TVおじさん

世相の鏡であるテレビから学び、時として批判も。メディア表現にも触れる。まだ元気、散策の想い出も綴りたい。

誰が決める“震災の名称”

2011-03-21 | ことば

未曾有の大災害となった今回の地震は

気象庁によって

「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と名付けられた。

しかし、私たちが目にし耳にするのは

“東日本大震災”(朝日・毎日・サンケイ・共同・JNN・ANNなど)、

“東日本巨大地震”(読売)、

“東北関東大震災”(NHK)、

“東日本大地震”(NNN)等々、

マスコミ各社それぞれの判断で命名している。

かなり紛らわしい。

それぞれが接する新聞・テレビによって

口に出る名前も違っているようだ。

 16年前の阪神淡路大震災についていうと、

今はほぼこの名称が定着し、広辞苑も採用している。

しかし、発災当時は各社まちまちだった。

私の記憶によると、毎日新聞が地震直後から“阪神大震災”を使い、

ほぼ一週間後に朝日がこれに追随した。

NHKもその日のうちに右へならえだったと思う。
 
私が思うに、新聞協会に加盟するマスコミ各社の責任者が集まって、

命名したほうがいいのではないかと思う。

混乱を避けるためにも。

こと用語等に関しては各社独自の判断もあるが、

原則共通的な表現を見出そうとしている。

誘拐に関しても“取材自粛”など共同歩調をとっている。

いずれも公共性の高い組織であり、できないはずはない。

追補:

4月1日、政府が今回の震災を東日本大震災と命名した。

NHKは独自に命名した東北関東大震災を取り下げ

政府にならうと再三説明していた。

 

 


“天罰”に天誅を!!

2011-03-21 | メディア

東京都の石原知事の発言、
「日本人のアイデンティティーは我欲になった。
政治もポピュリズムでやっている。津波をうまく利用してだね、
我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。
これはやっぱり天罰だと思う」(読売)。

波紋を広げている。
「我欲と虚飾にまみれたこの知事が治める大都会にこそ天罰の津波が襲うはず」(朝日)
といった怒りに満ちた声も見られた。

“三文作家”の呟きならば目くじらを立てることもなかろうが、
首都民の人命・財産を守る知事の発言であり、見過ごしにはできない。
一言の謝罪はあったが、これはまさに石原氏の本音であろう。
前言撤回というわけにはいかない。

“天罰”とは、「悪事の報いとして自ら受ける罰」(明鏡)だという。
石原氏のいう日本人の中には明らかに都民が含まれている。
こんな人物がまた都知事選に出るという。
都民はどう裁断するのだろうか、さて“天誅を下す”のだろうか。