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「よしお 珍しいものもらった 食べてごらん」と出されたのが、砂糖をふりかけた真っ赤
なイチゴです。昭和13年4月のことを鮮明に思い出す。私が小学校2年生になったばかりの
ことです。我が家は母子家庭で母と姉と私の3人暮らしでした。母の兄嫁であるこの伯母さん
は母の20歳年上で明治13年讃岐の善通寺生まれの苦労人。
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母の長兄は腕のいい大工の棟梁で広島県三次の出身、何処でどうした縁で世帯をもったのか
は不明だが、当時は大工の現役を離れ、街の中心街で和洋家具店を経営していた。この伯父夫
婦の慈愛に満ちた笑顔のお陰で成人出来たと思っている。イチゴの赤色は、今も伯母と言うよ
り祖母のようなやさしい笑顔を思い出させてくれます。
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胸が一杯になりました。真っ赤なイチゴを見るたびに私もこのお話を思い出すことでしょう。
大東亜戦争が始まった昭和16年は私が六年生の時でしたから・・・同じような時代を生きて参りましたねぇ。
因みに母は明治34年生まれです。(^。^)
よしおさんと仰るのですね。(^。^)
お風邪を引かれませんように。
確か弘法大師生誕の地
最近お遍路さんが紹介されます
このイチゴで昭和13年の事が思い出されましたか
これを見ると叔母さんが砂糖をかけてどうぞと・・・
おばさんの顔が鮮明に頭に 懐かしい思い出話し
この爺さん宅では毎日の様に午後のおやつに買って来たイチゴをスプーンで潰しそれに砂糖をかけて食べて居ります
又、時々バナナと一緒にしてミキサーにかけても・・・・
では失礼致します
4月から5月にかけて出回っていたと思います
なかなかのゼイタク品でしたから 珍しい果実でした
支那事変がはじまったのが前年の昭和12年で
14年には物資統制令で「米の通帳」が発行されたと
記憶しています この伯母さんはどうも 粋すじの
人だったように後年聞きました 今 思えばそんな
感じの垢ぬけた伯母さんでした。
福岡、長崎が続いています 当時は貴重品でした
金毘羅さんと善通寺 四国の名所ですね。
砂糖もいいけれど 練乳をかけてもなかなかです
昔はイチゴも貴重品でしたから 嬉しかった。