荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

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読書

2011-07-13 11:00:25 | 読書
ピューリタン革命と複合国家 岩井淳 山川出版社

17世紀の半ばにイギリスでおこった出来事に「ピューリタン革命」という名前がつけられるようになるのは19世紀になってからであった。議会制度や自由主義を賞賛する立場からイギリス史をとらえるホイッグ史家によってこの呼称は広められた。19世紀における政治的・宗教的自由を実現したイギリスにとって、17世紀はそれらの源流となる時代だというのである。
20世紀になると「ピューリタン革命」の語は「革命」の意味合いを大きく変えながらも使われ続けた。マルクス主義歴史学は、17世紀半ばに起きた出来事は、封建制から資本主義への移行を画する「ブルジョワ革命」である、という位置づけだ。
ホイッグ史観にせよ、マルクス主義史観にせよ、過去との断絶を強調している点では同様だ。だからこそ「革命」の語を使っている。ところが1970年代になると修正主義が登場する。修正主義史家は精緻な実証的研究を積み重ね、17世紀半ばにおこった出来事によって過去との断絶がないことや、近代化と呼ばれる変化がぶ誇張されていることを主張していく。これが「ピューリタン革命」にかわって「イングランド内戦=イギリス内乱」の語が広まっていく背景だ。
ところがこの「イングランド内戦」という言葉に、修正主義陣営自身から批判が投げかけられるようになる。17世紀半ばにイングランドはアイルランドやスコットランドと重要な関係を取り結んでいる。そのことが見落とされてしまう表現になるからだ。修正主義史家のジョン・モリルはイングランド・スコットランド・アイルランドの相互関係からこの時期を「三王国戦争」とか「ブリテン革命」と名付けた。この「ブリテン革命」とはイングランド・スコットランド・アイルランドの複合国家が出現したことを強調する見方であり、これこそが過去との断絶を強調するものとして「革命」の語を使った理由となっている。
以上をふまえて著者は、イングランド・スコットランド・アイルランド・ウェールズの四国の相互関係をとらえなおすことをまずは試みる。ついで、あえて「ピューリタン革命」の語を使い、「革命」に力点を置くのではなく「ピューリタン」に力点を置く事で「革命」の意味内容の捉え直しを目指す。
以下、イングランドとの合同関係におかれたウェールズはイングランド化が大きな混乱なくウェールズの伝統と共存しながら進んでいくことが述べられる。続けてアイルランドは12世紀以降徐々にイングランドの影響下におかれていくものの、カトリックが強くイングランド化に抵抗する。このカトリック勢力が強いことがイングランドにとって大陸からの干渉の拠点とされる危険からイングランドへの統合を強く進めるモーメントになることが述べられる。
最後にイングランドのライバルというべきスコットランドだ。13世紀からスコットランドはフランスとの同盟関係を結び、イングランドを南北に挟むことでイングランドと対立関係をなしていた。宗教改革をへてイングランドと同じくプロテスタント国家になっていくものの、イングランドとは異なる独自の王と独自の議会が存続していた。それが17世紀にスコットランド国王がイングランド王となることでブリテン島における複合国家形成が大きく進んでいくことが述べられる。
ここからは国王と議会の対立から動乱が訪れるというホイッグ史観的ストーリーをたどらず、宗教的な対立を軸に17世紀の動乱を叙述していく。

最終的な結論は、この動乱を経て、カトリックを除いてプロテスタントならばどの信仰でも認められるプロテスタントならば複数主義が定着していくこと、議会主導の政治体制が作られていくこと、そして動乱を通じてスコットランド・アイルランドがイングランドと様々な関係を取り結びながらブリテン王国が作られていくこと、にまとめてしめくくる。



アメリカにおけるキリスト教と合わせて理解する必要を感じた。各宗派(セクト)の思想と政治秩序構想との親和性を図式的にでも切り取るとことで、アメリカとイギリスの比較をすることができよう。それによって、フランス型国民国家とは異なる国家統合の姿(モデル)がクリヤーに浮かび上がってくるだろう。
アメリカの独立戦争を独立革命ととらえるかどうかというアメリカのホイッグ史観ともあわせて英米の歴史を同一視座から捉えていく必要を感じた。




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