Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

原発と外交-アルメニア原発放射能漏れを疑うトルコ-2

2011年10月31日 | 原発・核・311

アルメニアの原発についての記事を書きましたが、

(『原発と外交ーアルメニア原発放射能漏れを疑うトルコ-1』

(http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20111028)

アルメニアのメツァモール原発の多くの従業員(上級技師を含む)は、賃金が低いと言うことで1021日にこぞって退職して、賃上げ交渉をしていました。(当局が再度の賃上げを認めたのが24日。)

この従業員の大量退職を受け、95日から定期点検と燃料補給のために停止中のこの原発、トルコの地震(10月23日)のときには、稼働はしていなかったように思えます。この記事が真実ならば。

(停止していたとしても、放射能漏れは起こす可能性はあると思いますが。)

Radio Free Europe Radio Liverty (2011.10.24)

Employees Go Back To Work At Armenian Nuclear Plant After Pay Rise

http://www.rferl.org/content/workers_to_rejoin_armenian_nuclear_plant/24370085.html

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福島原発5号機と6号機も危険?

2011年10月31日 | 原発・核・311

福島原発で、5号機、6号機も危険(メルトダウン)と言う指摘をしている記事と映像を。

Radioactive.eu.com (2011.10.28, 2011.10.30 アップデート)

Cold Meltdown in reactor No.5?

http://radioactive.eu.com/index.php?option=com_content&view=article&id=368:meltdown-no5&catid=38:fp-rokstories&Itemid=212

これが本当に危険な状態であるかは私にはわかりませんが、少なくとも「疑いがある」と言う情報は、政府や東電は国民に発信するべきではないでしょうか?

(10/31夕方、内閣府の園田康博政務官が5,6号機から出た汚染水を飲むパフォーマンスをしました。これはもうすでにこの5,6号機の話は有名、ということでしょうか?11/1追記)

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「アジアに星条旗を立てる」とさえ言う米国の為のTPP

2011年10月30日 | 武器輸出・TPP・モンサント・農薬

産経新聞にあった記事ですが、これを読むと「米国が自国に経済的メリットを得るためのTPP」、「中国に対向するためにアジア諸国をコマにするTPP」「アジアに星条旗を立てるためにもTPP」と米国大手シンクタンクは言っているように、私には思えます。

日本で記事にされることも分りきっているのに、こうも堂々と言われるのは、彼らの頭には「日本はアメリカの忠実な僕」という認識がこびりついているからでしょうか。

産経新聞(201110292245分)

米のTPP交渉加速 背景に対中牽制の意図

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111029-00000580-san-int

[ワシントン=佐々木類] 米国が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の枠組みづくりを急ぐ背景には、世界第2位の経済大国となった中国をにらんだ「経済安全保障上の要請」がある。

 米シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)のマイケル・オースリン日本部長は、「アジア太平洋諸国間の経済関係が深まれば中国を牽(けん)制(せい)できる」と言い切り、日本の参加に期待を示す。

 米国のアジア太平洋地域での基本的な外交方針は民主、共和両政権を問わず在日米軍基地など軍の前方展開とともに、同盟国や友好国との経済連携を強化することにより、米国自身の通商上の利益と安全保障を高める戦略だ。

 クリントン国務長官は今月14日、ニューヨークで行った講演で、経済と安全保障の関係について「経済は戦略であり、戦略とは経済のことだ。戦場と同様、世界の安全保障は会社の重役室でも形づくられる」と述べ、経済安保戦略の重要性を強調した。

 しかし、これまでの米国自身の取り組みを批判する意見もある。

 ワシントンのシンクタンク「新アメリカ安全保障センター」(CNAS)のリチャード・フォンテーヌ上級研究員は、「オバマ政権の取り組みは遅く、アジアにおける米国の経済上のメリットだけでなく、戦略的な影響力の維持を危うくしている」と指摘する。

 オバマ大統領は、韓国やパナマなどとの自由貿易協定(FTA)の実施法案に今月21日に署名し、批准手続きを完了させたが、ブッシュ前政権も含めて「2007年以降、2国間貿易協定の締結を怠ってきた」(フォンテーヌ氏)という。

 フォンテーヌ氏は、この間、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国など、「米国と深い関係にあった国が米経済離れを起こす一方、中国がこうした国との関係を強めていった」と危惧を示す。

 ピーターソン国際経済研究所のゲーリー・ハフバウアー特別研究員は「外交政策上、将来の経済モデルを中国に作らせないためにも、米国はアジアに星条旗を立てようとしている」と戦略上の狙いを解説する。

先日、竹中平蔵氏がトーク番組で、

「アメリカは、11月に開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議で結論を出したいと考えています。

 先日ワシントンの関係者と話す機会がありましたが、米国通商代表部(USTR)は、実のところ日本にTPPへ参加してほしくないのが本音だそうです。

 なぜなら、現在9カ国が参加交渉中のTPPはすでに紛糾しており、日本にこれ以上ややこしくしてほしくないから。つまり、我が国はそこまで見限られつつあり、一刻も早い行動が政策として喫緊の課題だと思います。」

JBpress (20111021

『日本のTPP参加を望まないのが米国の本音?

交渉に参加して自国に有利な条件を認めさせよ~竹中平蔵氏が語る』

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/26378

と言っていたようですが、“竹中氏が言う米国通商代表部の本音”だけを信じて、日本は「今回は遠慮させて(見送らせて)いただきます」と言えば、丸く収まるのではないでしょうか?

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バンコクのジェーさんからのメール、カストロの演説

2011年10月29日 | 友人・知人

洪水の安否確認メールをしていたタイ、バンコクのジェーさんから連絡がありました。

(ジェーさんについてはこちら:『ジェーさんの転職と社内英語公用語化』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20100708

My house in Bangplad area started to flood on October 22, the day I left home (October 24) the water level was around knee.

I heard from the news that now flood level around my neighbourhood is around 1 metre + and has been declared a mandatory evacuation zone.

I have moved to the place near my office in Samutprakarn, hoping this area will not be affected by flood.

彼女の家があるバンプラッド地区は1022日から浸水、ジェーさんが家をあとにする24日には膝までの浸水、現在は1メートル以上の水嵩だとのこと。そして転居(避難)先でも浸水しないか怯えている状態。

このバンコクの様子ですが、アルジャジーラの記事のなかに写真があります。

(一番上に23枚の写真があります。矢印をクリックしてページ送りをしてください。)

Aljazeera (2011.10.29)

Flooded Bangkok's defences hold

http://english.aljazeera.net/news/asia-pacific/2011/10/2011102933224107508.html

飛行場も水浸し。市内はもう河のよう。

洪水が収まったあとも、人的はもちろんですが、経済的ダメージの大きさは、今の時点でもはかりしれません。

近年は地震や火山の噴火といったことから、大雨、台風、竜巻といった異常気象による被害も多いです。

この異常気象、CO2による温暖化と異常気象というのは、因果関係は確かではないというものの、私にはやはり自然破壊を人間がしているツケを払わされているように、私には思えます(被害を被る人たちは一番罪とは無縁と思える人たちの場合が多いのがやり切れません。)

