深川三好町の成等院に紀伊国屋文左衛門のお墓と碑があります。お墓は正面の大きな碑の左
奥にあります。文左衛門は紀州(和歌山)出身で、若い時に江戸に出て材木商を営み、幕府と
関わり材木豪商となりました。後年は富岡八幡(門前仲町)一の鳥居付近に住んでいましたが
享保19年(1734)に66歳で没したといわれ、ここ成等院に葬られました。
人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物といわれますが20代の頃、紀州みかんと塩
鮭で富を築いた話は有名です。晩年には、蕉門十哲の筆頭といわれた宝井其角ら文人とも交友
して「千山」の俳号を名乗ったといいます。江東区見どころ案内によると大きな碑は昭和38
年に建てられたものです。
材木で儲けていたとはね とにかく商才は
大いにあったのでしょうね。うらやましいです。
「紀伊国屋 お主も悪よのう」と言われたのかも
みかん船で嵐のなかを江戸にという話は聞きますね。
誰しもが頭の隅に残っている紀伊国屋文左衛門の話しですね
紀州みかんと塩 鮭で富を築いた話は有名、これが一番・・
お宅様の話からでは晩年には文人とも交友して「千山」の俳号を名乗り素晴らしい晩年を送った人なのですね
金に余裕ができると人間その様な道にも目が向くのでしょうね
爺さんは金はありませんから文人には・・・・・
では失礼いたします
時代劇に登場しますが半ば伝説ですか