TVおじさん

世相の鏡であるテレビから学び、時として批判も。メディア表現にも触れる。まだ元気、散策の想い出も綴りたい。

京都・太秦から連想するものは・・?

2011-12-04 | 散策

 

“太秦”といえば映画村というのが大方の反応だろう。しかし、知っているからこそ「うずまさ」と読めるのであって、難読の地名に違いない。

 

 

この一帯は渡来人の秦氏一族が支配していた。一体秦氏は何者なのか、どんなことをしたのだろうか。秦河勝という人物は、厩戸皇子つまり聖徳太子の片腕といわれている。大陸の先進的な技術を伝えた功労者である。業績は多岐にわたる。土木技術、養蚕・織物、酒造等々。太秦には数々ゆかりの地がある。小雨の中見て回った。

 

 

まずは蚕ノ社、ここだけにしかない三本柱・三柱の鳥居がある。奇を衒ったわけではなさそうだ。宮元健次氏によると、それぞれの方位に秦氏が創建した松尾大社、伏見稲荷、一族の古墳がある双ケ丘があるという。重要な意味合いがあるようだ。

 

 

次に訪ねたのは、聖徳太子から賜った弥勒菩薩を本尊に秦河勝が創建した広隆寺、境内には楓の名木があり、見事に色づいていた。拝観料は少し高いかなとも思ったが、2体の弥勒菩薩半跏思惟像に見とれ、そんなことは・・。

 

 

さらに前方後円墳の蛇塚にも足を運んだ。もとは全長75メートルの大規模なもので秦氏一族の長クラスの墓ではないかといわれている。住宅地の一角にその一部を残しているだけだが、石室を見る限り奈良のあの石舞台古墳よりも規模が大きく、秦氏の権勢の強大さを実感した。私たちが少し騒がしかったせいか、管理の男性が現れ中に入れてくれた。ラッキーだった。

 

秦氏ゆかりの地はまだまだある。1度や2度で回りきれるわけがない。また新しい楽しみができた。



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