以前、キューバのカストロが、

「環境を台無しにするライフスタイルや消費習慣を第三世界に移すのを止めよ。人間の暮らしをより合理的にせよ。公正な国際経済秩序を採択せよ。汚染なき持続可能な開発を達成するために科学を用いよ。対外債務ではなくエコロジーの負債にこそ支払え。人類ではなく、飢餓をこそ根絶せよ」

(吉田太郎さんという方の、「アグロエコロジー・ブログ」より引用

http://agroecology.typepad.jp/blog/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90/page/2/ )

と演説で述べていましたが、この最後の「人類ではなく、飢餓こそ根絶せよ」は、「兵器で人を殺すのではなく、戦うべき相手は飢餓」という趣旨だったと思います。

世界的不況で失業、社会保障の基盤が弱い国では飢餓があり、それに追い討ちをかける天災被害、影響。

この飢餓云々の部分のみならず、カストロのこの演説を「社会主義者の言葉」と切り捨て軽んじていた人たちも、今はもう一度よく考えるべき、ぎりぎりの段階なのではないでしょうか。

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原発と外交-アルメニア原発放射能漏れを疑うトルコ-1

2011年10月28日 | 原発・核・311

トルコ国境に近いアルメニアの原発の放射能漏れについて、トルコとアルメニアでもめているようです。

産経新聞 (20111026日)

アルメニアがトルコ非難 地震で「原発損傷」と報道http://sankei.jp.msn.com/world/news/111026/asi11102620560005-n1.htm

トルコ東部地震の影響で震源地に近い隣国アルメニアの原発から「放射性物質が漏れた」とトルコ紙が23日の地震発生直後に報道、アルメニア側はこれを否定しトルコの反応を「政治的」だと非難する一幕があった。同原発が旧ソ連型で「世界一危険」とされることや、両国の歴史的対立が背景にある。

 トルコ紙は同国原子力機関の話として、両国国境から十数キロにあるアルメニアの老朽化した原発が損傷し、放射性物質が漏れたと伝えた。同国エネルギー・天然資源省は24日「その事実はない」との声明を発表した。

 アルメニアのメディアによると、同国の原発担当閣僚は、トルコはアルメニアに新規原発を造らせず、電力不足の状態を続けさせたい政治的意図があると強調した。(共同)

さて、上記記事には原発の名前が書かれていませんが、この原発は「メツァモール原発」といって、一度旧ソ連が停止させたものを、西側諸国が稼働させてしまったものです。

詳しくは、廣瀬陽子氏の『世界で最も危険な原発、アルメニア原発』(SYNODOS JOURNALhttp://webronza.asahi.com/synodos/2011051300002.html に書かれていますので、是非お読みください。

この原発を再稼働させてしまったことについては、廣瀬氏のレポートにあるように、それなりの背景があり、アルメニアの電力不足のためには致し方ない部分があったでしょう。

しかし西側諸国は軽薄、そして旧ソ連に関しては、原発を止めた英断は評価できますが、旧ソ連にはもともとこのような原発を作ってしまった罪があり、そして米ロの外交上の対立が間接的にアルメニアのエネルギー問題に打撃を与えている部分もあると思います。そしてアルメニアの外交ベタもこれに輪をかけてしまっている。

外交といえば、今回「放射能漏れ」とアルメニアを避難しているトルコとて実はギリシャ、キプロスあたりから、「地震があるのだから、原発など作るな」と言われているのに強行しようとしている身。

トルコはアルメニアと違って、むしろ米露を振り回す役割をするくらい強か、頼もしくさえみえるときがありますが、この原発問題に関しては、理屈にあわないことをしているようです。

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ロナルド・ドーア氏と"Various Topics"

2011年10月26日 | R.Dore

先週、社会学者のドーア氏からメールが入り、「今日本にいます。今回は帽子を持ってきました」というようなメールが飛び込んできました。

この帽子とは、2008年の秋に、パリに出向していた友人Hと私がパリ経由でイタリアに住むドーア氏を訪問したときに、Hが御宅に忘れてきたボルサリーノのフエルト帽。

気がついたドーア氏がHに「郵送で送りましょう」とおっしゃってくれたものの、Hは、「いえ、帽子は預かっておいてください。これで『帽子を取りに行く』との名目で、再訪させてもらえるきっかけができました」などと言って、「無骨なわりに、気障なことを言えるもんだ」と私を感心させていたものの・・・結局Hはイタリアにさえ行くこともなく、フランスから帰国してしまっていました。

そして今回、ドーア氏は日本に帽子を持参してくださったと言います。

今回の来日以前にも何度か日本にこられているドーア氏ですが、今回は急に思い立ったのか、それともご家族に無理やり持たされたのかは分りませんが、とにかくかさばる帽子をわざわざ持ってきてくださる律儀さ、ますます彼のファンになりました。

さて、ところで実は私は来年の3月にトモエさんと一緒にイタリアに行く予定です。そのときにもしご都合があったなら、ドーア氏を再訪させてもらおうと思っていたこともあり、イタリアでのドーア氏の密着取材をした話が書いてある、故柳原和子さんの『さよなら、日本』(株式会社ロッキング・オン発行)を読んだところでした。

この本なかに、

「日本、というより日本人、個々の日本人を見つめるのが私の趣味であり、意味のある行為だと考えています。これから合理的な世界を作り上げていく上で、個人が国籍を離れて世界を見つめなくてはならない。」

というドーア氏の言葉が紹介されていました。

著名な学者であれば、世界各国に友人・知人がいてもそれは当たり前であると思いますが、ドーア氏の場合、とにかくその層が幅広い-実際に繋がりがなくとも、私が話す一般の人々-息子から、生活保護者から、職場の同僚、主婦仲間、議論仲間、海外の友人達-の様子や意見を大変興味深く聞いてくださったり・・・。

このブログの題名”Various Topics”、実はこれはドーア氏が以前にくださったメールの表題”Various”を取ったものです。それだけ真面目な話からくだらない話まで興味を持ってくださるドーア氏。

私は彼の主張すること全てに頷けるわけではないですが、それでも彼の言うことに頷けることが多いのは、著名になろうとも、実際の世を見ることに重点をおき、それぞれの立場の人たちに関心を持ち続け耳を傾ける-“初心”を忘れない学者だから、ということがあると思います。

学者のみならず、政治家などは特にドーア氏の姿勢を見習って欲しいですね。

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“カダフィ殺害映像を検索する人”と”無人機空爆を正当化する米政府”の共通点

2011年10月25日 | 海外ニュース・できごと

私が使っているこのOCNのブログでは、このブログの記事をどのキーワードで検索しているのかを知ることができるのですが、カダフィ殺害のあと、「カダフィ殺害映像(or 動画)」というようなキーワードを使っている人が案外いるのに気がつき、薄ら寒い気持ちになっています。

(私は『カダフィ殺害』については書いたものの、生憎(!)映像もリンクも貼り付けていませんから、私のブログを見たそういう輩はがっかりしたことでしょう。)

このキーワードで検索しているのは、「人が殺される場面を見たい」「血なまぐさいシーンを見たい」という人たちがほとんどなのではないかと思いますが、映画やゲーム感覚で、(いくら独裁者であろうと)人が死ぬシーンを興味や楽しみ半分で見たいという欲望-人間は残酷な動物であるのかもしれませんが、そこは普通の感覚を持った人間なら無意識に理性が働くものだと思います。

