大圓寺門前から、行人坂を少し登ったところにある勢至堂に置かれています。
この石像は、江戸時代中期の宝永元年(1704)に置かれたと言われます。台座97、
蓮華20、勢至菩薩52各センチメートルから成り、菩薩は両手を合掌し、片膝を立てて
座しています。刻まれた銘文によると、宝永元年僧の西運が毎日目黒不動と浅草観音
に参詣の途次、人々に報謝を受け、これをもとに目黒川の両岸に石壁を造り、太鼓橋を
架けたとあります。たいへんな苦労をしたのですね。(写真Mr麹町)
大圓寺門前から、行人坂を少し登ったところにある勢至堂に置かれています。
この石像は、江戸時代中期の宝永元年(1704)に置かれたと言われます。台座97、
蓮華20、勢至菩薩52各センチメートルから成り、菩薩は両手を合掌し、片膝を立てて
座しています。刻まれた銘文によると、宝永元年僧の西運が毎日目黒不動と浅草観音
に参詣の途次、人々に報謝を受け、これをもとに目黒川の両岸に石壁を造り、太鼓橋を
架けたとあります。たいへんな苦労をしたのですね。(写真Mr麹町)
埼玉県大里郡寄居町にある河川系博物館です。1997年に開館しました。
荒川をメインとした展示を主に行っています。入口には荒川の模型があり、
その隣には水を使ったアトラクション(ワクワクランド)もあります。略して
「かわはく」とも呼ばれています。
第一展示室は常設展示で、荒川の万華鏡・パノラマ映像・鉄砲堰など多数の
展示コーナーです。第二展示室は特別展示・テーマ展示となっています。
大水車は国内二番目の大きな水車で直径23mのものです。渓流観察窓で
荒川に棲息する さかななどが観察できます。(写真Mr麹町)
目黒区下目黒にある天台宗の寺院です。山号は松竹山で
本尊は釈迦如来。大黒天を祀り、元祖山手七福神のひとつと
なっています。宝永年間(1624-1644)湯殿山修験道の行
者天海が創建したものに始まったと伝えられています。
1772年(明和9年)に発生した大火(明和の大火)の火元と
なった寺であったことから、江戸幕府から再建の許可が得られ
ず、1848年(嘉永元年)になって薩摩藩主島津斎興の帰依を
得て、その菩提寺としてようやく再建されました。(写真Mr麹町)
八百屋の娘「お七」は、恋しい寺小姓の吉三に逢いたさに自宅に
放火し、鈴が森で火刑にされました。吉三はお七の火刑後に僧侶
になって、名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、
往復十里の道を念仏を唱えつつ一万日の行を成し遂げました。
明王院という寺院は、現在のホテル雅叙園東京エントランス付近から
庭園に架け1880年(明治13年)頃までありました。この明王院境内の
井戸で西運が念仏行に出かける前に、お七の菩提を念じながら水垢離
をとったことから、「お七の井戸」と言い伝えられています。(写真Mr麹町)
園内の絵画の一枚
石川県出身の創業者・細川力蔵氏が、1958年(昭和3年)に
東京・芝浦の自邸を改築し、純日本式の料亭「芝浦雅叙園」を経営
していましたが、東京目黒の岩水省一邸入手して、増改築を進めて
1931年(昭和6年)に「目黒雅叙園」と名付けた料亭を開業しました。
これは日本国内最初の総合結婚式場であったといいます。本格的
な日本料理を供する料亭だったが、メニューに価格を入れるなど、当時
としては斬新なアイデアで、政治家、軍人など以外の一般市民の利用者
を増やしていきました。
館内を飾る内装や絵画作品は数千点に及び、天井画や欄間絵などは
一見の価値があると評判です。(写真Mr麹町)