社にも」。

▼今年になってから、私は出たばかりの本を図書館に頼んだ。少し待っていたら、用意できましたとの電話が図書館から入った。まだ誰もが開いてもいない感じがひひと伝わる、活字の匂いが新しい本だ。

▼館員に尋ねたら「館長さんから購入がOKされたので」と返ってきた。私はラッキーと思い、次にまた同じことをした。そのことを自慢げに自分のブログにも書いた。

▼宮本さん大変失礼しました、今後そのようなことは決して慎みます。・・・会員ではないけど「かわぐちえいこう」からの、2018年10月14日のコメントです。

▼モダンジャズのピアニスト、ビル・エヴァンス。51歳で亡くなったが、その話がまた秋の夜長にぴったりな物語だった。今日(14日)の午後、さっそくビル・エヴァンスを聴いてみた。彼の軽快で上品なピアノが心に響いた。

▼エヴァンスの話は、そのうちに。・・・この話は、落ち込んでいた私の気持ちが、やっと秋晴れを素直に受け止めることができた感じがしたからだ。