今回の函館行のメインは、お墓のことであった。
私の親父の墓守を、「今後において誰がする」 このことは、97歳となった母の最大の悩み事らしい、、、。
私にしたところで、今後何年かは出来るが、その後はどうする? と、言うことであり、「墓守は俺がする」とは、言い切れない。母は、菩提寺の墓は返して、永代供養墓(廟)に入ることも選択肢としているようだが、子等に会う度に揺れている、、、
大家族が当たり前であった頃は、お迎えが近い年寄りでも、それなりに居場所があった。多くの日本人が、根無し草となってしまった現在、お墓も介護うんぬんも、大きなそして避けることの出来ないテーマでもある。
私の場合、血縁にしたところで、叔父伯母はその殆どが既に亡くなっているし、往来のあった従兄妹も数人だけとなった。その従兄妹も、横浜と熊本に住まいしている。実際に行き来のあるのは、近くの他人ばかりとなってしまった。そして、私には未だ孫の類は気配も無い。
そんな中で、昨年あたりからお墓のことが自分自身の事となって来た。来週は、同居人の母の眠る墓の補修を打ち合わせに道南へ出掛ける。私の代での最後の事業?であろう。死することも、その後も中々難しい、、、
誰にも迷惑を掛けずに(襟銭程度は残して、始末をして貰うとしても)逝くことは、多くの人々の願いではあろう。
天涯孤独ならば、東南アジアの寒村で野垂れ死に?することも選択肢なのだが、、、「とどのつまりは独りである」と達観する道もまた、険しい。
私の親父の墓守を、「今後において誰がする」 このことは、97歳となった母の最大の悩み事らしい、、、。
私にしたところで、今後何年かは出来るが、その後はどうする? と、言うことであり、「墓守は俺がする」とは、言い切れない。母は、菩提寺の墓は返して、永代供養墓(廟)に入ることも選択肢としているようだが、子等に会う度に揺れている、、、
大家族が当たり前であった頃は、お迎えが近い年寄りでも、それなりに居場所があった。多くの日本人が、根無し草となってしまった現在、お墓も介護うんぬんも、大きなそして避けることの出来ないテーマでもある。
私の場合、血縁にしたところで、叔父伯母はその殆どが既に亡くなっているし、往来のあった従兄妹も数人だけとなった。その従兄妹も、横浜と熊本に住まいしている。実際に行き来のあるのは、近くの他人ばかりとなってしまった。そして、私には未だ孫の類は気配も無い。
そんな中で、昨年あたりからお墓のことが自分自身の事となって来た。来週は、同居人の母の眠る墓の補修を打ち合わせに道南へ出掛ける。私の代での最後の事業?であろう。死することも、その後も中々難しい、、、
誰にも迷惑を掛けずに(襟銭程度は残して、始末をして貰うとしても)逝くことは、多くの人々の願いではあろう。
天涯孤独ならば、東南アジアの寒村で野垂れ死に?することも選択肢なのだが、、、「とどのつまりは独りである」と達観する道もまた、険しい。