湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

泪橋と鈴ヶ森刑場跡

2017-07-29 00:29:25 | 旅行
村松友視「泪橋」冒頭より引用します。
 刑場に曳かれてゆく科人が、家族や縁者と今生の訣れをする場所にちなんで、そこをながれる川は立会川と呼ばれた。立会川に架かった浜川橋には泪橋と別名がつけられ、鈴ヶ森という名だかい刑場のなごりを今にとどめている。
という訳で、久々に東京文学トリップ。新逗子駅から京急電車で1時間旅すると立会川駅に到着です。
これが立会川に架かる浜川橋。

橋のたもとに設置された江戸感が半端ない案内板。

 泪橋から旧道をすこしくだったところに大経寺という小さな寺がある。その大経寺の境内と地つづきとなって保存されている一角が、鈴ヶ森刑場趾である。
 今から三百六十余年前の慶長四年に処刑された丸橋忠弥を第一号として、白井権八、八百屋お七、天一坊、日本駄右衛門、白木屋お駒、村井長庵、海賊灘右衛門など、芝居や物語で有名な罪人たちが、ここで処刑されている。この刑場は明治三年に廃止されたが、十万人もの罪人の御仕置場として人々に恐れられていた。
 一般に鈴ヶ森刑場とよばれたここは、幕府の正式呼称では、小塚原の浅草獄門場に対し、品川獄門場といわれた。はじめは五反二畝五歩というから、約五千百六十平方メートルという広さをもっていたが、元禄十年の検地以来、一反二畝に縮小されたという。だが、現在は第一京浜国道と旧東海道のまじわるところに、大経寺の境内をふくめても猫のひたいほどの土地がのこっているだけである。

「泪橋」が収録されている「時代屋の女房」を手に訪れたのですが、ガイドブックとしても役立っちゃうレベルの記述ですね。
写真奥に見えているアーチ形の建物が大経寺です。

お上に追われて獄門首にされる科人たちへの哀れみみたいなものが、この辺の風となってずっとのこってる……

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (多田裕計)
2022-03-30 08:19:22
平岡裕治
Unknown (鈴ヶ森刑場跡)
2022-03-30 08:19:39
鈴ヶ森刑場跡

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