きょうの朝日新聞、天野祐吉氏は「CM天気図」で“愛菜ちゃんブーム”に釘をさしている。
「こんなに出ずっぱりだと、そのよさが貪欲なテレビにどんどん
消費されてしまうんじゃないかと心配になる。(略)
大量生産と大量消費をつなぐクサリはもう切れかかっている。
とりあえずは子役でお茶の間の関心をつなぎとめていこうということかもしれない。
そう言えば昔から“子はかすがい”って言ったもんだ」と意味深な指摘している。
私は即加藤清史郎くんを思い起こした。2人ともすり減るまで使われている。
引っ張りだこといえば聞こえは良いが、
これは“子どもの人権”をないがしろにしているといっていいと思う。
かすがいとなる子は、計算など念頭にない屈託のない子であるはずだ。
計算など出来ないといったほうがより正確かもしれない。
とりわけテレビメディアは真剣に考えてほしい。
うまいと見ればハイエナのようにたかることはしないでほしい。
無垢な子どもは大切に育ててほしい。
ちなみに「かすがい」とは、木と木をつなぎとめるコの字型の大きな金具(釘)のことで、
“子はかすがい”は冷え切った夫婦をつなぎとめる力とでも言えばいいのだろうか。