しかし、今はより動物に近づいている人が増えているのかもしれません。

さて、「殺害」といえば、オバマ政権になって米無人機攻撃が拡大していることについての記事が、23日の東京新聞(ワシントン、竹内洋一記者)にありました。

ここから一部引用します。

(前略)

現政権下で急増

米シンクタンク「新アメリカ財団」の集計では、パキスタンへの無人機空爆はブッシュ政権時代の2008年には年間33回だったのが、オバマ政権になって急増。09年には53回、10年には118回行われた。今年も今月20日現在で64回に達した。米政府は無人機攻撃の詳細は公表していない。

オバマ政権が無人機への依存を強めるのは、まず費用対効果が高いためだ。米空軍が保有する最新型のMQ-9「リーバー」は約1,700万ドル(約13億円)。約35千万ドルのステルス戦闘機F22に比べて格安だ。

無人機なら米兵の犠牲もない。最新型の無人機は、米本土でコンピューター映像を見ながら操縦。オペレーターは通信衛星によって空爆できる。

「ゲーム機感覚」

一方、無人機攻撃はまだ精密さに欠け、民間人の巻き添えや誤爆が最大の難点だ。新アメリカ財団によると、04年以降、パキスタンでの無人機攻撃による死者は最大2,634人で、うち471人は民間人。この事態が反米感情をあおっている。

パキスタン政府は領内への無人機攻撃を渋々黙認しているが、主権侵害だと不満を募らせる。同国の上下両院は今年5月、無人機攻撃は国際法違反だとして、即刻停止を求める決議を全会一致で採択した。

国際法に触れるとの疑念は国連でも指摘されている。昨年5月の国連と区別報告は、「敵対行動に直接関与していない民間人」を空爆対象にすれば、民間人保護を定めた国連人道法に抵触する可能性を示唆。無人機攻撃をめぐり「テレビゲーム機感覚で人命を奪う危険がある」と疑問を投げかけた。

これに対し米政府は、「自衛権に基づく正当な攻撃だ」と反論。

(後略)

この記事で、(国連が、)“無人機攻撃をめぐり「テレビゲーム機感覚で人命を奪う危険がある」と疑問を投げかけた。”と書いてありますが、おそらくは「米国はゲーム機感覚で人命を奪っている」と訴える声が多くあると思います。それが米政府によって封じ込まれているだけで。

先の、ゲームや映画にあきたらず、興味本位で「本物の殺害映像」を探す人たちと、この米政府-ともに「軌道を逸していて、人殺しもバーチャルな世界での出来事にしか思えない」という点で共通点があるように思えます。そして2者は共に通常は常識的に振る舞い、「自分は普通の人(集団、国)」と思い込んでいるでしょう。

さて、米政府の軍事行動関係ついでに、今朝読んだ記事も一つ紹介します。

WSJ日本版(20111015日)

アジアの米軍兵力削減せず=パネッタ国防長官

http://jp.wsj.com/World/node_330818

[東京] 東アジア歴訪中のパネッタ米国防長官は24日、米軍横田基地に到着し、同基地で行われた米軍人ならびに自衛隊員との集まりで、米軍はイラクとアフガニスタンから撤収する結果、兵力をアジアにもっと振り向けることができるようになると述べた。米政府が厳しい財政状況の中でも、中国の急速な軍事力増強を監視する決意であることを示したものだ。

パネッタ長官は、財政面の圧力は強いとしながらも、アジアに展開されている米軍が削減されることはないと指摘。10年間にわたったイラクとアフガンでの戦争が終結した後には、米国は次の最優先地域をアジアに置いていると強調した。

 国防総省当局者は、他の地域の兵力を東南アジアやインド洋などアジア地域に移動させ、同地域での米軍のプレゼンスを拡大する方策を検討していることを明らかにした。

 パネッタ長官のメッセージは、予算削減によりコストのかかる地上軍や空母のアジア地域への配備にしわ寄せが出てくるのではないかと懸念している日韓などを安心させるとともに、軍事力を増強し南シナ海で海軍力を誇示している中国に警告を発したものだ。

「お金はないけど、軍事行動をしたい。負担は日本やアジア諸国にも協力してもらうつもり。」という本音が見え隠れするように感じるのは、私だけでしょうか。

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11億円かけて外国人に無料航空券を渡すより、タイやトルコに恩返しを

2011年10月24日 | 国際・政治

タイの洪水が心配です。

バンコックに住む友人のジェーさんとも連絡がとれません。

ネットが使えない状態なのか、もうそれどころではないのか・・・何れにしても、今は彼女に何もしてあげられないことがもどかしいです。

さて、日刊SPAの記事に以下のように書いてありました。

http://nikkan-spa.jp/76747

“・・・日本が3.11に地震に見舞われた時、タイ政府は震災からたったの3日後には、外国への支援としては異例とも言える2億バーツ(約5.4億円)の支援予算を組み、さらにジャスミン米1万トン、もち米5000トンといった食料、衣類、毛布など支援物資を送ってくれた。

民間のタイの人々も募金やチャリティに励んでくれて、なんとバンコクのスラム街の子供たちまでが、決して裕福ではない中で義援金を募金してくれたのだ。・・・”

個人の募金もそうなんですが、まずは日本政府、「外国人10,000人を11億予算で日本に招待」と言って航空会社に貢献するくらいなら、義援金の多くをタイに返還してください。

(航空会社を日本の会社に限定するのかどうかまで決めていかもしれませんが、先日ANAなどは、客室乗務員にiPadを無料配布していたくらいで、困っていないように見えます。

http://if.journal.mycom.co.jp/news/2011/09/21/002/index.html

「欧米と中東をメイン(!)とした国から150名を2週間無料留学に1億円」という馬鹿げた案も引こめて、これも義援金に使って欲しいです。

地震で被害がでているトルコに対しても同様に。

(ついでに、トルコが地震多発国だということ、周辺国がトルコに原発を建てることに反対していることも勘案して、日本政府はトルコに原発輸出支援は完全に諦めてください。

たとえトルコ政府がまたお願いしてきていたとしても、「日本は地震が多いのに原発を建てて、その上、処理もうまくできない。止めたほうが君達のため」とアドバイスするのが、本当の国際貢献だと思います。)

追記: タイの募金先はSPAの記事内に載っています。

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時代を読む『金融が乗っ取る世界経済』 by ロナルド・ドーア

2011年10月24日 | R.Dore

昨日の東京新聞のロナルド・ドーア氏のコラムから:

時代を読む (20111023)

『金融が乗っ取る世界経済』by ロナルド・ドーア

アメリカの「ウォール街占拠」騒動は大いにメディアを騒がせている。少なくとも、①大衆蜂起の形態として②アメリカ政治の激しい二極分化として③富裕国で社会連帯意識をぶち壊す、格差の拡大がどこまでいくかという問題提起として④金融業がますます実体経済も国の政治も支配下に置く傾向(世界経済の金融化傾向)に歯止めをかけ、本来の民主主義に戻れるか-という4つの面で深く考えさせられる現象である。

まず第一点。テレビの出現は政治に相当な影響をもたらしてきた。選挙費用が穏やかなアメリカのように、金でほとんど無制限にテレビでの宣伝ができる国では金権傾向に拍車をかけるが、一般的には国民の政治問題が理解や政治への参加を拡大した。

