病院ではスマホしか使えなかったので、私の入院の連絡は家のパソコンで夫や息子から国内外の友人やペンフレンドにしてもらいましたが、息子が送ったメールの送り先にもれがあると気付いたイタリアのペンフレンドがフィンランドのペンフレンドに、アメリカのペンフレンドがフランスのペンフレンド2人とスウェーデンのペンフレンドに、スペインの友人がイタリアの友人に連絡。
私のパソコンに届いたメールは夫と息子がチェックして、入院中彼らのお見舞いや励ましメールはスマホのアドレスに転送してもらって読むことができましたが、英語のメールのやり取りをスマホでする時間も気力もなし。
前々回の記事に書いた通り、左手でキーボードを打つこともリハビリ病院のSTのKさんのおかげで比較的楽にできるようになったので、退院後すぐ彼らとも通信をはじめています。
そのなかで、シェアメールのなかで早速コロナを話題にしてきた友人が一人。2月の時点では、誰よりもコロナウィルスを脅威と捉えていた彼女が今では「コロナウィルスは政治的」とまで言うようにになっていました。
それに対し同調する人、話に加わらない人、元々は同じ意見だったので同調することを期待されるけど、意見が変わって彼女を失望させる人と、ちょっと気まずい空気が。
私は
「うん、私は約4カ月、TVも新聞もパソコンもない状態だったのであまり話せないのだけど、たとえばスペインなどは緊急事態宣言を出す一方、10月20日から自転車レースのブエルタ・ア・エスパーニャが開幕したり(イタリアでジロ・デ・イタリアが開幕して、選手がコロナに感染していたようですね。)、コロナにはご都合主義的なことが少なくないと思っているわ。
私は入院中、リハビリでエンデの「モモ」を音読していました。この本は子どもの頃に読んだけれど内容は覚えていなくて、数年前に図書館で借りたものの、触りを読み直して返してしまったもの。
この本には「組織的時間泥棒の灰色の男たち」が出てくるのだけど、今のコロナにも、「時間泥棒ではない、正義面した灰色の男たち」がいるんじゃないか、と思う。そういうものたちの怪しさを見抜ける存在が必要だわ。」
と、本の話にすり替えて、彼女に同調しました。
ところでスペインの自転車レースの話、スペインの友人によると、
「コロナでロックダウンされていたある人の村に、自転車レースが通ると知らされたときにはロックダウンが解除されていたらしい」とのこと。
また、ある町にこんな皮肉な内容が書かれた看板の写真も送ってきてくれました。