Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

英語が駄目なら他の外国語

2010年07月29日 | 教育

大学生活も4ヶ月の息子。高校時代と違って、『暗記力』に頼るだけの勉強でないものが多くて四苦八苦しているようですし、教授陣に対して、「あの先生は、講義というより自分の著書の話ばかりしている。『もうじき定年だから仕方ない』って先輩が言ってたけど。」「あの人は課題が多すぎで、しかも相手がすべて上級者だと思っている。理解できない。」等、批判たらたら。

そんな息子が今興味を持って一生懸命に取り組んでいるのが中国語です。入学前、英語が大嫌いな息子が私に、「第二外国語、ドイツ語、フランス語、中国語の中からどれを選ぼうか」と聞いてきたときに、「アルファベット嫌いのあなたには、中国語が良いでしょ。中国語は発音は難しいけど、初級レベルだったら文法は覚えるのが楽。ドイツやフランスに興味があるのなら、大変でもその言葉を勉強したほうが覚えが早いでしょうけど、あなたは外国に興味なしだしね。」とアドバイスしました。

実は私も昔2年間中国語を習ったことがあります。私の昔の勤務先では、英語の他に、ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、それぞれ初級~上級のクラスがあって、希望者は就業時間が終わってから週12時間授業を受けることができました。

私は最初フランス語の初級クラスを覗きにいったのですが、どうも敷居が高くて断念。次に人に誘われるままに覗きに行った中国語の初級クラスでは先生が良かったのと、「日本人にとって中国語は簡単」というのを実感して、ここでその後2年間学ぶことになったわけです。

中国語の文法は、日本人で英語を習ったことがある人ならば大変覚えやすいです。初級中国語の場合は、英語と日本語を単純化してミックス、と言っても良いかもしれません。

中国語は、例えば、「私」という単語は「我」。英語だと「私」は、主格、目的格によって、“I”と“me”、所有格だと“my”ですが、中国語の場合は主格、目的格は「我」のまま。所有格の場合は、「我的」と後ろに「的」をくっつけるだけです。

また、中国語は英語のように動詞自体を、三人称や過去形ということで変化させることはなく、過去形であれば「了」をつけるだけです。疑問文も、肯定文に“マ(中国語の文字)”をつけるだけで疑問文になります(日本語の「-か?」に相当。)。

私が中国語を習ったクラスは途中で先生が交代したりもしましたが、少人数であったこともあり和気あいあい。その為、結局はおしゃべりの時間が多くなってしまい、結果的には中国人の先生の日本語の方が上達、生徒の中国語はあるところで伸び悩んでしまった・・・というのが実情でしたが、旅行で知り合った台湾人のお医者さんと簡単な会話をするまでにはなっていました。

ということで、その後も私が中国語を続けていたら、案外使い物になったかもしれませんが、残念ながら中国文化も中国の観光名所も興味がない私にとって中国語は『頭の体操』くらいの価値しかありませんでした。

語学はセンス-しかし、そのセンスは英語ができない人が他の言語ができない、とは限りません。私に知人で、英語は苦手だけどフランス語はできる人もいます。

英語嫌いがここまで増えている現状を考えたら、たとえば中学までは英語の基礎をみっちり勉強させ、高校からはたとえば英語と中国語のどちらかを選択させる、というのも案外良いかも知れません。

(ただし、外国語を使う職場において、いくら中国語やフランス語などが堪能であろうともそれだけでは駄目。同時に英語の能力は求められる場合が多いと思います。)

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ガルブレイスの期待を裏切って

2010年07月25日 | 人物

経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの、『ガルブレイスわが人生を語る』(日本経済新聞社2004)より抜粋:

「国防産業も軍需産業の強い影響を受けている。ジョージ・W・ブッシュ政権下で起きたイラクの悲劇も、企業経営と軍事パワーが結びついたことによって生じた。

マクロ経済政策では、企業の利益に配慮して、必ず減税が行われてきた。恩恵を受けるのは企業経営者などの富裕層である。こうした政策こそが、経済全体を浮揚させるのに役立つという考え方に基づいている。これも現在のブッシュ政権に受け継がれている。