ところが、インターネットのツイッターやフェイスブックとなると、効果は別次元だ。国会での審議中の法律に対し、賛否を問う電子嘆願書に百万人の署名を数日で集めることができるには、明らかに民主主義にはプラスである。「今晩、こういう抗議デモをやる」という動員メッセージも有効だ。エジプトなででは独裁者を追い出す効果もあった。

反面、「今晩、お巡り、黒人、カトリック教徒をやっつけるから面白いぞ、来いよ」という質の悪い動員メッセージもある。8月に起きたイギリスの暴動、一週間前のローマの暴動もその類らしい。「占拠」騒動や東京・明治公園で先月行われた「さよなら原発五万人集会」のデモとは雲泥の差だった。

イギリスやイタリアでの暴動の参加者には、少数のアナキスト(無政府主義)や社会システムの不合理性に鬱憤を晴らす、社会から疎外されている良心派の青年の他に、ただ単に暴力を趣味とする粗暴で思慮不足の若者もかなりいた。失業が増える一方の世界にとっては問題であり、イタリアで準備している弾圧的な法規制だけで解決できる問題点ではない。

第二点。アメリカの保守派運動「ティーパーティー(茶会)」のような極右派が共和党を牛耳るようになると、「国家共同体」の意識が更に薄くなり、極左の運動もそれに対応して激しくなることは政治力学上、当然だ。三日前、東京に着いて、久しぶりに居酒屋へ寄った。店主のおじさんに「野田内閣は続くのか」と聞いたら、おじさんが言う。「続くでしょう。でないと恥かしいから」と。その「恥かしい」という国と国民との一体感は、アメリカでは見えにくくなっている。

最後に第三、四点。「ウォール街占拠」に参加した人たちの怒りの照準は、ギャンブル的な投機にしくじって信用の失墜、実体経済を崩壊寸前の状態に陥れながら、自分たちは高額なボーナスを平気で享受している銀行、その他金融業の幹部である。彼らが害をなす経済の自由を規制しようというドッド・フランク法は辛うじて国会を通過したが、「規則」でそれを骨抜きにしようとするウォール街のロビー活動は凄まじいものがある。そして、成功する可能性が大きいのだ。

なぜなら、来年の大統領選挙には金がかかる。オバマ大統領の再選基金の目標は20億ドル。共和党の最有力候補ロムニー氏はそれ以上を集めたそうだ。ウォール街にまつわる人種の政治家に対する気前のよさには定評がある。金権政治のメカニズムはそこにある。「占拠」騒動は歓迎だ。

ウォール街の占拠デモ (Occupy Wall Street)、そしてこれが1015日には世界各地に広がりました。

「ウォールストリートで1パーセントのリッチを今責めている人たちは、自分もそれを目指して、そのアメリカンドリームを支持してきていた。結局は1パーセントになれなかったひがみ。」という声もあるように、今までこの状態を野放しにし、こうした格差社会をつくり上げてしまったアメリカ人、その点は他国民より罪深いでしょう。

そしてまた、フランス革命が見方によっては「貴族達が王室を落としいれ、民衆の不満を利用して起こした革命であった」と言えるように、今回のデモも利用されている可能性があるのかもしれません。(実際大富豪が資金援助をしているという話もあります。)

もしくは、マイケル・ムーアの映画がそうであるように、不満を単なるエンターテイメントとして発散させようとしている黒幕がいるかもしれない、と思ったりもします。

(私はマイケル・ムーアの映画は観ていませんが、彼は国民(一般民衆)の立場で問題提起をしておきながら、次から次へと突っつくだけ。一時的な鬱憤晴らしを国民にさせ、逆にこれが米政府には都合がよかったりするように思えます。)

そういう意味では、今回のOccupy Wall Streetが、社会のシステムを変えたり、金融界ロビーや金権政治撲滅するまでになるようには到底思えないのですが、このデモにおいて、世界各国の人までもが、自分たちが単に『民主主義社会に住んでいる』と思い込まされていただけだったことに気づき、危機感を感じるようになった-これだけでも、大きな成果であった、と評価しています。

民主主義といえば、「自分たちに都合の良い政策強要、彼らのシステム、価値観を世界に押し付けている米国。これらは民主主義を広めているのではない、ファシズムだ」というような意見を言っている人がいました。

この元凶は金融業界と政治家の癒着。

富(資源権益も)を独占、それを武器に欧米の政治家たちも手なずけた中東の独裁者、そして銀行やヘッジファンドの幹部たち(金融業界だけに限らずだとは思いますが)-両者実体はさして変わりがないような気がします。

追記:東京新聞のコラム欄には書かれていますが、ドーア氏の『金融が乗っ取る世界経済』(中公新書)が1025日に出版されます。

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龍之介はタイムトラベラー? 龍之介の『桃太郎』

2011年10月22日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

1016日のブログ(http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20111016)で「幼稚園児のころから桃太郎の昔話(それと童謡)が嫌いだった」と書きましたが、たまたま、馬場紘二さんという方(左ブックマークの『轟亭の小人閑居日記』参照)が、芥川龍之介による「桃太郎」を紹介してくださっているのを見つけました。

『芥川龍之介の「桃太郎」』

http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/10/11/6145878

ここから引用させていただきますが(馬場さん、断わりなしに失礼します。)、龍之介の桃太郎はこのようなお話になっているそうです。

むかし、むかし、大むかし、或深い山の奥に大きい桃の木が一本あった。 この木は世界の夜明け以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。 その大きな実は、不思議なことに、核(たね)のある処に美しい赤児を一人ずつ、孕んでいた。 千年は地に落ちないはずの実が、或朝一羽の八咫鴉によって谷川に落され、人間のいる国まで流れて、洗濯をしていたお婆さんに拾われた。 

桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立つ。 お爺さん、お婆さんのように、山だの、川だの、畑だので、仕事をするのがいやだったからだ。 老人夫婦もこの腕白者に愛想をつかしていたから、出陣の支度をし、兵糧の黍団子も持たせた。 犬、猿、雉に黍団子を半分やって、家来にしたが、互いに喧嘩するので骨を折った。 

 鬼が島は、絶海の孤島だが、椰子が聳え、極楽鳥の囀る美しい天然の楽土だった。 鬼は琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、すこぶる安穏に暮していた。 牙の抜けた鬼のお婆さんは、孫の守りをしながら「お前たち悪戯 (いたずら)をすると、人間の島へやってしまうよ」と、人間の恐ろしさを話して聞かせていた。 

 桃太郎は、こういう罪のない鬼に、建国以来の恐ろしさを与えた。 桃太郎の号令の下、犬雉猿は逃げまわる鬼を追いかけ、犬は鬼の若者を噛み殺し、雉は鬼の子供を突き殺し、猿は鬼の娘を絞め殺す前に、必ず凌辱をほしいままにした…。 あらゆる罪悪の行われた後、鬼の酋長は命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参した。 命と引き換えに、鬼が島の宝物を一つ残らず献上すること、酋長の子を人質に差し出すことを、約束させる。 

