Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

ケストナーのランドセル

2009年05月01日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

ドイツの作家、エーリッヒ・ケストナーは、児童文学作家として良く知られていますが、大人向けの本、詩も書き、優れたジャーナリストでした。

今、彼の児童向けの本『私が子供だった頃』という本を読み直しています。これは1899年生まれのケストナーが、1957年に書いたものです。

その中の2節から(高橋謙二氏訳より)-

「私が計算の問題を、いぶる石油ランプの下でやったのは、つい昨日のことだったのか、それとも本当にもう半世紀前のことだったのか。(中略)そりゃ、灯りは今日より明るく光る。電流を石油入れの缶で買う必要もない。いろんなものが前より便利になった。それで前より美しくなったか。私にはよく分からない。たぶん美しくなっただろう。たぶん美しくなってもいないだろう。」

「私の未来の(※「未来」は私の写し間違いだと思います)父は確かに第一級の職人、いや、皮の芸術家だったが、劣等な商人だった。それは互いに関連していた。1906年に彼が私に作ってくれたランドセルは、1913年に私が堅信礼を受けた時も、学校に入った最初の日とまったく同じように新しかった。それはそれから誰かのところへ送られ、さらにその子供が学校を出ると、また次の子供へと、次々譲り渡されていった。(中略)いずれにしても、決して壊れないランドセルを作るものは、確かに最高の称賛に値するが、それは彼と彼の将来にとってまずい商売である。一人の子供が3つのランドセルを使えば、3人の子供が一つのランドセルを使う場合より、売れ行きはぐっと高くなる。(中略)皮細工師ケストナーはつまり、テコでも壊れないランドセルを、破れることのない書類かばんを、永久に持つ紳士用と婦人用鞍を作った。もちろん、彼の製品は、どこか他所より高価だった。何せ彼は、最上の皮、最上のフエルト、最上の糸、最上の腕を使った。お得意には、彼の仕事は値段以上にずっと気に入った。しかし、買わないで、店からまた出て行く人も少なくなかった。」

ケストナーの時代は、それこそ現代よりずっと文明に大きな変化があった時代です。電気、自動車の発展から、皆はより便利なもの、スピードを求め、大量消費の時代へ。そしてその流れは、文明の進化がさほど必要でなくなったと思われる現代にも続きます。

しかし残念なことに、「より安くて高度なものを」「便利なものを」と、本来『良い製品』を作る目的が『人々』のためであったはずなのに、現代は『経済活性化』の名のもとに、本末転倒になっている部分も無きにしも非ずです。

たとえば、TVの地上デジタル波への移行、動物実験を経た化粧品の改良、携帯電話の多機能。これらは、むしろ消費者が望んだからでなく、作る側の都合による『強制的進化』でもあります。もちろん、こうして経済活性化されることで、雇用の安定に繋がるなどのメリットもありますが、同時に環境面を初めとして、社会的費用を生みだしています。

蛇足ながら、ケストナーの父親のその後を付け加えると、彼は結局職人をやめ、工場に勤務することになります。テコでも壊れないランドセル、破れることのない書類かばんが当たり前だった時代、そんな時代が二度と戻ってこないことを彼は悲しんでいたことでしょう。

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