しかし、私の考え方はこれとは全く異なる。所得配分が公平になり、需要の流れが安定的であればあるほど、経済は良くなると信じている。

ゆとりの少ない中間層や貧困層は、受け取った所得を確実に使う。そこに選択の余地はない。その意味では、需要の流れを生み出すという点では頼れる層と言える。

一方、富裕層はお金を消費に使うか、貯蓄して資産を増やすか、という選択史がある。貯蓄に回る分だけ全体の需要は制約されることになる。経済を支える役割という点では、必ずしも頼れる層ではない。恵まれない層に配慮した政策の方が、富裕層配慮よりも経済にプラスになるのだ。」

「民主党のクリントン大統領は教育や医療に目を配り、平和と安定をもたらした。クリントンとは彼がアーカンソー州知事の時代から面識があり、経済学についても語りあったことがある。非常に知的な男である。

大統領時代には、私に栄誉ある自由勲章を授けてくれた。ただ、共和党は企業重視、民主党は人びと全体の利益重視というように両党の政策が明確に分かれているわけでもないことも指摘しておかなければならないだろう。それが米国の政治の現実である。」

ガルブレイスのこの本は、2004年の日経の『私の履歴書』の連載を編集したものです。彼は2006年に亡くなっているので、サブプライムローンからリーマンショックまで見ないで済んだわけですが、ご存命だったら、これをどのように分析したことでしょうか。

それにしても、ガルブレイスが言う、富裕層優遇、民主党と共和党が実はそんなに大きく変わらない、ということは、このまま米国では変わることもないでしょう。

(ガルブレイスは、日本は米国と違うと思ってこの点では区別していましたが、残念ながら今の日本は米国の悪い面を”輸入“してしまっているようです。)

また、この本のなかの『日本への期待』という章で彼は、

「私が日本を見ていて一番うれしく思うのは、経済が軍事的な影響力から逃れている点だ。軍事にかかわらない分野だけで、強い経済を維持してきたということである。これはこのままでずっといて欲しいし、他の国々もこの点をみならってほしい。

唯一残念に思うのは、戦争の被害という多大な不幸を経験してはじめて、日本が世界平和を希求する国となれたことである。」

と書いています。

しかし、残念ながらこの点については、2005年から武器輸出三原則がなし崩しになってきていることもあり(日本の産業界の要請や、米国政府の要請)、心もとなくなっています。

今朝はニュースで『米国の要請を受けて、日本が迎撃ミサイルを第三国輸出も』http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010072502000063.html)

というものがありましたが、日本が最近大切なものを一つ一つ捨て去っているのではないか・・・という憂鬱な気分になっています。

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Flying the flag(国旗)

2010年07月19日 | 異文化

先日、海外に長期出張中の知人とメールでワールドカップと国旗、国旗と国歌の話をしていたのですが、彼がこんなことを言っていました。

「以前、国旗とか国歌の話が出ていたと思いますが、この間のワールドカップでドイツチームを見ていたら移民系の選手は歌っていなかったですね。

うがった見方かもしれませんが、歌えないのではないかと思いました。

他方、日本チームでは肩を組んで国歌を歌おうと言い出したのが、ブラジル移民の子であるトゥーリオだったというところも興味深かったですね。」

生憎スポーツ観戦には興味がない私は、その場面を観ていませんでしたが、この話を聞いたとき、ドイツチームの移民系の選手は国歌を歌うことを拒否したのではないか、思いました。ドイツの移民は無理やりドイツにつれてこられた人達ではないでしょうが、国旗や国歌、愛国心については複雑な思いはがある人もいるのではないかと思うのです。

日本選手が国歌を自ら歌わなかったのは、選手達個人の特別な思いからではなかったと思いますが、ブラジル移民のトゥーリオに促されて歌う場面は、外国人からは不思議に思えたことでしょう。

さて、国歌斉唱の話はここでは置いておいて、お馴染みアメリカ人のティムさんの国旗の話から;

時々私のブログを覗いてコメントをくれる彼は、75日の『家と車に飾られたドイツの国旗』を読んだ後、

「僕達の国では、ワールドカップのようなスポーツイベントで国旗を家や車に飾ることはないよ。だけど、祝日については、独立記念日(74)、ベテランデー(復員軍人の日、1111)、メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日、5月の最終月曜日)には国旗を飾る。そして、これらは決して戦争を美化しているから、ということではないんだ。」

