Various Topics 2

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※旧Various Topics(OCN)

アドリアーノ・オリベッティたちが描いた世界-7(カルロ・レーヴィ「未来には古代の心あり」)

2024年03月17日 | オリベッティ・反ファシスト

「私たちは何か新しいものを発明するように求められているわけではない。未来には古代の心があり、私たちはそれを明らかにし、共有し、一緒に解釈するだけでよい。云々」

We are not called to invent anything new: the future has an ancient heart, said Carlo Levi, and we just have to reveal it, share it and interpret it together. The Universo Olivetti exhibition fits in this direction, following the recent inscription of Ivrea among the UNESCO World Heritage sites. A nomination that goes to a precious heritage of modern architecture but above all to a history of social, political and entrepreneurial avant-garde, a story with an ancient heart

という、文をオリベッティ財団のウェブサイトから見つけました。

Future as an ancient heart - Adriano Olivetti Foundation (fondazioneadrianolivetti.it)

「未来には古代の心」と言ったのは、カルロ・レーヴィ。

 

アドリアーノ・オリベッティたちが描いた世界-1(ダマヌールとコミュニティ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の中で、アドリアーノ・オリベッティがマテーラをプロジェクトとして考えていたのは、「古代からのUndergroundの住居」として、スピリチュアルなものを感じていたからではなかったか?」という疑問を持って書きました。

上のカルロ・レーヴィの言葉は、一見その自問が正しかったのではないかーと思わせますが、いや、カルロ・レーヴィにしろ、アドリアーノ・オリベッティにしろ、彼らは、「まずは自分たちの周りから助けていこう」ということだったのではないかと思えます。

(孔子が重い荷物を運んで苦しんでいる目の前で苦しんでいる牛を助けようとして、弟子に「一頭助けても他にも重い荷物をしょわされた牛はたくさんいる」と疑問を呈される話でいえば、彼らは孔子。

文学の仕事 解説その2 目の前で苦しんでいる牛を助ける意味 | 文LABO (bunlabo.com)

 

マテーラは、カルロ・レーヴィが救済を従っていた村。カルロ・レーヴィとは、アドリアーノ・オリベッティは反ファシスト仲間でカルロつながっていて、アドリアーノの妻パオラは、のちのカルロの妻となりました。

美しきマテーラ 荒廃・困窮から世界遺産・欧州文化首都に|イタリアの緑のこころ|World Voice|ニューズウィーク日本版 (newsweekjapan.jp)

町を荒廃から救った作家カルロ・レーヴィ、情熱とペンの力  〜 美しきマテーラ 荒廃・困窮から世界遺産・欧州文化首都に 後編|イタリアの緑のこころ|World Voice|ニューズウィーク日本版 (newsweekjapan.jp)

 

カルロ・レーヴィ - Wikipedia

カルロ・レーヴィ(Carlo Levi(イタリア語発音: [ˈkarlo ˈlɛːvi])、1902年11月29日 - 1975年1月4日)は、イタリア系ユダヤ人の画家、作家、活動家、反ファシスト、医師。

(中略)

1929年にネロとカルロ・ロッセッリ兄弟が正義と自由 (Giustizia e Libertà)と呼ばれる反ファシズム運動団体を結成、両親と一緒にイタリアに移住したロシア系ユダヤ人レオーネ・ギンズブルグ(夫人がナタリア・ギンズブルグ)と共にイタリア支部の指導者に就任 (1932年)。 カルロはフランチェスコ・メンツィオと共にジェシ・ボズウェル、ジジ・チェッサ、ニコラ・ガラント 、エンリコ・パウルッチといったすべてトリノの画家で構成される著名な組織グルッポ・デイ・セイに加わった。

反ファシズム運動に関与、活動の結果、レーヴィは逮捕され、1935年から1936年にかけて、ルカニア地方と呼ばれていたイタリアの僻地にある町アリアーノ (著書の中ではガリアーノとしている)へと流刑に処せられる。アリアーノでは、裕福なイタリア北部ではほとんど知る由もなかった貧困を目の当たりにする。医学部を卒業後に診療をしたことは一度もなかったけれども、村人を診察する医師の一人として働く。流刑中、絵画を描くことに多くの時間をさいている。解放後、フランスに移住、1939年から1941年まで住んでいる。1941年にイタリアに戻り、その後、フィレンツェで逮捕され、ムラテ刑務所に収監される。ベニート・ムッソリーニが拘束された後に解放され、ピッティ宮殿の向こう側の方で隠れ家を探す、そこで代表作『キリストはエボリで止まった』を著した。

(後略)

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