Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

ナチスの手本-2(洗脳、麻薬)

2024年05月14日 | ナチスドイツとホロコースト・ホロコースト産業

先月末に書いた

ナチスの手本-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の続きです。

 

「洗脳」、狂気じみた人々を計画的に生む驚愕歴史 教科書に載らない史実、おぞましい人体実験 | 雑学 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

人間を意のままに操ることができたとしたら?

そんな技術を指す言葉が「マインドコントロール」です。日本では新興宗教ブームの際、信者になってしまった者の奪還を試みた家族や被害対策弁護団がこの言葉を使って一般化しました。

こうした新興宗教はいわゆる「カルト」とも呼ばれますが、その団体にはさまざまな「思考操作」のための要因が揃っています。それが「高い理想」「世の中への不安」「隔離された環境でのトランス状態」「神的な教祖」といったもの。これらを巧みに利用して教団自体や信者が社会から逸脱して暴走し、大きな事件となったケースがいくつもあります。

(中略)

ナチスが1933年に権力を握った後、総統ヒトラーはヨーゼフ・ゲッベルスを大臣に「国民啓蒙・宣伝省」を創設しました。

前項ではテレビ放送や国民へのラジオ放送などについて触れましたが、同省の目的は、美術、音楽、映画、演劇、書籍、新聞、ラジオ、教材といったものを通じ、ナチスのメッセージを確実に行き渡らせ、プロパガンダに利用するためです。これらはナチスが「意思操作こそ究極の兵器」と考え、それを研究していたため。

ヒトラーが演説上手だったことも有名ですが、これも心理操作を大いに盛り込んだものでした。彼の演説スタイルはとても激情的なもので、佳境に入るとそれまで穏やかに話していた様子が豹変します。語気は荒く、表情も険しくなり、眼は観衆に向かって大きく見開かれる。そして手を振り上げ振り下ろし、虚空を摑む。こうした演出は、観衆をある種のショーを見ている感覚にさせてしまいます。

(中略)

第二次世界大戦が終わり、ナチス・ドイツの科学者がアメリカに渡ると、彼らはある実験に深く関わったとされました。それが1953年からCIAによって行われた洗脳実験「MKウルトラ」です。

(中略)

MKウルトラの計画は、リチャード・ヘルムズの勧めに従い、CIA長官アレン・ダレスが許可を下し、その後ヘルムズ自身がCIA長官になり、主導しています。主な目的は尋問対策や暗殺者を養成するために必須の思考操作の開発だったといわれています。

この実験は本人の同意を得ないまま数千人、一説には知らない間に被験者となった人を含めて万人単位で実験にかけられたとされています。その中でも自ら志願した最初の犠牲者は、LSDを用いた実験の最中、幻覚からか死の欲望が湧き、ピストル自殺を遂げてしまいました。

(後略)

 

アヘン、ヒロポン、モルヒネ、ヘロイン、LSD、etc.-洗脳の道具にもなります。

日本軍の財源となったアヘン売買・戦争と製薬業界 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

ところで、ナチスドイツにメルクが麻薬を作っていたようです。

2つのメルク - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

Merck Group - Wikipedia

抜粋Google翻訳:(※上記ブログ記事の時のwikipediaのGoogle翻訳)

ハインリヒ・ヨハン・メルク(1770–1853)の子孫である家族の支部は、ハンブルクの支配階級のハンザ同盟商人に属していました。彼の家族はマーチャントバンクH.J. Merck&Co。を設立し、数人の家族がハンブルクで上院議員を務め、息子のカールメルク(1809–1880)はハンブルク1847–1880のシンジカス(外務長)でした。もう一人の息子、ハンブルクのオーストリア総領事であったマーチャントバンカーのエルンストメルクは、1860年にオーストリア皇帝フランツヨーゼフ1世に崇拝され、男爵の称号を授与されました。

メルクのルーツは、17世紀にヘッセンダルムシュタットの土地墓地(現在はドイツの一部)にまでさかのぼります。 1668年、薬剤師のフリードリヒ・ヤコブ・メルクがダルムシュタットのエンゲル・アポテーク(「エンジェル薬局」)の所有権を引き継ぎました。

1816年、最初の創設者の子孫であるエマニュエルメルクが薬局を引き継ぎました。彼の科学教育のおかげで、彼は薬局の研究室でいくつかの異なるアルカロイドを分離して特徴づけることに成功し、そうすることによって多くの薬も発明しました。彼は1827年にこれらの物質の「大量生産」を開始し、「医薬品と化学の革新の内閣」として宣伝しました。彼と彼の後継者たちは、医薬品の原材料に加えて、他の多くの化学物質や(1890年から)医薬品を生産する化学薬品工場を徐々に建設しました。[18]

(中略)

ナチスの支配の年に、会社は1933年にナチ党のメンバーになり、その後Wehrwirtschaftsführerの称号を受け取ったカールエマヌエルメルクによって率いられました。さらに、メルクはヘッセン商工会議所の会長であり、NSDAPの国民健康専門家諮問委員会(「SachverständigenratfürVolksgesundheit」)で諮問機能を果たしました。[21]第二次世界大戦中、メルクは麻薬、ビタミン、殺生物剤、その他の化学物質などの戦争に不可欠な製品を製造していました。同社の報告によると、265人の強制労働者がダルムシュタットの工場で働いており、そのほとんどがロシアとポーランドの女性でした。


参考:

LSD (薬物) - Wikipedia

ジョン・レノンとオノ・ヨーコと「ヌートピア(Nutopia)」-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

幻覚剤「LSD」を40年ぶりに人間に投与できる科学者 - GIGAZINE

コーヒーからヘロインまでドラッグまみれのアメリカ100年史 - GIGAZINE

サンド (製薬会社) - Wikipedia

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