湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

小説は「べき」論じゃない

2015-01-31 03:01:53 | 文学
1月29日に88歳で亡くなられた河野多恵子さんの著書「小説の秘密をめぐる十二章」から、印象に残っている記述をご紹介します。
フィクションとは、より自分を現わすためのものだ。なぜ作者は自分自身を隠し、自分を幾重にも包みこんでフィクションを構築するのか。それによって、自分の事実を超えた自分の本質を現わすことができるからだ。そのままの自分自身を告白し書いているだけでは、とても自分の精神の真の様相は表わせないからこそ、われわれはフィクションを書く。フィクションの嘘は単なる変装や偽装ではない。あるいは事実以外のことが書かれていればすなわちフィクションというわけでもない。
 引きこもりだったエミリ・ブロンテが、あの「嵐が丘」ではなく、そのままの自分、あるいは変装にすぎない自分においてそれを書いていたらどうだったか。とても彼女の稀有な精神の様相は表わせなかったにちがいない。
 フィクションのモチーフとは、作者の精神の本質に根ざしたものでなければならず、それ以外のなにものでもあり得ない。
 そして、作家にとって真に書くべき独創的なモチーフを得て書かれた文学作品──そのような作品は言うまでもなく「いかに生きるべきか」という指針を得るために読まれるのでは、ない。むろん、教養を高めるために読まれるのでもない。単に面白いからこそ、読まれるのだ。それが事柄上は荒涼としていようと、あるいは主人公の自殺をもって締めくくられようと、読者自身がこの世にあり、人間のひとりであることを読書前よりも深く新鮮に感じさせ、また人生に対しても〈べき〉などで肯定しない無言の力強い教唆を伝えてくるからこそ、小説は面白い。私はそのようなものこそ真に独創的で優れた作品だと考えている。
上記引用にも出てくる「いかに生きるべきか」というのは嫌いだと、よくおっしゃっていたそうです。ご冥福をお祈りします。
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簡単な事を難しく言うのは簡単

2015-01-30 15:51:05 | 
ある大袈裟で読みづらい文章について話をしていて、井上ひさしの有名なフレーズを思い出しました。
むずかしいことをやさしく 
やさしいことをふかく 
ふかいことをゆかいに 
ゆかいなことをまじめに

 和賀江島
あと、こんな詩も

がんばらなくちゃ 小野省子

かんたんなことを
むずかしく言うのは
かんたんだけど

むずかしいことを
かんたんに言うのは
むずかしい

何でもないことを
悲しく言うのは
何でもないけど
悲しいことを
何でもないように
言うのは苦しい

素直って言うのは
ありのままということだけど
私はがんばらなくちゃ
素直にはなれない
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テーマ「聞く」で詩を書く パート4

2015-01-29 00:00:27 | オリジナル
共通テーマに沿って詩を書き、毎月合評会をしています。次回のテーマは「月」に決定しました。
今日は「聴く」をテーマにしたTの新作を投稿します。

体の音楽

ライブハウスの壁にもたれて
ジャズの演奏を待っていた
ピアノ ベース ドラム
トリオが奏で始めると
壁が震えだして振動が伝わってきた
骨伝導ということがある
あれは体内部で聴くことだ
音に体を晒し 浸して
細胞に直接響く生の音
人の体はある部分が駄目になっても
それを補い合うものなのだ

ジャズに呼応して
体の奥深くで奏でられているもう一つの音を
聴いた

この詩は2月6日(金)14時~逗子市民交流センター1階で開催する合評会で取り上げます。
見学・参加希望者はセンターのホワイトボードを使っているテーブルにいらしてください。
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高浜虚子と御成小学校

2015-01-28 10:38:44 | 湘南
大空に伸び傾ける冬木かな 虚子
 鎌倉市立御成小学校校門
明治~大正は、このあたり一帯約6ヘクタールが鎌倉御用邸だったとか。御成小学校の校門は、御用邸時代の冠木門の形を引き継いで昭和30年に建設されました。この門札の文字を書いたのは高浜虚子。当時孫が御成小学校に通っていた縁によるものだそうです。
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テーマ「聞く」で詩を書く パート3