鬼の酋長は、恐る恐る桃太郎に質問した。 「わたしどもは、あなた様にどういう無礼を致した為に、御征伐を受けたのか、とんと合点が参りませぬ。その無礼の次第をお明し下さる訳には参りますまいか?」 征伐したいと志した故だ、まだわからないといえば、皆殺しにしてしまうぞ、と桃太郎。 

 宝物を持って故郷に凱旋した桃太郎だったが、必ずしも幸福に一生を送ったわけではない。 人質に取った鬼の子供は、一人前になると、番人の雉を噛み殺した上、鬼が島へ逐電した。 鬼が島に生き残った鬼は、時々海を渡って来ては、桃太郎の館に火をつけたり、桃太郎の寝首を掻こうとした。 何でも猿の殺されたのは、人違いだったらしい。 鬼が島の磯では、美しい熱帯の月明りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画する為、椰子の実に爆弾を仕込んでいた。 

龍之介が現代を見、世界を揶揄してこれを書いているように錯覚しますが、実のところは単に龍之介の時代背景が彼にこれを書かせたもの。(龍之介は日本の政策を批判していた。)

時代は変わっても根本は何も変わらず、国や文化云々ではなく人間は同じような過ちを繰り返す・・・ということでしょうか。

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カダフィ殺害

2011年10月22日 | 海外ニュース・できごと

リビアのカダフィ氏が殺害されました。

カダフィについては、昔、職場の英会話の代理教師として時々教えてくれた英国人女性から、「私の結婚式にはカダフィ大佐が出席してくれたの。父の知り合いだったのよ。」という話を聞いたことがあったことと、亡き知人でリビア関係の仕事に力を注いでいた人がいた-という個人的興味から気にはしていましたが、まさかこのような最期を迎えるとは思ってもいませんでした。

さて、彼の殺害ですが、これは情報が錯綜していましたが(いますが?)、以下の記事のような証言もあるようです。

読売新聞 (10221118分配信)

カダフィ氏殺害「自分が撃った」…ネットに映像

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111022-00000317-yom-int

[カイロ支局]AFP通信によると、リビアの元最高指導者カダフィ氏を殺害したのは自分だと証言する反カダフィ派兵士の映像が21日、インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」で流れた。

 この兵士は、東部ベンガジ出身の部隊を離脱し、西部ミスラタの兵士に加わってカダフィ派拠点シルテ攻撃に参加したという。その際、「路上で子どもや女性と歩いているカダフィ氏に出くわした」と話している。

 兵士はカダフィ氏から拳銃を取り上げ、平手打ちを加えた。カダフィ氏は「おまえは息子、私は父のようなものだ」と話しかけてきたという。

 兵士は、カダフィ氏をベンガジに連行したかったが、他の兵士がミスラタに連れて行くと主張して譲らなかったため、カダフィ氏をその場で射殺してしまうことを決意。「2発の銃弾を脇の下と頭に撃ち込んだ」と話している。カダフィ氏は「すぐには死なず、死ぬまでには30分ほどかかった」とも述べている。

この証言が本当であるのかわかりませんが、もしこれが本当だとしたら一兵士が他の兵隊の止めるのも聞かずに殺害する、ということにはちょっと違和感が残ります。

さて、この殺害に関し、1021日のニューズウィーク日本版の冷泉氏のコラムに興味深いものがありましたので、こちらもリンクと全文を貼り付けます。

プリンストン発新潮流アメリカ by 冷泉彰彦氏

カダフィ「死亡」でオバマは窮地を脱するか?

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/10/post-356.php

アメリカとしては「生きて捕縛せよ」ということだったのですが、結局は拘束の過程で死亡ということになりました。手を下したのは誰なのかは現時点では不明ですが、このままですと真相の解明は行われない可能性もあるように思います。

 憶測の域を出ないかもしれませんが、結局はルーマニア革命の際の「チャウシェスク大統領夫妻の公開処刑」と構図としては同じことになった、そう見るのが妥当と思われます。チャウシェスク夫妻の場合は、豪壮な宮殿を造営するなど、権力と富を集中させた独裁政権に対する民衆の怒りが、冷戦期を巧妙な遊泳術で生き延びたこの政権を倒したわけです。

 ですが、新しい国づくりをする上で、チャウシェスク時代の官僚や政治家を全て追放してしまっては、国家運営の実務は回りません。そうは言っても「仕事のできる」人については、独裁時代に何らかの形で権力とつながっていたわけで、「叩けばホコリ」が出るのは避けられないわけです。

 そこで全ての罪を夫妻に押し付け、その上で国際社会に対して「公開処刑」という形で「旧政権の消滅」をビジュアル的に「動かしがたい事実」として突きつけたわけです。要するに「口封じ」というわけです。夫妻を生かしておいて、夫妻の過去の罪状に関して公判で明らかにするというのは、プロセスとしては公正かもしれませんが、その過程でルーマニアを再建する上で重要な人物まで「独裁時代の悪事に加担していた」という話がポロポロ出てくるようですと、政局はいつまでも安定しないことになります。

 今回のリビアの状況もこれに似ていると思われます。チャウシェスク夫妻が銃で撃たれ、崩れ落ちる映像と同じように、今回のカダフィの血まみれの映像も、リビアの今後のためには政治的に必要だったのでしょう。何とも残酷な話ですが、リビアの今後ということを考えると、とりあえず1つの大きな通過点だというのは間違いないと思います。

 この「殺害」ですが、アメリカは何らかの関与をしていた可能性があります。というのは、この「発見・殺害劇」の直前に、リビア政策の最高責任者というべきヒラリー・クリントン国務長官が、そのリビアを電撃訪問していたからです。では、殺害の瞬間にヒラリーはどこにいたかというと、アフガニスタンにいたのですが、丁度CBSテレビのインタビュー録画の準備中でした。

 そこへカダフィ殺害というニュースが飛び込んできたのですが、ブラックベリーをのぞき込みながら「ワーオ」と叫ぶヒラリーの映像が早速流れています。これも憶測ですが、アメリカはこの殺害に関しては表面的には反対しておきながら、実質的に暗黙の了解を与えているのだと思います。直前にヒラリーが行っていること、そしてそのヒラリーの「ワーオ」という顔がそうしたメッセージになっていると言えるでしょう。

 この「殺害」ですが、当面はアメリカの政局において、オバマには有利に働くと思われます。というのも、フランスのサルコジと一緒に空爆という形で積極関与を始めたのが、今年の3月でそれから7カ月近く延々と膠着状態が続いていたわけです。この間に、オバマの政敵の共和党、特に右派のティーパーティーなどからは「テロリストの反政府運動を支持するのは反米的」などと文句ばかり言われていたのです。

 そもそもこうした「アラブの春」そのものが2009年にオバマ自身がエジプトのカイロ大学で行った「イスラムとの和解演説」に触発されたものという見方もできるわけです。万が一、一連の反政府運動が、アルカイダ的なグループと関係していたということになると「オバマは反米」という政治的なプレッシャーが強まることになる可能性があります。

 とりあえずヒラリーが行って今後の体制を相談し、その直後にカダフィ「殺害」となったことで、オバマとしては一安心というところでしょう。そして、このリビアが安定化し、少なくとも反米ではない政権の下でベンガジ油田の操業が安定するようになれば、「アラブの春」全体としては一歩前進ということになるからです。

