湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

失うの詩パート9

2016-11-30 23:28:23 | オリジナル
共通テーマ「失う」でAが書いた詩を投稿します。

得る

わたしは失ったのではない
わたしを得たのだ
腹の中に
瞳の中に
そこから見える光の中に
霞がとれた
わたしだけの
地形が
歴史が
罪が
傷を乾かしている
微かに
確かに
揺れている

〈気の毒に失ったのだ〉
と同情したいのなら
〈確かに生気に溢れる苦悩を失いました〉
とでも応えればよいのだろうか


「失う」「あふれる」の詩の締切は12月2日(金)です。
次回合評会は、12月5日(月)14:00~逗子市民交流センター1階市民活動スペースで行います。
見学歓迎。
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珈琲とエクレアと詩人

2016-11-29 18:17:37 | 文学
昨日、逗子ゼロウェイストニュースのデザイン出しをしました。@材木座のミルコーヒー&スタンド

そしてコーヒーとエクレアが好きだった詩人、北村太郎に関するエッセイ集を読了。
鎌倉の出版社、港の人から2011年に出版され、なかなか好評で現在4刷まで版を重ねているそうです。
北村太郎から「ゆきちゃん」と呼ばれていた著者は、1980年から1992年に彼が亡くなるまで、12年間交流がありました。その間のエピソードが順を追って綴られています。彼女にはこの本の中で「大家」として登場する田村和子さんとのスケッチ「いちべついらい」という著書もあります。
珈琲とエクレアと詩人 スケッチ・北村太郎の冒頭に収められている北村太郎の詩を引用します。

天気図

きのうは
太平洋沿岸を急速にこすっていった低気圧のせいで
午後一時半
ヨコハマを出ていったときは雪
スカ線でながめた鶴見操車場は晴れ
午後三時の飯田橋はみぞれ
五時の白山上は曇りで風つよし
十一時半のヨコハマ・ザキは人影なく
水銀灯
氷の疑問符のごとし
午前一時帰宅

さっき白いネギを一本
薄皮を剥いで丁寧に洗った
そのあまりの白さに
だれもいないうしろを振り返って
アアとことばを発した
しばらくして
包丁が光り
ネギがざくざく切られてゆく
おれの希望
吸いこまれる心ぼそいキャッシュ・カードのように
彼方の闇へ
どこまでもひらべったく――か
等圧線
きょうはきれいに上下に立っていて
まる四十八時間
睡眠と覚醒が天気図どおりに冷えていて
ステンレス・スチールの流しに
包丁が水に打たれたままでいる

北村太郎がよくコーヒーとエクレアを注文していたのは、鎌倉駅前のイワタコーヒーだそうです。
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逗子ゆかりの音楽

2016-11-28 11:23:25 | 文学
昨日、サードエイジ連続講座第2期の「歌を訪ねま専科」を受講しました。
逗子開成中学校七里ヶ浜ボート遭難事故から生まれた歌「真白き富士の根」を深掘りした興味深い内容。
講師のピアニスト飛松利子さんが、ピアノを演奏しながら「真白き富士の根」に使われた曲の変遷も解説してくれました。
原曲は18世紀のアイルランド舞曲なんですって。テンポが全然違います。

講座の会場になった逗子小学校第2音楽室・児童会室の壁に逗子小の校歌が貼られていて、そっちもふと気になってしまいました。
大抵の場合、校歌の歌詞の出だしは学校周辺の自然や地理を表現していますよね。
逗子小のロケーションはどんな歌詞になっているのかな?と見てみると…
1番 相模の海に飛ぶ鴎
2番 碧の渚散るしぶき
3番 富士遥かすむ海と陸

と、1番から3番まで全ての冒頭に海要素が入ってます。
逗子湾に近い場所にあり、ボート遭難の悲劇があった後も、いやそれだからこそ海洋教育に力を入れてきた逗子開成の校歌ですらそこまで海押しではないのに。
海のように広くて大きい心の持ち主になってね!という意味が込められているのかもしれません。
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「こぼれる」の詩パート6

2016-11-27 00:43:52 | オリジナル
レリーフ「さ迷えるオランダ人」石原慎太郎作@逗子文化プラザなぎさホールホワイエ

では、共通テーマ「こぼれる」でSが書いた詩を投稿します。

ワーグナー
   (あるいはハプニング)


姿勢の非常にわるい亡霊(生前女であったがいまは男である)が
カーネギーホールの入口の壁に
張りつくようにねころんでいる浮浪者の
私生活にカメラをむけている

ホールから亡霊の耳に
ワーグナーの曲が聴こえる
ワーグナーは亡霊の王たちの一人だ
戦争のBGMに使われたり
ときにはデリケートな耳を
萎えさせる
シュールでないシュール的オブジェ!!