2015-01-27 00:00:31 | オリジナル
 市内の法面に佇む兎さん
今日はAの新作を投稿します。



色と影に呼ばれてその絵を見た時
包帯をした自画像の片耳が
画家によって処分されていると知り
自分も切ってしまおうかと思った
耳が無ければ理解してもらえる
声ではなく手振りや図で表すのだと
危険を警告する時は叫ぶ代わりに
わたしの服を引っ張るのだと

本当に何度危ない目に遭ってきたことか
群れが後ろから勢いよく迫って来ていても
先頭の一人に蹴られるまで分からないのだから
被害を常に妄想しておくしかない

わたしは気配や匂いや表情を聞く
わたしの発するわたしには聞こえない音を
人々はうるさそうに聞いている
たいていの人は顔の前で掌を左右に振って
わたしの依頼を拒絶する
わたしの耳を預かってくれる
優しい女がどこかにいないだろうか

この詩は2月6日(金)14:00~逗子市民交流センター1階市民活動スペースで開催する当会の合評会で取り上げます。
参加・見学の方は当日お気軽にいらしてください。
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高橋睦郎と三島由紀夫

2015-01-26 01:46:54 | 文学
三島由紀夫は今年生誕90年・没後45年だそうです。一昨日、Eテレで「日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第7回 昭和の虚無を駆けぬける~三島由紀夫~」を見ていたら三島を「大虚無です」と語る詩人の高橋睦郎が出てきました。
 再放送は1月31日0:00~
逗子の自宅書斎で取材を受けていますね。
 広報ずし2005年11月号  自宅で撮影した写真が表紙になっています
当ブログで1月20日にご紹介した「詩を書こうと思ったら…」という文章は、この特集記事から抜粋したものです。インタビューの中で、1964年に発表した第2詩集を送った人々の中で直接電話をくれたのが三島だったことから親交が始まったと語っています。
「二つの岸辺」という彼の詩も掲載されています。

夜歩く人は早足で波打ちぎわを
砂浜の東の端から西の端まで歩いて
折り返し 東の端まで戻って来る
彼の歩みと直角に 重い夜の海が
白い歯を見せて 音もなく寄せている
とおい とおい 向こう側の岸辺から
二週間前 その岸辺に立っていたのだ
その時 吹きつける風の中で感じていた
見えない向こう側は ここだったのだ
今の夜歩く人は 昼に立つ人だった
波だけが同じにしらしらと寄せていた
見はるかす固い干潟の先の先
絶えず位置を変える波打ちぎわまで

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テーマ「聞く」で詩を書く パート2

2015-01-25 00:24:36 | オリジナル
「聞く」詩シリーズの写真は聞く器官である耳がチャームポイントの兎さんシリーズにしました。

ってことで、池子の陶芸家糸井惣四郎さん作の兎と、逗子銀座・長嶋屋の兎最中です
では、「聞く」をテーマにしたTの詩を発表しますね

聞くこと

あなたに抱きしめられた時
初めてあなたの鼓動を聞いた

それから幾千もの激しい鼓動や
吐息、寝息、笑い声、泣き声
そして心の音も聞いた
あなたも同じに私を聞いた

互いの音を聞きあうことで
成り立っている日々

ある日、右耳が聞こえなくなって
初めて音を聞きすぎたのだ、と気付いた
回復したら、空っぽになった私の中へ
ソロの音だけを浸み込ませていこう

この詩は2月6日(金)14時から逗子市民交流センター1階で開催する合評会で取り上げます。参加・見学希望者歓迎。
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ないものねだり