 勿論、この「アラブの春」にはまだまだ他の国の問題が残っています。シリアの状況は複雑すぎて不透明ですが、とりあえずリビアが落ち着くことでエジプトが穏健な方向になるかどうかが、大きなポイントでしょう。

このリビアの紛争はNATO軍も参戦ということで、カダフィの降伏、殺害が先進国にとっても必須だったことでしょう。そしてもちろん、反カダフィ派にしてみてもそうですが。

しかしながら、数年前のイラクのフセイン元大統領の素早い死刑執行、最近ではビンラディン、アウラキ師の裁判なしの殺害(襲撃に巻き添えになった家族は裁判をしたとしたら死刑になるほどの重罪だったのか?また、後者の場合は無人機攻撃。無関係者で巻き添えになった人の人権は?)、そして今度のカダフィ殺害も、何故か割り切れないものがあります。

そもそも、フセイン大統領、ビンラディン、カダフィは、欧米が利用していたのではなかったのでしょうか。

そして、カダフィ政権打倒としたところでリビア国民に幸せはくるのでしょうか。

これもニューズウィーク日本版から:

『欧米の欲につけ込んだカダフィの謀略』

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/10/post-2306.php

『国民評議会もカダフィと同じ戦犯か』

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/10/post-2305.php

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5つ目の“Why I Write”

2011年10月21日 | 雑感

ブログ-私もこうしてブログを書き綴っていますが、「公に向けて物を書く」ということについて、最近友人と話をしていました。

私の場合、書くことについては昔からさほど苦にはなりませんでしたし(それでも行事や読書感想文などは大嫌いでしたし、日記は3日坊主)、公私ともとにかく書くことが多い生活-仕事上ではボランティアセンターで働いていた時は嫌というほど面談記録簿や発信文書を書き綴っていて、プライベートでは、国内外の友人知人と意見交換に長文のメールを書くことがあったので、書くこと自体に何の抵抗もないのですが、ただ、見ず知らずの人に向けてものを書く、ということはまったく興味がありませんでした。

これが変化したのが、2007年の夏に731部隊にいた女性を学者さんや記者さんに取り次ぐことをしたことで「過去の世界、そして一般の人は知らないだろうことを記録も兼ねて発信」「自分の考えてきたことの記録」という気持ちがわいてブログを始め、さらに「自分の知らない世界のことを知りたい」と友人に言われて書き続け(この辺で、ブログを友人向け発信としても変化)、そして311日の地震、福島原発事故以降はそれに加えて「情報発信」ということをする必要性を感じたため、こうして書き綴っているわけです。

イギリス人作家のジョージ・オーウェルが “Why I Write(何故書くか)”のなかで、人が(公に)ものを書く動機として、

1.純然たるエゴイズム(頭がいいと思われたい、有名になりたい、死後に名声を残したい等々)

2.美への情熱(言葉に対する美に対する感受性の高さ、それを楽しむ、自分の感動を伝えたい)

3.歴史的衝動(歴史的ものごとの真相を子孫に残したい)

4.政治的目的(世界をある一定の方向に動かしたい)

と書いていますが、まさにプロの作家でなくとも、この4つ全部、もしくはこのうちのいくつかは、ブログを書いている人も頷けるのではないかと思います。

そしてまた、それに加えて“5つ目”として、ブログ等ネットを使っている人の場合は「直接読んだ人からコメントを貰ったりすること(反応してもらう)が目的」という人もいるでしょう。

さて、そこでこの(私が勝手に加えた)“5つ目”。

これは冒頭の友人から聞いたことですが、鴻上尚史氏は著書『アンダー・ザ・ロウズ』(白水社)の『ごあいさつ』の中で、「94年『スナフキンの手紙』アンケートで、観客の一人から「ネットの一番の問題は、簡単に慰められることなんです」と指摘され、はっとした」と書き、その後に「時代を射抜く至言だと感じます。ネットの問題点は、簡単に慰められること。あなたが発言すれば、簡単にコメントがついて、簡単にレスがついて、とりあえず慰められる」と続けて書いているらしいです。

これは90年代の話でしょうから、ツイッターではなくおそらくブログの話でしょう。

いくら自分がものを書いていても、プロのライターにでもならない限りは反応をもらえないけれど、ブログは読者からの反応が返ってくることがある-実際、私もブログを始めてからは、表示したもの表示していないもののコメントや、友人知人などからのブログの反応をもらうこともあり、それは大抵は嬉しいし、「書く」励みにはなります。

しかし、生憎といいますか、私のブログは書くとすぐ不特定多数からコメントをもらえるというものでもないですし、コメントをくださったとしても基本的には情報や感想、相談といったコメントを除いては、迷惑ではないものの、あってもなくても良いので、そういう意味では私にとって“5つ目”はあまり重要ではありません。

(私のブログへのコメントをくれる人のなかには、スパムではないものの自分の表示してほしいリンクだけを送ってきたりする人や単なる独り言と思えるコメントを送ってくる人もいたりします。こうしたコメントをくれた人に対し、「この人たちは、どうしてほしくて私のブログにコメントを送ってきているのだろう。ツイッターの延長で、誰かに返事をしてほしいから手当たり次第なのか?」と思いながらコメントは削除させてもらっています。)

ブログを書く人はツイッターをする人に比べて、読者からの反応を求めて書く人は圧倒的に少ないでしょうが、いずれにしても、ブログ(コメント投稿者含む)であれ、何であれネットの世界ではそれを求める人は増えてきていることでしょう。

そうであっても人間関係やコミュニケーションに貪欲な人たちの場合は「更に知らない人と話したい、触れ合いたい」ということでそれは良いことだと思いますが、それが現実の人間関係に頼らない(頼れない、諦めた)人であった場合は、鴻上氏のいうように「ネットの問題点」の一つになるような気がします。

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反CSR-米国の場合、日本の場合

2011年10月20日 | 企業・CSR

1014日のウォールストリートジャーナル日本版に、

[肥田美佐子のNYリポート]

「ザ・激論 in NY」CSR(企業の社会的責任)は株主の敵か』

http://jp.wsj.com/US/Economy/node_324345

があり、このレポートでは、米国のフォーラムにおいての反CSRCSR擁護派の討論について取り上げられていました。

この中で反CSRを率いるのは、ミシガン大学経営大学院のアニール・カーナニ准教授。彼の意見をレポートから抜粋します。

“まず、CSRという概念そのものが非常に分かりにくいものだという点を言っておきたい。企業の責任、企業メセナ、創造的資本主義、意識の高い資本主義。こうした言葉が数多く存在するのも、CSR自体が釈然としないものだからだ。より良い環境やサステナビリティ、社会正義を求めているのは、みな同じである。問題は、それをどうやって実践するかだ。その手段は、CSRではなく、株主の利益と政府による規制だと、わたしは考える。

CSRは不適切で効果がないばかりでなく、さらに重要なことに、危険でもある。企業の私益と社会の公益は相反するものであり、双方両得とはいかない。徳を取れば損をする。徳を捨てれば、お金がもうかる。

 もちろん、従業員への手厚い待遇や顧客重視など、企業の私益と公益が一致する場合もある。いわゆる優れた経営と呼ばれるものだ。しっかりした経営を行えば、株主が、それにこたえてくれる。収益が上がり、会社がうまくいく。CSRの出る幕はない。長期的価値を求める株主の要求にこたえればいいのであって、(企業経営に)「社会」を持ち込む必要などないのである。これが資本主義というものだ。

