ゆうの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

結婚記念日

2022年02月25日 | 日記

結婚記念日は今までほぼ意識に無く過ぎてから「あの日は結婚記念日だったのに」と

後で思いついたりしていた。

しかし今回は予定表代わりのカレンダーに「結婚記念日」と太字でしっかり記入し、

たまには外食を・・・と料理屋さんに予約を入れておいた。

「福わ内」という市内の料理屋さんで今夜家族で食事。

おいしい料理にみんなご機嫌。

49回目の結婚記念日。お酒も飲んで楽しい夜となった。

 

 

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お宅拝見

2022年02月24日 | 日記

今日は素敵なお宅(2軒)にお邪魔させて頂いた。

11時半にTさんご夫婦と一緒に我が家の近くの〇さんのお宅へ。

このお宅を拝見するのは私は2度目。Tさんご夫妻は初めて。

「おひな様を飾ったので見に来て下さい」と誘って下さった。

2階建てのこのお宅、我が家とは比べようもないほどの豪邸。

Tさんご夫妻も驚いた様子。

おひな様も予想を遙かに超えた大きさ。まさにお宝。

 

 

奥さんが手作りの昼食を出して下さったが、その器からして素晴らしい。

料理教室に長年通われていたとのことで料理も上品でとてもおいしかった。

 

 

数年前、福岡県の柳川に雛巡りに行ったことがあるが、

この〇さんのお宅、どこか遠くまで旅したような気分になる。

 

 

午後は〇さんご夫妻と市内にあるTさんのお宅へ。

武家屋敷を再生した品のあるお宅。

立派な松の木と白い塀が印象的。

 

 

我が家をリフォームするとき、アドバイスして下さりお世話になったお宅。

〇さんご夫妻も目を輝かせて楽しそう。

10数年ぶりの訪問だったが以前にも増して素晴らしかった。

 

 

今日は気持ちが華やぐ良い1日となった。

どちらのお宅も素晴らしかった。まだ余韻が残る。

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アートマーケット

2022年02月23日 | 日記

娘、今は3月5日(土曜日)、大分市のアートプラザ2階アートホールで

開催されるアートマーケットに展示する作品を作成中。(10時~午後3時まで)

※タケノコ山の整備を手伝ってもらえる状況では無い。

その娘に今朝、「私の遺言を聞いて!」と言った。

娘、「なに?」

私、「タケノコを掘らずに放っておくと堅い竹になって整備が大変になる。

  タケノコを掘らないなら、タケノコのうちに折るか切り倒すかすること。

  親の遺言だから覚えておいて」

娘、「わかった!」

・・・ということで今日も夫とタケノコ山へ。

テレビの「人生の楽園」などで都会から田舎へ移り住んだ人たちが

生き生きと過ごしている様子を時々拝見したりするが

タケノコ山通いで、ちょっとその気持ちが分かるような気がしてきた。

こういう作業は結構楽しい。

 

↓アートマーケットのパンフレット

 

 

「大分合同新聞社」の別冊「モグモグ」3月号にも

「イベントインフォーメーション」のところに載せて下さっていた。

 

 

少しでもお客様がおいで下さったら・・・と思う親心。

 

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「なんとかなる!」

2022年02月22日 | 日記

 

息子、幼い頃からよく「大器晩成」と言われた。

要するに、その時点では同年齢の子より未熟であると言うことだ。

慰めに「大器晩成」と言ってくれていると私はそう受け取っていた。

ところがなんと実は私の息子は本当に大器晩成だったのだ!!!

なんて手放しで書いてみたいが・・・

息子、40代半ば。大器でもなんでもない。

でも今日、しみじみ、遅まきながら息子も頼れるようになったなあと思った。

今日は仕事が休みの息子と夫と3人でタケノコ山の整備⑦

息子が主となって電動ノコギリで大きな竹を切り倒していく。

切った長く大きい竹を引き倒すのは力の要る作業。

今まで夫と私と二人がかりで竹を引き倒していたが息子は一人で要領よく

さばいていく。力もあるんだなあと嬉しくなる。

夫も私も年を取り、こういう作業がいつまでできるかと思ったりするが

晩成型(?)の息子がこの頃少し頼もしくなってきた。

「なんとかなる!」←ある方のお母さんの口癖とのこと。

気持ちが楽になる素敵な言葉だ。

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今日は父の命日

2022年02月21日 | 日記

昨日は母の7回忌の法要。今日は父の命日。二人を偲んで昔々

大分合同新聞の「立ちばなし」に投稿した文をあの世の父母に送ろう。

 

『母への感謝状』

母さん、もうじき父さんの命日ですね。44歳の若さで突然父さんが逝って

あれからもう15年が経ちますね。

あの日、「こんな時、長女の私がしっかりしなくては」と自分に言い聞かせながら

あなたのもとへ駆けつけた私ですが、あなたは以外にも涙も見せずテキパキと動き

私はただオイオイ泣いてばかりいました。

 あの日は父さんの給料日。まくらべに父さんの最後の給料をそっとあなたは

供えましたね。シンシンと名残雪の降る寒い寒い夜でした。

 長女の私は元来頼りなく、長男の弟はまだ独身、末っ子の妹は中2と幼く、

あなたも特別養護老人ホームの看護婦(看護師)として慣れない仕事に就いた

ばかりの時でした。不安だったと思います。本当に心細かったと思います。

 でもあなたは私たちの前では「楽天的だな」と思えるほど、いつも明るく

決してグチは言いませんでした。

 そして女手一つで妹を高校、大学と出し、この春、あなたは61歳で

長い間お世話になり、すっかりなじんだ職場を去ろうとしています。

母さん、長い間本当にご苦労様。私たちのために強く生きてくれてありがとう。

あなたの3人の子どもを代表して長女の私からささやかな感謝状を贈ります。

あなたが職場を去るその日まで1日、1日を大切に。

春はそこまで来ています。

 

父を想い書いた詩(40数年前に書いたもの)

 

『とむらいの雪』

雪はうたいながら降りました

その家の庭の朱い南天の実にも

遠くの町のビルの上にも

雪はうたいながら降りました

 

あれは弔いの雪なのです

 

5歳で養子に出され

17歳で子どもの父となり

いくつも仕事をかわりながら

子を育て 家を建て

孫の顔を見た一人の男が

44歳の若さで

突然この世を去った・・・・・・

 

あれは弔いの雪なのです

雪は挽歌ををうたっています

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