2015-01-24 01:34:08 | オリジナル

↑石原慎太郎作「さまよえるオランダ人」@逗子文化プラザホール2階

ないものねだり
人の本能に真善美はない。
ないものを理想としているから
体を表さない名が横行する。
真ちゃんは嘘つきで
善ちゃんは盗人で
美ちゃんは醜い。
民間人はそこにある偽悪醜に直接触れない。
真一という詐欺師や
善男という悪意のクレーマーや
美子という弱者を
結局扱う事になるのは役人だ。
そういう仕事をしている組織で
理想のまち
作れる?
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「季節の記憶」場所と記憶について

2015-01-22 16:18:17 | 文学
稲村ケ崎を舞台にした保坂和志「季節の記憶」を読みました。
ある場所を思い描くと忘れていた記憶を思い出す―という方法を使って小説を書きたくて稲村ケ崎を舞台にしたのだそうです。そして、
「自分の気持ちを書きたくて山を書く」のではない。
「山を書くために自分の気持ちも書く。そうしなければ山が書けない」のだ。
 (保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」より)
―という考えで叙景、特に山の景色の描写にも挑んだ作品です。
文庫版のこの本には、各作品が生まれるまでの覚え書きをまとめた「創作ノート」が巻末に収められています。

主人公と5歳の息子の父子は毎日近所の山方面か海方面に散歩に行きます。その途中の住宅地の様子も書きこまれています。
海方面では稲村ケ崎公園や七里ケ浜がよく出てきます。
 
稲村ケ崎公園は鎌倉海浜公園の一部で夕景富士の名所。写真は昨年10月ふじさわ江の島花火大会の日に撮ったので普段より多くのカメラを構えた人がいますけど。
稲村ケ崎には三好達治や直木三十五が住んでいたことがあるそうです。


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テーマ「聞く」で詩を書く

2015-01-21 15:39:56 | オリジナル
前回は「水」をテーマに書きました。次のテーマは「聞く(聴く)」に決定。
 大崎公園で
たくさんの音を集めて自分を狙う敵を察知するために兎の耳は長いのだそうです。
Aの「聞く」詩を投稿します。

聴覚をめぐる生態

人は自分の都合のいいように事実を曲げて話す
時候の挨拶のように贋の共感を乱発する
曖昧なオブラートに包んで真実を誤魔化す
保身のための言い訳や言い逃れをする
自分の誤謬を棚に上げ不必要で不正確な訂正をする
自分の考えに執着し無意識のうちに繰り返す
だいたい何を言い出すかわからない
世智にたけた女たちは自分の言葉で耳を塞ぐ
無意味なおしゃべりを放出し続けることで
他人に付け込まれないようにしているのだ
彼女たちにとっては正当防衛だ

自分にばかり忠誠を尽くすのは
相手に対する裏切りではないのか
耳順の齢を過ぎた男が電話をしてくる
彼に都合のいい、私には利点のない注文
を聞き入れないようにするために
掌で耳を塞いで生返事をする
耳には私の血が流れる音が聞こえている
生まれる前に聞いた音と似ている
脈打ち続ける血の音に飽き
最期にまた聞きたいと念じ
改めて受話器を握り直し
彼の気に障るだろう話題を振って
誇大な意地をちくちくと突く
私のささやかな抵抗は通じておらず
本人は自分の言葉で相手の「耳朶を打ち」
「鼓膜を震えさせ」るつもりで尊大に話し続ける
人間的な男なのだ 孔子ではないので
七十歳を過ぎても耳順でも従心でもないのだ
第一声は「電話番号を間違えた」だったのに
(軽く呆けたふり?)
電話を切らずよどみなく私を服従させようとする

自然界の動物は嫌でも聴覚を研ぎ澄ます
緊張を回避して安閑と暮らすために
耳を塞いで胎内音だけ聞いていたら
絶滅の危機に瀕するのだ
言質を取ろうと言辞を操ることで
人は自然の生態系から外れていく
いや既に滅びている Rest in peace.

この詩は2月のTAK合評会で取り上げる予定です。
日時場所は以下の通り。参加・見学希望者歓迎します。
2月6日(金)14:00~ 逗子市民交流センター1階
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