音楽は通行人の耳にはとどかない
一人ずつ通行する孤独な人びと
立派な身なりの浮浪者はしずかにねむっている

なるほど 芸術かもしれない
あまりにも執拗なメロディ
奴だ

とつぜん亡霊は発想が目に浮かぶように
思われた
姿勢もしゃんとした
死んだ今 自分が
遅い者か
速い者か わからなかった

詩が創れると感じた が
目から零れ落ちるはずの発想が
消え去っていた

ワーグナーのせいだ
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こぼれるの詩パート5

2016-11-26 00:36:10 | オリジナル
共通テーマ「こぼれる」でSが書いた詩を投稿します。

こぼれる

こぼれたミルクは歌わない主義です
と手紙に書いた
こぼしてしまったコトバはしかたがない
背の高い神が
私にかがみこんでささやいた

生者に恥ずかしいことなどない
ミルクもコトバも
はじめからそんな運命だった
怖がることなどない

シャンソン歌手がジャズ歌手が
男女の血のナミダをこぼし続ける
  あんたがわたしを恋してる
  おまえがおれを恋してる
正しい母の正しいお粥のような
ウソをこぼし続ける
ときにはこぼれたウソが
日記のなかへはいりこむ

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失うの詩パート8

2016-11-25 08:23:17 | オリジナル
海から霧が立っていて、一瞬露天風呂かと思っちゃった。今朝の富士山は真っ白。伊豆半島も白いです。

では、共通テーマ「失う」でSが書いた詩を投稿します。

別れの曲

無神経にも
ショパンの別れの曲が
流れていた テレビジョンに
怪しげなくすり入りの酒をのまされた
ヒコーキが舟が兵士が
死に向かって
うつくしく うつくしく
進んでいた
戦争は
ショパンまでBGMにするのだ

死ぬときは
母を呼ぶだろう
ショパンのように
「ああ きのどくなおかあさん」
と叫ぶだろう

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11月の初雪&失うの詩パート7

2016-11-24 11:25:55 | オリジナル
一昨日は夏みたいに暑かったのに、54年ぶりの11月の初雪って!!
体調にお気をつけください 慣れない雪道で怪我しないようにね。
逗子海岸は真っ白。海上は気嵐です。

では、共通テーマ「失う」でSが書いた詩を投稿します。

赤い色なしで

ゆびを一本失うという 悲劇から
ああ 四十年経った
命ごいなど しなければよかった
なつかしい向こう見ずなわたしは
もう どこにもいない ああ 死んだのでも
眠っているのでもないピアニストのゆびで
せめて わたしを笑わせてくれる ひとを
求めたりもした
些細なことにも 笑うようにしてきた
冬のコートを着た冬が わたしを引きずって
すたすたと歩いた わたしは 笑いながら
冬に 引きまわされた

明日という日が もし わたしそっくりの
むさくるしい女の顔であるなら わたしは
そんなものを 待とうとしないかもしれぬと
いうおそれがある
自殺願望! 死んでおしまいにしたい!
失われた時を求めて それから ついに
見出した時とは何?
数は少ないが 大きかった 恋の
二つ三つが 紫色の
毛糸の房つきのこっけいなあの帽子が
わたしの マドレーヌ菓子か それとも
もっと抽象的な マルセル・プルースト風の
アメのつつみ紙が私のマドレーヌか

鏡のなかの老いたわたしを わたしは
ぼくと呼ぼう ゴキブリの色のぼく だから
ぼくは川っぷちに向かう――

男に変身したぼくは すこし エレガントだ
ほら ごらん 初老の男が三人
釣りをたのしんでいる 一人ずつの三人は
仲間ではない ひょっとすると五人かも
かれらのくちびるに 色はない
何人いようと 風景だ
風景として存在で き る !
わたしは四十年前のあの夜 男になるべきであった
万年筆のキャップを外すように
かんたんに 男になるべきだった
野獣の形相の 男に
なるべきだっ

