Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

731部隊の隊員名簿-終戦後要職を得た元隊員~戦死した石井四郎の側近

2018年12月20日 | 戦争・紛争

現在またしても書類の整理をしていますが、2005年に元731部隊で隊員の保健婦をしていたMさん(イニシャルは適当)と話した時のメモがでてきました。

その中に彼女がお世話になった上司の方のお名前があったこともあり、Mさんと彼の名前がリストにあるかどうか調べるべく、731部隊の名簿をネットで探してみました。

それで見つかったのがこちら。

教えて!ゲンさん
http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_h/13817/ 

名簿には、Mさんご自身のお名前は見つかりませんでした。

また、Mさんから見せてもらった731部隊のスナップ写真では保健婦、看護婦とみられる女性たち(おそらく診療部や総務部。皆私服ではなかったと思います。)は2名どころではなかったはずですが、名簿で該当されると思う方は2名止まり。

ただし、Mさんが尊敬していたという上司のお名前はありました。
その方は中留金蔵氏。

この方のお名前を検索すると、もう一つ情報が乗っているものがありました。
http://www.geocities.jp/yu77799/731/yougo.html 

中留氏は、石井四郎氏の“腹心”とされている方だったようでした。
Mさんが持っていた写真とお話の中の中留氏は非常に温和な方を想像していたので、それが石井四郎の腹心とされていた、ということで、「戦争は、善人からも人間性を失わせるものなのか・・・」とため息をつきました。

しかし、この中留氏のことはMさんから、終戦近くになって南方に送られ、戦死をされたと聞いています。(飛行中に追撃されたか何かだったと思います。Mさんがその消息を731部隊で知ったのか、戦後に知ったのかは不明。)

中留氏が南方で戦死をしたという話が本当であれば、石井氏の腹心、側近と呼ばれる人達が戦後も要職についたりするなか、なぜ中留氏は危険な南方に送られたのでしょうか?

想像するに、中留氏が石井四郎氏矢731部隊、軍部にとって邪魔な存在になったということも考えられるのではないでしょうか? 

今回、731部隊のリストのリンクを紹介してしまいましたが、私は以前、 

731部隊『名簿公開』の影に隠れる事実-731部隊の上層部とGHQの取引
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/7caa64f5aba46fd6fd7fcbb5f4dac88f

 で書いた通り、731部隊の隊員一般公開したことには疑問を持っています。 

隊員のリストが万全でない上、隊員それぞれが必ずしも好んでその任務についたわけでもない-731部隊でしていることを知り、苦悩していた人もいると思います。 

名簿はもう公開しまいましたのでどうしようもないですが、せめて名簿に載っている人達すべてを生贄にされることがないよう、願うばかりです。 

(若い頃読んだ深田祐介の『炎熱商人』という小説には、フィリピンに駐屯したものの、人間性を失わない日本の軍人がでてきます。

彼は現地の人に対してフェアに接しましたが、日本の軍人というだけで、終戦のとき、現地の人達に残虐な殺され方をしてしまいました。

ずるい人ほど、逃げ足は速いです。)

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Who Wants A One World Government? by Michael Barker

2018年12月09日 | 社会(歴史・都市計画含む)

明治維新で廃藩置県となったあと、長州藩が日本を操ってきたようのと同じようなことが世界で起こっているのを感じています。 

非常に長いですが、以下の論文をちょっと覗いてみてください。

(ソロス、ロックフェラー、ヒューマン・ライツ・ウォッチ等の名前もでてきます。) 

Who Wants A One World Government? 
 by Michael Barker
http://www.swans.com/library/art15/barker17.html 

オーストラリアのMicheal James Barker氏のブログはこちら。
http://www.swans.com/library/art15/barker17.html

ただし、開けない記事が少なくないです。
上記の記事も読めなくなる可能性が高いと思いますので、お早目にご覧ください。

2023年9月19日追記:

今日この記事にアクセスがあったので、改めて開いてみました。
それで気が付いたのは、Barker氏のブログのHPのリンクが置き換わっていること。
もちろん、私が最初から間違って載せていた可能性は大ありですが、こんな短い記事で気が付かなかったのか・・・。

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ロナルド・ドーア氏の訃報-Dulwich Boysが愛した日本

2018年12月05日 | R.Dore

家の方は先月下旬に引っ越しも終わったものの、玄関ポーチを壊して配管工事のやり直しがあったりバタバタしていましたが、残すところ、外構工事だけ(もちろん、片づけもあります)になりました。 

10月の家の引き渡し後から新聞をまとめて読めるようになったのが、先週末。

新聞を見ない日もあったため、とんでもないニュースを見落としてしまっていました。 

とんでもないニュースとは、私にとって著名な社会学者というよりも、伯父のような存在であった、ロナルド・ドーア氏の訃報。 

各社新聞(日、英、米)の主要新聞では11月13日となっていましたが、彼がボローニャの病院で亡くなったのは11月14日(ご家族に確認済。ただし、ご自宅で意識がなくなったのが13日~14日の真夜中、病院で確認されたのが14日ということかもしれません。) 

家のごたごたが住んでから、彼とご家族のもとに伺おうと考えていた私にとっては、大変ショッキングなことでした。 

半月以上たってから彼のご家族にお悔みの言葉を送ったところ、ご家族からは、 

「彼の死は覚悟はしていたものの、悲しみは癒えず、落ち着かない状態です。

彼はよく、「自分の人生は満ち足りている。それはアカデミックな分野のみならず」と言っていましたが、人々は彼の暖かさと寛容の精神を忘れないのではないか、と思います。

そう、あなたが言う様に、彼は私たちの心の中で生き続けることでしょう。」

そして最後に、「日本は彼にとって spiritual homeでした。」 

というお返事をいただきました。 

このドーア氏が亡くなる数か月前には、SOASのDulwich Boys の1人であったヒュー・コータッツィ元駐日大使もお亡くなりになりましたが、後年彼らが心配し続けることになった日本。 

彼らが日本を心配しながら亡くなることになってしまったのは残念ですが、彼らを弔うためにも、真の意味で日本を愛し、真の日本らしさをこれ以上失わせないようにしていこうとする人を陰ながら応援していこうと思います。 

「(従来の)日本」とは、まさに、ドーア氏と同じ「“暖かさと寛容の精神”がある国」であった、そう考えます。 

カテゴリ― R.Dore
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/c/8f55c1aed6f835cc16ee49b3cc20a316 

参考: 

ドーア氏にとってはむしろ批判的と思われる産経系のサイトが、何処よりも長いと思われるドーア氏の追悼記事を書いてくださっていました。 

Japan Forward
Ronald Dore、Major Figure in British Post War Studies on Japan, 93
https://japan-forward.com/professor-ronald-dore-major-figure-in-british-post-war-studies-on-japan-93/

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