 アダム・スミスは『国富論』のなかで、「われわれが食べ物にありつけるのは、パン屋の情けのおかげではなく、彼らがもうけたいからだ」と書いている。市場が機能していれば、CSRは必要ない。いや、市場がうまく回っているとき、CSRを持ち出すのは、むしろ危険である。企業が悪役にされてしまうからだ。企業は社会に恩恵をもたらし、社会の一部だというのに。CSRは、資本主義の土台をむしばむ。

 では、企業の私益と公益が相反する場合の解決策は何か。それは、政府による規制である。たとえば、公害がいい例だ。市場が機能しないとき、必要なのは、強制力を持った政府の規制であって、CSRではない。企業は、自ら率先して行動を起こしたりしない。

 見せかけの良識派を生み出しかねないところも、CSRの危険な点だ。英石油大手BPは、最もCSRに熱心な企業として知られる。賞も複数取っている。エコロジーの観点から、社名をBritish Petroleum(英国石油)からBPに変えた。BPとは、“Beyond Petroleum”(石油を超越して)という意味合いだ。しかし、(原油流出事故で)あのようなことになってしまった。社会からのプレッシャーのせいか、どこもCSRを論じるようになったが、実績はほとんど上がっていないのが実情だ。 

これを読んで、「日本国内でCSRについて公の場でこうもばっさり切り捨てる人はいないだろうけど、まあアメリカではこういう意見は少なくなさそう」と思いながら、この(上記レポートにもリンクが掲載されている)カーナ二氏の2010年のWSJへの寄稿文

The Case Against Corporate Social Responsibility

http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703338004575230112664504890.html

を、アメリカ人投資家のティムさんに送ったところ、以下のような意見をくれました。

On your last point about CSR - I will stick with my libertarian principles.  Corporations have an obligation to act legally and morally.  But that morality does not extend into the broader society at large.  So for example, I have no problem with an oil company that does environmental outreach that is consistent with it desire to be a good environmental citizen.  However, that same oil company should not be spending shareholder money to pay for breast cancer research.  That is a poor use of shareholder funds.  It should either use those funds to expand the business and employ more people and or make more useful goods for society or it should return them to shareholders who can invest in other companies that will either employ more people or create useful goods.

Recall in the US we have significant private charity and there is no compelling reason that corporations engage in CSR other than buy political favor at the local, state and federal level.   CSR is effectively political extortion.

・・・結局のところ(と言うか、予想どおり)ティムさんも反CSR派であり、そして終わりに、「米国の企業は巨額なチャリティなどもしているので、CSR活動は事実上政治的押し付け」と書いています。

さて、企業の巨額なチャリティ、慈善活動といえば、

これは、昨年の6月ブログ『『ロックフェラー回顧録』を読んで思うこと』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20100603

でも触れましたが、確かに米国はそれが日本、そして欧州より顕著です。

ですから、彼ら(アメリカ人)のなかには、こうしたことは「強制されてすることではない」という気持ちを持つ人も少なくないよう思います。

(しかし、不況になれば慈善活動に費やす金額は当然減ります。もちろん、それは半ば強いられる感じのあるCSR活動(実践)も同様ですが。)

ということで、このカーナニ氏の意見も、ティムさんの言い分も、「米国の場合」としたうえで、(同意できないにしても)理解できます。

しかし、『社会を守るのは国の責任』というのが根強く残っていて『私企業の社会的貢献(救済、慈善活動という意味の貢献)の文化』が未発達-こういう土壌がある日本の場合は、カーナニ氏やティムさんの意見はあまり参考にならない、CSRの普及は日本においては私は必須だと思います。

(ただ、CSR活動(実践)は単に会社の(イメージアップによる)売り上げ貢献を狙った形だけのもので、本来の意味を見失ったものであれば、それは『QCサークル』と同じ道をたどる気もします。)

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セラフィールドMOX燃料再処理工場-イギリスに支払われた大金

2011年10月18日 | 原発・核・311

今年8月に閉鎖が決まった、セラフィールドMOX燃料再処理工場関連の記事です。

東京新聞 (20111018 1026分)

日本負担の数十億円無駄に 英MOX燃料工場の閉鎖で

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011101801000149.html

[ロンドン共同] 原発の使用済み核燃料を再利用するプルサーマル計画をめぐり、日本の電力10社が費用負担して改修工事が進んでいた英国のプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料工場の閉鎖が決まったため、既に拠出した少なくとも数十億円が無駄になったことが18日、分かった。関係筋が明らかにした。

 工場閉鎖の直接的な原因は、東京電力福島第1原発事故で「日本がMOX燃料を受け入れる見通しが立たなくなった」と英側が判断したためだ。

 工場の改修が必要になったのは以前から故障が相次ぎ、計画通りにMOX燃料の製造が進まなかったという英側の事情からだった。

さて、インターネットの記事はここまでなのですが、本日の東京新聞の夕刊にある記事には、このあとにこう続いて書かれています。

日本側は、英国に搬入した使用済み燃料から取り出したプルトニウムは、安全上の理由により英国内で加工するしかないため、やむなく改修費用を負担。さらに想定外の工場閉鎖で、支出済みの改修費が完全に無駄になる事態に陥った。

電力業界は「閉鎖決定はやむを得ない」としているが、こうした費用は最終的には電気を使う消費者に跳ね返るだけに、業界の説明責任が問われそうだ。

工場は英中西部セラフィールドに英政府の外郭団体、原子力廃止措置機関(NDA)が所有。東京電力、中部電力など原発を持つ日本の電力10社は1969年から使用済み核燃料を英国に順次輸送していたが、工場のトラブルのため日本のMOX燃料はまったく製造できていなかった。

このため10社は昨年4月、工場設備の改修などで日本側が数百億円負担する契約をNDAと締結。浜岡原発(静岡県)向けMOX燃料製造を目指し中部電が先行して作業を進めていた。

関係筋によると、閉鎖には日本側も同意したため、違約金などの請求はできなかった。

さて、記事の後半は若干疑問が残る部分がありますが、それはともかく、日本の電力会社がいかに巨額を「一番割安」といわれていた原発のためにかけていたことがわかります。

セラフィールドの工場閉鎖自体は喜ばしいですが、金銭面だけみると日本は大損。

7月に書いたブログ、『沈みかけている船アレバ、九州電力の理性』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110710

で、フランスへのウラン濃縮工場ジョルジュ・べスII についての記事も紹介しましたが、このプロジェクトにも大金が注がれているままなのでしょうか。

参考:

『セラフィールドMOX燃料再処理工場閉鎖、人間扱いされていない原発請負労働者』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110804

『セラフィールドMOX燃料再処理工場-2007年ガーディアン紙の記事』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110804

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イギリスの少数民族と二重思考-コリン・ジョイス氏のコラムから

2011年10月17日 | 異文化

先月、フランスのカゴ(Cagot)についてご紹介しました。

アンタッチャブルとして差別されてきて、今はもう存在しないといわれているカゴとはまったく種類も違って、むしろジプシーに近い人たちですが、イギリスにもトラベラーズという少数民族がいることを初めて知りました。

