湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

自由題「様式」

2021-11-30 23:50:03 | オリジナル
Eが自由題で書いた詩を投稿します。

様式

カルテット メンバーは若き乙女たち
興にのって ハイドンのセレナード
立ちよって リクエストする

響きみやびやかにとけさり もしかりに
羽かざり帽 おどけて
腰をかがめれば
一瞬 花生まれなんかも
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うるさいの詩パート2

2021-11-29 06:38:02 | オリジナル
共通テーマ「うるさい」でAが書いた詩を投稿します。

うるさいチクチク

遺失届を出した晩
交互に立ち現れる
諦念と希望で寝付けない
仕方なく
小さい頃に失くしたものを思い出してみる

とても白くて柔らかい
縁の模様が愛らしかったハンカチ
父からもらってすぐに
落としてしまったことを
言えなかった

小さいチャームがたくさん付いていて
腕を動かすと鈴のように鳴った
従姉のイタリア土産のブレスレット
ずっと大事にしようと思ったのに
部屋の中で見つからなくなった

使ってる?と 
訊かれたらどうしよう・・・
わたしの頭の奥を
チクチクさせた後悔と心配

盗まれた財布と紙幣を
使ってる?と
訊かれることはない
うるさいチクチクは
手で追い払って
忘れてしまおう
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若山牧水@北下浦

2021-11-27 23:44:40 | 三浦半島
横須賀市長沢の若山牧水夫婦碑。

海に向いた碑の表には牧水の代表的な短歌が彫られています。
しら鳥は かなしからずやそらの青海のあをにもそまずただよふ
裏には妻、喜志子の短歌。
うちけぶり鋸山も浮かび来と今日のみちしほふくらみ寄する
北下浦海岸にはもう1基、若山牧水文学碑が建っています。

海越えて鋸山はかすめども此処の長浜浪立ちやまず
夫婦それぞれこの浜から海を隔てた鋸山を眺めて歌にしているんですね。
説明板には、このように書かれています。
若山牧水は本名繁、明治十八年八月二十四日、宮崎県臼杵郡に生まれた。県立延岡中学校を卒業した後上京、早稲田大学に学び、明治四十五年太田喜志子と結 婚した。大正二年長男旅人を出生したあと喜志子は体調が優れず、医師から転地療養を勧められ、大正四年三月に長沢の川端の家(斉藤松蔵方)に移り住んだ。
風光明媚、気候温暖な当地での静かな明け暮れのなかで、喜志子の健康は次第に回復し、大正五年十一月には長女みさきが生まれた。
右に建つ「しら鳥」の歌は明治四十年十二月の「新声」に発表されたものであるが、牧水はまだ二十三歳の学生歌人であった。
碑の背面に刻まれた「鋸山の歌」は、妻喜志子が当地に住んでいる頃「海辺に移りて」と題して発表したもので、表裏合わせて「夫婦歌碑」と呼ばれている所以である。昭和二十八年に建立された。
左にある「海越えて」の歌碑は、昭和六十二年に建立された。歌集「砂丘」のはじめに「三浦半島」と題して「病妻を伴い三浦半島に移住す、三月中旬の事なりき」と記したあとに発表した長沢海岸から房州鋸山を詠んだ歌である。
「漂白の歌人」と言われ、旅と酒を愛した牧水は、地域の人々との温かいふれあいもあって、喜志子の日常も順調にすすむようになり、大正五年十二月二十八日東京小石川に引揚げていった。

近くの長岡半太郎記念館・若山牧水資料館の牧水に関する展示。

ここに展示されている自身の揮毫になる「しら鳥は」は、海が先に書かれていますが、夫婦碑では空が先。
明治40年に雑誌「新声」に投稿が載った初出時は海が先だったのですが、推敲して第一歌集に収めた時、空を前にもっていきました。
なのに大正10年に北原白秋に頼まれて墨書した時にはまた海が先に。
白秋と盃を交わした後に書いたので酔っ払って間違えたのでは?ということで、碑では同じ書の「そらの青」と「うみのあを」を入れ替えたのだそうです。
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川崎大師の句碑

2021-11-26 23:23:00 | 文学
川崎大師の境内には数え切れないほどの石碑がありますが、その中から三大俳聖の句碑をまとめてみました。
掲載は時代順です。

ちちははのしきりに恋し雉の声 松尾芭蕉

朝霧の雫するなり大師堂 正岡子規

金色の涼しき法の光かな 高浜虚子
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浦賀の鏝絵&プロ/アマの詩パート1

2021-11-24 10:48:58 | オリジナル

浦賀の数カ所で鏝絵を見て、東福寺の目力のある鏝絵が特に印象に残りました。
干鰯問屋と回船問屋で栄えた浦賀は土蔵造りが盛んだったので左官職人が多くいて、漆喰細工も得意としていたそうです。
では、新しい共通テーマ「プロ/アマ」でEが書いた詩を投稿します。

プロとアマ

この国には今二人の
若いプロフェッショナルがいる
一人はメジャーリーグの大谷翔平
一人は将棋界の藤井聡太

この若者たちをどう見るね
千年に一人の大天才
同時代に生きる幸せと
浮かれていてはすまされまい
君は会社の会計課だったか
なれば 厳然会計のプロ
内君は主婦であるから家事のプロ
子息でさえ生徒のプロを目ざすべし