と説明し、ついでに「アメリカではアウトドアー用品のお店で大抵国旗は手に入る。」と教えてくれました。

スポーツイベントでの国旗ですが、友人Tは、偶然にも丁度サッカーのワールドカップの開催年にそれぞれフランス、ドイツに駐在していました。彼からも今回、「スポーツイベントで国旗を飾るのはフランスのほうがドイツに比べて盛んで、それ以外の周辺国でも自国の旗をつけている車は多かった」と教えてもらいました。

それにしても、考えてみると、お祭りごとの好きそうなアメリカ人がスポーツイベントで国旗を飾らず、地味に思えるドイツ人や欧州人がスポーツイベントで国旗を飾る、というのは意外な気がします。

一瞬、「アメリカ人が国旗を欧州人より神聖視しているからなのか?」という考えが頭を過ぎりましたが、アメリカ国旗、星条旗柄のビキニや下着がアメリカで売られていることを考えれば、特にそういうことでもないのでしょう。

今回は、イギリスについての情報がありませんでしたが、ふと国旗の扱い方は、歴史的問題が一番にしても、アングロサクソン系、ゲルマ系、ラテン系、そしてアジア系という民俗性の違いによっても若干違いがあるのでは・・・とも思ったりしました。

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バースデープレゼントは”絞めた鶏”

2010年07月15日 | 友人・知人

「私の親は案外ハイカラでね。自分が子供の頃、お誕生日会なるものを開いてくれたんですよ。友達を家に呼んで、友達はプレゼントを持ってきてくれるんだけど、一回友達の一人が持ってきてくれたものに、“絞めたトリさん”っていうのがあって・・・。」

先日お会いしたM氏の話-これは時間がたった今でも噴出さずにいられません。

現在60歳のM氏が子供の頃で、彼が覚えているということから、それは1960年前後の話でしょう。戦後の食糧難の時の話ではないですから、“絞めた鶏”というのは中々インパクトのあるプレゼント。

鶏を差し出されて驚いている彼と彼のお母様、そしてまわりでポカーンとしているお友達の様子が漫画チックに思い浮かんできてしまいます。

(結局鶏の捌き方を知らなかったM氏のお母様は、羽がついたままの鶏を持って近所を訪ねまわり、捌ける人を探したそうです。お陰で、鶏の三分の一はその家に。)

当時珍しかったお誕生日会-子供が招かれたものの、何を持っていって良いのか分からなかったお友達の親御さんの苦肉も策かもしれません。

50年経ってもしっかりとM氏に刻みつついたトリさんの思い出、プレゼントを持ってきてくれたお友達のことはうろ覚えになっても、トリさんの話は忘れられることなく、言い伝えられていくことでしょう。

さて、この話のきっかけは、M氏がアメリカ時代に良く食べたロブスターの話から。

アメリカの東海岸に赴任していたM氏は、現地でよくロブスターを買ってきては、お刺身にしたり(はさみの部分はお刺身のできないとのこと)、茹でて食べたそうです。

ロブスターは、貝と同じように生きたまま買ってきて、生きたまま調理します。この話にはお料理大好き、そしてグルメの友人Tも目を輝かせます。

「生きたまま熱湯の中にほおり込むのって、良心の呵責を感じないのかしら。動物愛護団体などで「残酷だ」と言う人はいないのですか?」と尋ねる私に、

「ロブスターはイルカと違って知能が高くないから、良いんじゃない?」と皮肉っぽくM氏。

「死んだものだと味が落ちるよ。」と「コイツは何を言い出すんだ」と言う目を私に向けるT。

そんなに美味しいものを食べる為なら殺生も恐れない人間だったら、鶏ぐらいなら絞められるのかと思って訊いてみると、彼らもさすがにそれは駄目と答えます。

(そこから冒頭の話に。)

それにしても、鶏とロブスターの命の重さってちがうのだろうか-。

鶏を絞めるのはまず無理としても、絞めた鶏を前にして怯える人間でも、生きたロブスターを熱湯の煮えたぎる投げいれることも、魚の生き造りも「単なる食べ物」としか思わない人は多いでしょう。

