ロレアル社創業者と娘婿とファシストグループ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
ロレアル社が支援したファシストグループとファシスト - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
第二次大戦中ナチスやファシストが狙ったのはコミュニスト、そして“正統派”ユダヤ人では? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
ロレアル社の創業者と娘婿がファシストグループとかかわっていたこと、そしてそのグループについて書きましたが、ロレアル社の日本語版ウィキペディアはこのようになっています。
抜粋:
1904年にパリテックの化学学校(ENSCP)を卒業した化学者のウジェーヌ・シュエレール(Eugène Paul Louis Schueller)は、1907年に画期的なヘアダイの開発に成功した[1]。パリジェンヌの間にあって、頭髪のカラーリングはすでにファッションの一つと見なされていたが、それまでのものは強い薬品を使用し、危険でありなおかつ仕上がりも不安定だった。彼がl'Auréaleと名付けた新製品は安全性が高く、これをパリのヘアサロンに売り歩いた。1909年7月30日、シュエレールは後のロレアルの原型となる「フランス無害染毛株式会社(Société Française de Teintures Inoffensives pour Cheveux)」を設立[2]、当時より会社の基本理念は「研究開発と美しさのための革新」であった。会社設立翌年にイタリア、続いてイギリスやアメリカ合衆国に進出し、第一次世界大戦後には国際的な成功を得た[1]。
1925年にロレアルドールと称するヘアライトニング製品を発表[3]、1928年にバスソープを扱うSociété des Savons français(後のモンサヴォン)を買収し子会社化、1939年4月4日、社名をロレアルに改めた[2]。新製品の開発に加えて広告業にも長けたウジェーヌ・シュエレールは、パリの建築物のファサードをヘアローションの大型広告で埋める大胆な宣伝を駆使した[1]。他方第二次世界大戦中、ヴィシー政権下で反ユダヤ主義および反共主義活動に協力し、ロレアル本社でファシズムの勝利を歓迎する会議を開催したが、実はナチス・ドイツに反抗的だったとする知人の証言を根拠にエピュラシオンは無罪となった[4]。
1945年にモンサヴォン出身のフランソワ・ダル(Francois Dalle)が新たに社長に就任、1957年にはCEOとなり、1967年に株式上場企業となった[1]。この間も企業買収による事業拡大が続き、1964年に香水および化粧品ブランドのランコムを買収し子会社化[3]、1968年にアンドレ・クレージュの株式の50%を買収[3]、1970年にスキンケアブランドのビオテルムを買収[3]、1973年には製薬事業への参入を見据えてサンテラボ社(Synthélabo、1999年に企業合併でサノフィとなる)を買収した[3]。
責任はとらされず。
ミッテラン元大統領などが中心でもみ消しを手伝ったのでしょうが、ロレアル社は、戦後もこのファシストの仲間たちを子会社の重役にしたりしているのですよね。
Cagoule (Osarn) — Wikipédia (wikipedia.org)
もともと、このファシストグループは、イタリアのファシストとも通じていたと思うし、やり方がそれこそグラディオ作戦と同じ。
抜粋Google翻訳:
La Cagoule(カウル、アクションフランセーズのナショナリストであるモーリスピュジョによって造られたプレスニックネーム)は、正式にはコミテシークレットダクションレボリューションネア(革命的アクションの秘密委員会)と呼ばれ、フランスのファシスト寄りで反共主義のテロリスト[1]グループでした。 1935年から1941年まで、第三共和国の最後の年に、そしてヴィシー政権にその活動を促進するために暴力を使用しました。
左翼の人民戦線政府を打倒するために設立されました。 LaCagouleはEugèneDeloncleによって設立されました。とりわけ、化粧品会社ロレアルの創設者であるウージェンヌシュラーは、秘密の運動を資金援助しました。
このグループは、暗殺、爆撃、兵器の妨害、およびその他の暴力的な活動を行いました。その中には、共産主義者に疑いを投げかけ、政治的不安定を増すことを目的としたものもありました。 1937年11月に政府の転覆を計画していたラ・カグールは警察に潜入し、国政府は約70人の男性を逮捕して投獄しました。第二次世界大戦の勃発で、政府はフランス軍で戦うために男性を解放しました。一部は他の右翼組織を支援し、ヴィシー政権に参加しました。他の人々はシャルル・ド・ゴールの自由フランス人に加わった。政府が1937年の容疑で生き残ったメンバーを裁判にかけたのは1948年になってからでした。[2]
欧州の戦後-1(グラディオ作戦は米国CIだけでなく仏、英、ベネルクス3国(遅れて独、伊)の共同作戦) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
共産主義と闘いながら共産世界を目指すエリートもいる - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
ともかく、このCagouleの責任を取らないままでは、フランス、西側は「偽正義」を堂々とやり続けることでしょう。
参考:
サルコジを脅かす執事の盗聴テープ|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)
ストラスブール大学に保管されていた「ナチス人体実験」の標本 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
ミッテラン元大統領-極右から左派、植民地主義者 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)