しかるに呆然 スマホ・テレビに釘づけ状態
アマチュアに甘んじている
あけびを見よ ぶら下がったまゝでは
熟することなく落下する
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浦賀ドックの底

2021-11-23 23:01:16 | 三浦半島
今秋始まったよこすかルートミュージアムの一環として公開されている浦賀ドックに行ってきました。

1899~2003年にわたる百年以上、船舶の製造や修理をしてきた世界でも珍しいレンガ積ドライドックにこうやって降りて~…

下まで見学できる特別チャンスのガイドツアーに参加。
ここで働いていた横須賀の俳人、高田風人子(1926~2019年)の作品から。
犬の子と人の子と初冬の道
みかん黄にふと人生はあたたかし
わが街は相州浦賀時雨るる日
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うるさいの詩パート1

2021-11-22 20:37:38 | オリジナル
新しい共通テーマ「うるさい」でEが書いた詩を投稿します。

うるさい

四人の候補が
カンカンガクガク
うるさいばかりの宣伝合戦
耳を疑う主張さえとび出す

船は老朽 右へ傾き沈没寸前
自己責任の党是をかなぐり
分配なければ成長なし
人の死せんとする その言やよき哉
左へ切った とりかじ効果
平衡を取りもどしかけた途端
本来の性根がまたまた復活
成長なければ分配なしの大合唱

何代前かのソウリソウリがおっしゃった
トリクルダウンのご宣託
ところがどうだ雨は天上にたまったまゝで
一滴たりとも落ちてこぬ
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長谷川伸生誕の地

2021-11-21 18:33:39 | 文学
日ノ出町駅近く、大岡川にかかる長者橋の袂に建てられている長谷川伸生誕の地碑。

傍らにある解説板にはこのように書かれています。
 新コは明治十七年、この土地、日の出町の大岡川にかかる黄金橋のたもとで生れた。生家「駿河屋」はヨコハマ市街地建設のため野州から移住してきた請負業である。
 新コはこの地で関八州の渡り職人衆から渡世の礼儀を学び、また神奈川県自由民権運動の魁、相州真土村騒動の指導者たちから、民衆の側に立って闘う男の姿を学んだ。
 三歳時に母と生別し、面影を慕って、のち『瞼の母』を生んだ。「駿河屋」の没落によって小学校低学生で学業をあきらめ、三菱ドック(現みなとみらい21)に波止場小僧として働きに出た。外国人相手の土産物屋に飾られた浮世絵と、芝居小屋の看板を美術館とし、新聞の振り仮名で漢字の勉強をした。幼くして舐めた辛酸と、海に面して国際性を、川に沿って民族性を、浜風が丘にあたって人情の露にかわる港町が新コの人間性を磨き、長じてしがねえ男女の情愛をいつくしむ真の大衆作家にした。
 また治外法権の居留地のちゃぶ屋に、六連発拳銃を懐に乗りこみ、らしゃめんを解放する市井一箇の侠者でもあった。
 昭和三年、沓掛時次郎』の出現をもって、演劇界は黙阿弥の時代から長谷川伸の時代にかわる。『一本刀土俵入り』『雪の渡り鳥』『舶来巾着切』等が生まれる。長谷川伸の義理人情世界は西部劇『シェーン』にも、日活渡り鳥シリーズにも、近くはニューヨーク、インディ派作家にも影響しつづける国際艶歌である。大道芸の町野毛は、文藝において長谷川伸を師表とする。

 一九九七年四月六日 桜吹雪の大岡川河畔にて 平岡正明

長谷川伸として作家デビューするまで苦労して人生を切り拓いてきた若き長谷川伸二郎を「新コ」と称しているんですね。
生家近くの黄金橋は、碑の場所から2本上流側に架かっています。
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姥島探検記

2021-11-20 19:33:58 | 湘南
今日のブログのタイトルは、烏帽子岩を舞台にした江見水蔭(1869~1934年)の少年小説のタイトルでもあります。
茅ケ崎独歩会に同行して茅ヶ崎漁港から船に乗り、その烏帽子岩(正式名称:姥島)に、上陸しちゃいました。

江見水蔭作「姥島探検記」第1回には、こう書かれています。
相模灘の海上、馬入川の沖合、其処に数個の岩礁から成り立つて居る一小島がある。姥島とも謂ひ、尉ケ島とも謂ひ、それから『鬼』とも呼ぶ。
在日米軍の射撃演習で1952年に頂上が崩れる前は、もっと尖って鬼の角を思わせる形だったので、鬼ヶ島的なイメージで見られていたのかもね。
間近に見ると、地質や生物の面でもいろいろ興味深いものがありました。
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電子商品券&来月の湘南文芸

2021-11-19 18:05:20 | 文学
合評会場の交流センターへ行く前に、逗子駅西口ひこのやでランチ。
このお店で逗子応援プレミアム付き電子商品券決済の第一号になっちゃった。
手前がロース定食、奥がヒレ定食です。低温でじっくり揚げた豚の柔らかさといったら

さて、今日決めた来月の予定は次のとおりです。
 テーマ  「プロ/アマ」「うるさい」
 提出締切 12月10日
 合評会  12月13日(月)@逗子市民交流センター1階

来月もよろしくお願いします。
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