人間とは、やはり不可解で、自己中心的な生き物です。

暴露話:M氏は、理科の授業で解剖した蛙の足を、アルコールランプで炙ってかじってみたそうです。

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スティーブ・クレモンス氏に期待

2010年07月12日 | 人物

2ヶ月に一度くらいの割合で、私は意見交換の仲間達の何人かと会います。

メンバーのほとんどが元上司、元同僚で、彼らは現在、環境、資源開発関係の会社や、シンクタンク、個人で外交アナリストとなった人など様々。

(私達が顔を合わすといっても皆忙しいので、メンバーはその時によって違います。)

さて、今回の会の出席者のM氏は、留学・勤務合わせて4回米国に住んだことがあります。この総滞在期間の長さもあって、彼は私が最近贔屓にしているブログThe Washington Noteを書いているスティーブ・クレモンス(Steve Clemons)氏と友人です。

このクレモンス氏はブログのみならず、日米関係のアドヴァイザーとして活躍し、先月日本の大学で開催された日米同盟50周年記念シンポジウムにも参加していました。

実は私が彼を知ったのは、このシンポジウムの記録を読んでからなのですが、彼のそこでの発言、その関連記事を読むにつれて、「このように現場に足を運ぶことに労を問わず、意見は第三者的、的確な意見を述べる外国人(ジャーナリスト)もそういないのではないか」と感銘を受けました。

たとえば、彼のブログ『ワシントン・ノート』の614日の記事、“Will Okinawa’s Voice Be Heard in Wahington? (沖縄の声はワシントンに届くのか?)”などは、日本のメディアの記事以上に現実に即したものであると思います。

http://www.thewashingtonnote.com/archives/2010/06/will_okinawas_v/

ここで彼は、米国と日本での日米同盟(日米安保・基地問題)に対する意識のギャップ、沖縄の人と本土の人達の基地問題の感情・理解のギャップ、そして沖縄の人達の諦めからくる無関心について取り上げます。(そういえば、昨日の参議員選挙の投票率も、沖縄が全国最下位でしたね。)

米軍基地問題では、最近、「(それでなくても理不尽な)グアム移転費の日本負担分を増額しなさい」という、あまりの米政府の鉄火面振りにあきれ返っていましたが、クレモンス氏には、この辺についても鋭く切り込んで欲しいものです。

また、蛇足ながら、米軍基地を大量に受入れさせられることになるグアムについて一言。

グアムの住民たちには自分達の大統領を選ぶ権利も与えられていない、ということを、米国本土の人は知っているのでしょうか。(日本人のほとんどが知らなくても不思議はありませんが・・。)

こちらについても、沖縄同様、彼に期待したいと思います。

グアムの住民は、沖縄の住民以上に屈辱的思いをしているでしょう。

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ジェーさんの転職と社内英語公用語化

2010年07月08日 | 友人・知人

現在20代後半のタイの友人ジェーさんは、バンコックで編集の仕事をしていましたが、心機一転、出版社を辞めて日本語の勉強を始め、1年あまりで日本語の上級者となりました。

そんな彼女から一昨日メールがあり、彼女が今年の初めに一旦就職した日本の旅行会社を退職し、春に日系の大手企業に就職した、ということを知りました。

彼女は先に述べたように、短期間で日本語の上級者となるほどの頭脳の持ち主ですが、それだけでなく芸術にも造詣が深い、鋭い感性と知性もった素敵な女性です。語学に関しては、フランス語も英語もある程度できるようです。

ジェーさんが一旦希望と期待を持って就職した旅行会社では、コピー取りや雑用ばかりの仕事で彼女は落胆している-というのは他の友人から聞いて知っていましたが、こんなに早く行動に移し、ステップアップを果たしたのには私もびっくり。

もちろん、『頭脳、人格が優れ、機転も利く上、日本語もできる若い女性』を欲しがる日本企業は少なくないだろうとは思っていたので、彼女の転職自体は驚くことでもないのですが、この思いっきりの良さ。

