湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

雑司ヶ谷掃苔録(永井荷風)

2017-06-15 11:41:33 | 旅行
6月5日に泉鏡花墓所について投稿しましたが、雑司ヶ谷霊園には他にも逗子ゆかりの作家の墓があります。
 永井荷風の墓
永井家墓所にある3基の墓石の真ん中です。
荷風は若い頃、逗子にあった父の別荘で療養生活を送りました。

停車場前の休茶屋を始めその辺の人家は阜く寝静まっていて乗るへき人力車は一台もなかった。風のない夜を幸い、そのまま村の一筋道を歩いて行くと遠く彼方の眺望を遮って立つ丘陵の影と近くは道の行手を蔽う樹木の影の恐ろしい程暗いだけ、その上に広がる晴れた空は月の夜のように明るく鮮明な星の数は一つ残らず析から渡る田越川の水の面に浮んでいた。農家の犬の吠える声もない。松の梢も響を立てず芦の枯葉も囁きを止め海の彼方にも波の音は疲れたように寂然として聞えなかった。清はこの夜の静寂をば意味のない幾分かの恐怖をも交えて、何とも悲しいと感じた。暗さを恐れ明るきを求むる人間自然の情から都会の大通りを思い出した。砂路を踏む自分の足音のみ気味悪いほど鮮に響き渡るのを聞いて、行方知れず彷徨って行く寂しい旅人の心持をも想像した。
やがて海に近い二度目の橋手前から、樹木の間の小径を曲って山際の別荘に着く。

「冷笑」に登場する逗子の描写です。「海に近い二度目の橋」とあるのは、現在の富士見橋です。
この小説は夏目漱石の依頼で書かれ、東京朝日新聞に掲載されました。
漱石の墓も雑司ヶ谷霊園にあります。安楽椅子を模した大きな墓石が一際目立ってました。

荷風の話に戻りますが、彼は墓参を趣味とする掃苔家としても知られています。三ノ輪の浄閑寺にある遊女の墓をよく訪れては掃除していたそうです。

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