「二重思考」ということと合わせて、英国人のコリン・ジョイス氏のこのコラムは興味深く読めると思います。是非どうぞ。

ニューズウィーク日本版 (2011109日)

『知られざる少数民族「トラベラーズ」』

http://www.newsweekjapan.jp/joyce/2011/10/post-49.php

イギリスの作家ジョージ・オーウェルは、有名な「二重思考」という造語を考え出した。相反する二つの意見を同時に持つことができる、ということを意味する言葉だ。

 オーウェルの反ユートピア小説『1984』に描かれた二重思考とはつまり、政権の言うことは真実ではないと国民が知りながら、それでも信じなければいけない、という状態を指している。状況は異なるけれど、僕は今、自分がこの二重思考に陥っていることを自覚している。

 イギリスでは現在、世論を巻き込んだ10年越しの法的闘争が決着しようとしている。近々エセックス州当局が、デール・ファームと呼ばれる地域から数十組の家族を立ち退かせる見込みだ。彼らはこの地に不法に住居を建てて暮らしていた。

 この一件は、ここ半年というものイギリスで大ニュースになっていた。著名活動家らが意見を戦わせ、有名なテレビジャーナリストたちが現地を取材し、多くの論説が新聞各紙をにぎわせた。

 当然ながら、僕は違法な住居の立ち退きを支持している。イギリスではたとえ自分の土地であっても、好き勝手に家を建てることは許されない。とくに市街地の拡大で田園地帯が消失することを防ぐために設けられたイングランド南東部の「グリーンベルト」地帯では、規制が厳しい。

 立ち退きに賛成する個人的な理由もある。僕の家族は以前、問題のデール・ファームのあるバジルドン地域に住んでいたことがある。あるとき父は、些細な建築規制違反で厳しい罰を受けた。自分の敷地内にある小さな、グラグラする壁を取り壊したときに、当局の許可を取らなかったためだ。

 数年後、隣人がわが家に隣接する区画で違法にヤギを飼いだしたとき、僕たちは彼らを立ち退かせられなかった。そのときには、地方議会の予算と人材は、すべてデール・ファームから移動してきた人々を立ち退かせるための戦いに費やされていたからだ。このことで、僕は「法は公平に実行すべきだ」と強く思った。

貧困のアイルランドを逃れて

 だがデール・ファームの場合には、重大で複雑な問題がある。退去を迫られている家族は、「トラベラーズ」という、ごく少数だが意義深いイギリスの少数民族なのだ。トラベラーズの起源は不明だが、はるか昔にアイルランドの土地を失ったアイルランド人の子孫である可能性が高い。

 イギリスに住む現在のトラベラーズの多くは、アイルランド生まれか、アイルランド人の2世か3世だ。彼らはアイルランドにおいても少数民族とみられている。20世紀前半まで農業を営むか都市や郊外で仕事をしていた一般のアイルランド人と比べると、彼らの生活様式や文化は大きく異なっているからだ。

 アイルランドでイギリスが悪政を敷いてきた側面は否定できない。アイルランドがイギリスの一部だった時代、地方に住むアイルランド人の多くを貧困に追いやったのは、イギリスの責任によるところが大きい。

 アイルランド人の大半は、イギリス人の地主が所有する土地を借りて耕す小作農だった。イギリスはアイルランドを征服した後、土地を奪取し、小さな区画の土地を統合。経済上合理的な大規模農場にするために、小作人たちを「機会があるごとに」追い出した。たとえば、1840年代後半に起きたジャガイモ飢饉のときなどだ。

 飢饉だけではなく、数世紀にわたって極貧の生活が続いたため、土地の賃料を払うどころか食べることさえできない人々が増えた。その多くが死に絶えるか、国外に移住した。

 そして、はっきりしたことは分からないが、トラベラーズと呼ばれることになる人々が出てきた。才覚あふれ、仲間と支えあって生活する、土地を持たない人々だ。だから、イギリスのリベラル派がアイルランド人トラベラーズに対して責任を感じるのは、当然のことなのだ。

定住に怒るイギリス人の矛盾

 事実、イギリスにはアイルランド人トラベラーズの生活様式と権利を保護する法律も存在する(似たような生活を送るジプシーを保護する法律もある。ジプシーの生活様式はトラベラーズと似ているものの、文化的・歴史的背景は異なる)。それでもこの法律には、許可なく住居を建てる権利など含まれていない。

 トラベラーズはイギリス国民にあまり好かれてはいない。僕は個人的にトラベラーズと知り合ったことはないものの、トラベラーズ批判の中にはもっともだと思えるものもある。たとえば、彼らは女性の教育に関して消極的だ。読み書きが出来るようになる前に女の子が学校を辞めさせられることも多い。

決まった土地に落ち着いて暮らすのならそれはもはやトラベラーズではない、だからみんなと同じ法律に従うべきだと、人々は主張する。

 トラベラーズが非難されるのは、彼らが農地を購入し(住宅用地よりも安い)、そこに多くの家族がトレーラーを連ねてやってきて、そのまま住みつくからだ。そうなれば、トレーラーは事実上の住宅ということになる。

 小さな村の学校は、トラベラーズの子供を大量に受け入れなければならないかもしれない。そうした子供たちは、地元の子供とは文化的に違っている――地元の親たちの言葉でいえば「粗野」だ。

 デール・ファームの強制退去騒動の過程でこうした問題が顕在化し、人種間の緊張をもたらした。イギリス人は、トラベラーズが自分たちと同じように振舞うべきだと思いながら、トラベラーズが1カ所に定住すると怒る。これは公正ではない。

 デール・ファームでトラベラーズが定住に近い生活を始めた理由は、女性が力を増してきたからだとも言われている。彼女たちは子供のためにより良い住居や教育、医療を望んでいる。それでもこの変化は、イギリスの大衆からはあまり歓迎されていない。

 トラベラーズは一般的に外部の人間とは付き合わず、部外者と結婚することはほぼない。自分たちの文化が危機にさらされている、主流の文化と交われば破壊されてしまう、と彼らは危機感を抱いている。

 その結果、イギリス人はトラベラーズのことをほとんど理解していない。知っているのは、トラベラーズが金のかかる豪華な結婚式をあげるということだけだ。最近では有名テレビ番組でもこの話題が取り上げられた。彼らのこの習慣のせいで、国の特別な支援を要求しながら、実際にはトラベラーズはとても裕福なんじゃないかという思い込み(または偏見)が広がったようだ。

 中にはとても裕福な人もいるかもしれない。トラベラーズは建築業を営む人が多く、建築はとても儲かる仕事だからだ。だがそうでなくても、歴史的に虐げられてきた(その上、大きな家を所有することもなく生活してきた)人々が、家族の富を誇示し、贅沢で派手な結婚式で自分たちの文化を見せつけたいと思うことは、別に不思議なことじゃない、と僕は思う。

 僕の「二重思考」はこんな具合だ。一方で、僕は立ち退きに全面的に賛成している。法律は法律だ。だが同時に、僕は気付いてもいる。必ずしも「好き」とは言えないマイノリティーをどの程度容認し、共生していくことができるか――そんな基準で社会の「寛大さ」は評価されるのではないか、と。特に、そのマイノリティーが本当に少数で、主流文化を脅かす恐れなどまったくない場合ならなおさらだ。

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