まあ、ともかく、彼女を採用できたこの企業は幸運だと思います。

さて、ジェーさんの件で思い出しましたが、近頃は、日本の大手企業の中で、アジアの若者を戦力として採用する企業が増えています。

その内、海外(アジア)での採用においては、「日本からの駐在・派遣よりも、現地採用の方が移転費・住居費などの負担が少なくてすむ」という経済的側面もあるでしょうし、「現地でのコミュニケーションや人脈作り」を求めてのこともあるでしょう。

しかし、こうした変化の一番の理由は、アジアの中で知的水準のみならず精神力(やる気)において日本人より勝る人達が出てきた(もしくは気がついた)、ということなのだと思います。

それにしても、こうしてアジア人採用が増えてきた中で、日本の企業はいつまで彼らに日本語能力を求めるのでしょうか。

ジェーさんが大手日系企業に雇われたのは、彼女の知性と人格を見込んでということもあるでしょうが、「日本語ができる」という部分も大きかったと思います。

日本企業が国内で外国人を雇う場合に『日本語ができる外国人』を重宝がるのは理解できますが、海外採用において、欧米スタッフには英語は必須でも日本語能力はさほど求められず、アジアでは英語と同時に日本語能力も重視されるという傾向はおかしいのではないでしょうか。

最近、『楽天』が本社の社内公用語を英語に切り替えると発表しました。

http://www.asahi.com/business/update/0630/TKY201006300412.html

日本の企業の中で、日本国内で英語を社内公用語に切り替えるところは今後もそう増えるとは思いませんが、アジアの支店や現地法人では英語の公用語化はもっと徹底していっても良いように思います。(もちろん現在でも英語が半公用語化しているとは思いますが、日本人スタッフだけで日本語で会話したりしていることは、まだ多く見られるのだと思います。)

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家と車に飾られたドイツの国旗

2010年07月05日 | 異文化

「窓の外では、熱狂的サッカーファンが国旗を車につけて、ホーンや歓声を上げながら、通りを走り回っています。家のバルコニーに国旗を掲げる人達もちらほら。これはナショナリズムの再来でないのは分っているんだけど、僕やほとんどの友人達はちょっと冷ややか。自分達は、国旗を飾ることは、ナショナリズムの再来をイメージするから抵抗があるけど、若者達の見方は僕達とは違うんだろうか。

旗といえば、日本は、もっと国旗に『日本』としてのプライドを持っているのでは?」

これはドイツのペンフレンド、トーマスさんのメールの冒頭にあった言葉です。

20066月に、私はドイツを旅行して、友人Tの車で、フランクフルト近郊のオーバーウルゼルからフランスのアルザス地方に旅行しました。

2006年は丁度ドイツでサッカーのワールドカップ開催。その時、アウトバーン沿いに広がる畑の周りの村のなかには、ドイツ国旗を飾る家々があったりして驚きました。

(スポーツ全般には興味がない私は最初ピンとこなくて、「お祭りでもやっているのかしら?」とつぶやきましたが、Tが「それがワールドカップの関係だろう」と教えてくれました。)

ドイツに国旗を飾る習慣は昔からあるのかと思って、この光景について当時文通していたフィンランドのユーハさんに話したことがありますが、彼は「ドイツは今まで国旗を飾ることに気兼ねがあってできなかったんだ。このワールドカップ(2006年)で、ドイツは自身を取り戻したのだろうが・・・」と感想を述べていました。

ユーハさんの感想がすべて正しいかどうかはおいておいて、①ドイツではそれ以前に国旗をこうして飾ることは稀だった、②(彼の口ぶりからの予想ですが、)今でも欧州の国々ではドイツに対してよい感情を持っていない人が案外いる、ということが感じられました。

さて、トーマスさんから国旗のことを聞いたときに、このユーハさんの話をしようかとも思ったのですが、そこはこらえて、

「私は2006年ドイツにいた時に、ワールドカップの関係で旗を飾る家をたくさん見て驚きました。

ご存知のように、夫はサッカーの熱烈なファンなので、夜遅くまでワールドカップを見ています。特に普段サッカーに興味を示さない息子も日本が負けるまで熱心に試合を見ていましたが、今は気が向いた時だけ。

