70年代の反戦活動といえば、女優のジェーン・フォンダ。
中学生の映画ファンだった私はスクリーンやロードショーで「反戦活動家だったジェーン・フォンダ」と紹介されている記事を見て、「反戦活動家というのがどうしていけないのだろう?アメリカは好戦的な人がそれだけ大きいということ?」と思ってきていました。
でも、実は、ベトナム戦争に行った人たちや、家族(遺族)からしてみれば、「ジェーン・フォンダ達芸能人や有名人たちは戦争は他人事だからパフォーマンスとしての反戦活動をしているようにしか見えない」という意味で、彼女たちを嫌う人たちがいたのではないでしょうか?
抜粋:
ジェーン・フォンダ(Jane Fonda, 本名:Jayne Seymour Fonda, 1937年12月21日 - )は、アメリカ合衆国出身の女優、作家、政治活動家。父のヘンリー・フォンダ、弟のピーター・フォンダ、姪のブリジット・フォンダも俳優である。
(中略)
私生活では、1965年に映画監督のロジェ・ヴァディムと結婚したが、1973年に離婚。直後に社会・政治活動家のトム・ヘイデンと再婚する。1970年頃から1975年頃までベトナム戦争に対する反戦運動に傾倒し[6]、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた。
(中略)
ベトナム戦争中のアメリカでは、「リベラル」系の作家や評論家などの文化人や俳優、歌手などの芸能人による反戦運動が盛んに行われていた。 フォンダも活動に加わるようになり、1970年には反戦を訴えるヒッピーのグループとともに軍の基地に侵入を試み逮捕されている[10]。また同年に行われたワシントンD.C.で行われた反戦集会にも参加した。1971年にベトナム戦争復員軍人による反戦活動VVAW (ベトナム反戦帰還兵の会)の公聴会を支援し、資金集めのために全米各地で集会を開く[11]。共に運動を行った政治活動家のトム・ヘイデン[12]とは1973年に結婚している。
VVAWの活動には2004年に民主党から大統領選挙に出馬したジョン・ケリーも深く関わっており、後の大統領選で争点となった。この間、フォンダはビラ撒きや薬物所持の容疑で数回逮捕されている(薬物所持の罪状については後に取り下げられた)。1970年5月からFBI当局、CIA当局からの監視対象となり、最終的に2万ページにも及ぶジェーン・フォンダに関するファイルが作成された。
1972年7月にベトナム民主共和国を訪れた際、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた高射砲に座り、北ベトナム軍のヘルメットを被ってポーズをとった。さらにハノイに抑留されているアメリカ兵士の戦時捕虜を「死刑にすべき」と発言した。
後にこの時の写真と記事は世界中に配信され、その後フォンダは「祖国への裏切り行為で自分の判断の誤りだった」と釈明したものの、「ハノイ・ジェーン(Hanoi Jane)」と呼ばれ、長年に渡りベトナム退役軍人とその家族を中心に「売国奴」、「裏切り者」として大きな批判を浴び続ける。
フランス映画界と20世紀-ロジェ・ヴァディム - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
1905年にできたブルームズベリー・グループがした悪戯とジェーン・フォンダのパフォーマンスが似ているような気がします。
偽エチオピア皇帝事件(にせエチオピアこうていじけん[注釈 1])またはドレッドノート・ホウクス(英語: Dreadnought Hoax[注釈 2])は、1910年にアイルランド出身のホレス・ド・ヴィアー・コールがイギリス海軍を相手にしかけた大がかりな悪戯である。
コールはエチオピア王族一行のふりをしてイギリス海軍を騙し、旗艦である戦艦「ドレッドノート」を見学させてから、これが悪戯であったことを大々的に暴露して海軍の面目を丸潰れにした。コールとともに王族一行に扮したのは、後にヴァージニア・ウルフの名で作家となるヴァージニア・スティーヴンら6人で、いずれも「ブルームズベリー・グループ」に属する大学生であった。
(中略)
悪戯
ヴァージニア・ウルフが1940年に行われた講演で述べたところによれば、この悪戯は、防護巡洋艦「ホーク」の乗組員だったコールの友人から持ちかけられたものだったという。
ホークとドレッドノートの将校たちは互いに確執を持っていました。...ホークに乗っていたコールの友人がコールのところに来て、彼に言いました。「あんたは人を騙すのが得意なんだろ。ドレッドノートの奴らをからかってやってくれないか? 奴らは一杯くわされたいんだとさ。あんたから悪戯の1つでも仕掛けてみることはできないものかね?[25]」
コールは、ケンブリッジの偽スルタン事件と同じ手口の悪戯を、ドレッドノートの乗組員を相手に仕掛けることにした。この悪戯に、コールの5人の友人が協力した。ヴァージニア・スティーヴン(後のヴァージニア・ウルフ)、その弟のエイドリアン・スティーヴン、ダンカン・グラント(英語版)(1885年-1978年)、アンソニー・バクストン(英語版)(1881年-1970年)、ガイ・リドリー(英語版)(1885年-1947年)で、いずれも「ブルームズベリー・グループ」に属する大学生だった。
彼らは、偽ザンジバルスルタン事件のときと同様にクラークソンに頼んで、エチオピアの王族にみえるようターバンを借りてブラックフェイスの化粧をしてもらい[26]、エチオピアの王族一行になりすますことにした。この変装の大きな欠点の1つは、化粧が落ちてしまうため、王族役は物を食べることができないということだった。エイドリアンが通訳の役を務めることになった。
(後略)
なお、ジェーン・フォンダの反戦活動を起こした時点の夫はロジェ・ヴァディム。