赤い色なしで
<失われし時>を生きるべきだった
あとさきなど考えず 悲劇の夜の 満月を
忘れ去り 魚を
釣っていればよかったのだ
男のように
むさくるしい
へやの
ドアを開け
川っぷちにいくべきだった
風景のように
存在すべきだった
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日本印刷文化の源泉

2016-11-23 23:05:06 | 旅行
先日また逗子から小旅行して築地へ。前回土曜日に行ったらものすごく混んでいたので、平日に行ってみました。やっぱり休市日以外の平日がオススメですね。
場内の魚がし横丁にはこんなお土産を売る店も。マグネットの地名が両方併記になってます

魚がし横丁で朝ごはんを食べて、近くの活字発祥の碑を見てから帰ってきました。

日本の活版印刷は明治時代に築地で始まったんですね。
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こぼれるの詩パート4

2016-11-22 12:38:59 | オリジナル
昨日投稿した逗子開成ばなしの続きじゃないけど、逗子開成の銀杏並木です。

では、共通テーマ「こぼれる」でAが書いた詩を投稿します。

石ころ

発情期でもないのに
猫が闇で騒いでいる
朝になって裏庭に出ると
掌に入るような猫が
生ごみの穴にかけた波板の上で
丸くなって陽を浴びていた

あれは
きれいな石ころみたいな柄の
この子を守るために
母が敵を嚇す声だったのだ
なにかあれば
すかさず飛び出そうと
ナイフを含んで
私を見ているに違いない
母猫の
溜め込んだ傷痕

温かい石ころを舐める舌
名前のない子猫の
眼前にひらけていく
危険と光に満ちた世界に
秋がこぼれている
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逗子開成にまつわる話

2016-11-21 02:30:34 | 文学
昨日行われた第25回逗子海岸流鏑馬の特別企画、逗子開成学園和太鼓部演奏。

オリジナリティと伝統を兼ね備えたレベルの高いパフォーマンスを代々受け継いで、イベントで地域の人々を楽しませてくれるいい部活ですよね~。
今月16日にAが講演させていただいた地域の変遷とゆかりの文学でも、逗子開成にまつわるお話を少しさせていただきました。
それはこんな内容でした。
昭和53年平林たい子文学賞を受賞した「七里ヶ浜」の作者、宮内寒弥は逗子開成中学ボート遭難事件の責任をとって退職し逗子を去った教師の息子さんです。68年を経て事故の背景の真相を描いたということで、受賞当時話題になりました。
作中で「石塚」となっている、明治43年に逗子開成中学を去った教師は岡山で婿養子になり、遭難事故の関係者・責任者として取りざたされていた「石塚」という名前を捨てて人生をやり直すことになります。彼は息子に教科書以外の書物を読むことを禁じます。こっそり入手した文学全集を配本途中で父親に見つかって読む前に燃やされた恨みから、逆に意地になったかのように上京後小説家を志した息子は、作家・宮内寒弥としてデビューしました。そして還暦を過ぎてから鎌倉で暮らしている内に、蘆花の「不如帰」が父親に与えた影響を、自分の身辺整理のひとつとして確かめようと思い立って、ボート遭難事故を知る人に取材を始めます。それをセミフィクション的に書いたのが「七里ヶ浜」です。東郷平八郎や徳冨蘆花も列席した遭難生徒追弔大会で歌われた「真白き富士の根」又は「七里ヶ浜の哀歌」を作詞した三角錫子教諭のエピソードもリアルに描かれています。当時逗子開成の近くに住んでいて、亡くなった男子生徒との交流もあり、遺体が引き揚げられるのをずっと逗子海岸で待っていたそうです。彼女と主人公の間には縁談ももちあがっていたのですが、ボート遭難事故のせいで水の泡となりました。

明治中期から昭和初期の逗子は結核の療養地で、それが逗子ゆかりの文学にも大きく影響というか貢献しているという事もお話したのですが、三角錫子先生が逗子にやって来たきっかけも結核療養でした。それまでもかなり波乱の人生だったのですが、ヒット曲「真白き富士の根」作詞者というだけで終わらずその後も教育界で頑張り、常盤松女学校を創設しました。
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