私は、スポーツ観戦自体に興味がないということもありますが、こうした『インスタント・ナショナリスト達』には批判的ですね(真のナショナリスト、ナショナリズムでないだけましか・・・)。

旗については、日本も昔は祝日に玄関に日の丸を掲げる家もありましたが、今は国旗を持っている家の方が稀です。バス会社によっては、祝日に国旗をバスに飾るところはありますが、今、家や車に国旗を飾る人がいたら、『右翼』と警戒されるかもしれません。」

とだけ書き送りました。

トーマスさんの「日本はまさか、サッカーのお祭り騒ぎにだけ、国旗を飾るなんて、しないでしょう?」という質問には、「日本人は国旗掲揚を恥じない」というニュアンスが含まれていましたが、きっと私の返事を読んで、ワールドカップなどで見かける、「ニッポン、ニッポン」と大声で連呼する日本人と、自国の国旗に対する取扱いについてのギャップに、戸惑ったことでしょう。

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税金は誰のもの?アフガニスタン記事を読みながら

2010年07月01日 | 国際・政治

消費税率引揚げ議論が活発化していますが、先月、仙谷官房長官は、事業仕分けなどによる歳出削減に関し「残りせいぜい(無駄を)2兆円切れればいいところだ」との見通しを示し、消費税率引き上げの必要性を説きました。

消費税については、赤字国債で穴埋めし将来に付けを残すよりは、消費税率を上げることの方が健全だと私は思います。ただし大きな疑問が一つ。それは「歳出削減を見込んでスタートさせた『子供手当』。歳出削減ができないのであれば、まずこちらを元に戻してから(『子供手当』を、金額も少なく、所得制限付きの『児童手当』に戻す)、消費税の議論に入るのが筋ではないか」ということです。

また、税収を増やすためには、消費税率だけではなく、所得税の最高税率見直し(198375%、現在40%)も大変効果的だと思うのですが、こちらは政府もメディアも故意にか、あまり取り上げません。

さて、前にも書きましたが、税率の高い国では、国民と政府の信頼関係があるからそれが成り立っています。「高い税金があっても、老後の心配もないので、国に貯金しているようなもの」と言っている人もいるくらいです。

しかし、日本の場合、税金を上げたところで、きちんと国民が信頼できる使い方をしてくれるのかはとても不安です。

先月中旬「アフガニスタンで1兆ドルの鉱脈が見つかった」という記事がニューヨーク・タイムズに載り、話題になりました。アフガニスタンに鉱脈があることははるか昔から分りきっていることなのに、この次期に大々的に発表させたということは、「アフガニスタン派兵を渋る各国への『餌』かな?」と思っていたところ、このすぐ後に、カルザイ大統領が4度目の来日。

復興支援を約束した菅首相に感謝しながら「鉱脈の件はアメリカより日本が一番優先権を与えるからね」と恩ツケがましく言い、二人仲良く写真に納まったりしていました。

http://www.huffingtonpost.com/2010/06/20/japan-has-priority-on-rig_n_618545.html

銅開発の会社にいる友人は、「アフガニスタンに我社は行かないだろう」と関心を示しませんが、彼の会社でなくても日本の企業が危険を犯すはずもありません。普通に考えたら、日本はアフガニスタンに貢いだとしても、探鉱に関わるのはずっと後。その頃には、海千山千の国々が先に手をつけていることでしょう。

また、そもそも、カルザイ政権は汚職まみれだし、この政権自体がいつまで続くかもわかりませんし、外交駆け引きの下手な日本は、国民の血税を貢がせられて終わりの可能性もあります。

それにしても、このアフガニスタンの件ですが、アフガニスタンをぶち壊した米国の方では、「アフガニスタンは汚職が激しいので、復興に血税を与えられない」

http://www.huffingtonpost.com/2010/06/28/house-dems-citing-corrupt_n_628126.html

という声が大きくなっています。

(日本政府がこれを知らないわけがないのに、誰も何も思わないのでしょうか。)

こうなってくると、日本は税収が上がっても世間知らずのボンボンがお金をたかられて、人の後始末まで押し付けられているようなものでしょう。

すべてこの調子のままだとすると、増税されても、自分達の将来(老後)の安心を得ることは難しそうです。

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