ゆうの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

爽やかな良い天気

2010年04月28日 | 日記
 朝から爽やかな良い天気。母に気分転換させたくて車に乗せて鯉のぼりを見せに連れて行った。小川の傍の道沿いにずらりと鯉のぼりが並んでいて壮観。母は喜んで鯉のぼりの本数を数え始めた。車椅子を押しながら私も一緒に数えていくと2006本あった。(多少の数え違いがあるかもしれないが・・・)
 途中、車椅子を止めて私が写真を撮っていたら、何と母が立ち上がって道端のスカンポをひとりで取った。これには私もびっくり。何も摑まらずに母は一人で立っているではないか!「すごい!一人で立つことができたよ!すごい。すごい」思わず拍手してしまった。感動!母は「これを花瓶に挿したい」というので、持って帰って、花瓶に挿すと喜んでいた。スカンポは郷愁を誘うのかも知れない。
 臼杵石仏の所の芝桜を見にも行った。小川にセリがたくさん生えていて、母はあのセリを摘みたいと言ったりした。ふたりで大きな声で「はーるのおがわはさらさらいくよー♪」とか「やねよりたーかーいこいのぼーりー♪」など歌ったりして良い1日となった。

 夜、月に1度の写真教室。10枚くらい写真をプリントして持って行ったが、先生に良いと言われるような写真は1枚もなかった。楽をしていては良い写真は撮れない。もっとあちこち出かけなくてはと思った。
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母を迎えに・・・

2010年04月26日 | 日記
今日は1日、ボーッと過ごした。夕方、実家に母を迎えに行くと弟が母をおんぶして庭を見せてまわっていた。弟は背が180センチ以上あるので母を軽々負ぶっているように見えた。そういう姿に弟の優しさを感じた。
 我が家に母を連れて帰るのは母が渋って大変かもしれないと思ったが、意外にも母はすんなりと応じてくれた。
 今、夜中の11時半。母が起きて来て「お腹がすいた。なんか頂戴」と言う。お茶を飲ませて「もう夜中なので食べ物はあげられない」と言うと「お腹がすいて眠れない」とブツブツ。「テレビの音が大きすぎるよ。それでは眠れない。消したら?」と注意すると「私には聞こえない」と言う。見ているはずがないのだが・・・。
 ああ、また母との格闘の日々の始まり始まり・・・。
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義母の3回忌

2010年04月25日 | 日記
 一昨年(2008年)の5月20日に亡くなった義母の3回忌をお坊さんや親戚の人に来てもらって我が家でおこなった。極、身近な人ばかり総勢16人。
11時半からお経が始まり12時半前に終了。その後、下ノ江の「久楽(ひさらく)」という料亭に移動して昼食会。海に面したこの料亭に一度来てみたいと思っていた。眺めは最高。料理も次々に運ばれてきて品数が多く、おいしかった。
 法事などの場合、今までずっと仕出し料理を取って自宅でしていた。お膳を組んだりお酒の用意をしたり・・・結構大変だった。しかし今回はそういう手間がいらない。「料亭ですると本当に楽!」と娘に言ったら叱られた。「お母さんは今日、何度もそういう事、言ってるよ。お客さんに失礼でしょ!」・・・お客さんの前でそういう事を言ったかどうか?
 実家を代表して義妹が3回忌に参加してくれた。実家での母の様子を尋ねたら「近所の人たちが会いに来てくれて、お義母さん、嬉しそうにしていました。近所の人たちに、○子(私の事)が、厳しいので大変だと早速、言っていましたよ」と言う。「帰ってから近所の人達に私の悪口を言ったらダメよ」と帰る前に母に言ったら「どうして私がそういうことをいうだろうか。ありがたいと感謝しているのに・・・」と義妹の前できっぱり言った。しかし、早速その約束を破ったようだ。可笑しくて義妹と一緒に笑いあった。「でも近所の人たちが元気になったと驚いていましたよ。こんなに元気になったのは○ちゃんのやり方が良かったからよ、と、お義母さん、みんなに言われていました」と言ってくれた。母も近所の人たちに久し振りに会えて「自分の家」を満喫している様子。私も嬉しくなった。
 食事会の後、送迎車で一旦、皆で、我が家に・・・。お茶など出して、しばしおしゃべり。4時ごろにはお開き。
 みんなが帰った後でゆっくりもう一度仏壇にお参りし、義母の思い出に浸った。
なんとか無事に義母の3回忌終了。今回は食事は料亭でしたので楽で疲れなかった・・・と思ったのだが、気を抜いたら何故か疲れがドッと出てグーグー眠ってしまった。疲れ知らずの夫は外に出て暗くなるまで畑仕事をしたというのに・・・。なんたる差なのか・・・。
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母帰る

2010年04月24日 | 日記
 明日、義母の3回忌の法要を我が家で行う。お客さんが来るので母も落ち着かないだろうと思い、2泊の予定で実家に帰すことにした。4月1日に病院から我が家に来て以来初めての帰省である。
 夕方、義妹が迎えに来てくれた。義妹は母が元気になった事に驚いていた。「お義姉さんのやり方が良かったのでお義母さんがこんなに元気になれたんです」と言ってくれた。
母は「○子(私の事)は厳しいので、私も気を使うんよ」と言う。「だから頭がシャンとして、こんなに元気になったのよ」と私。
 4月1日に我が家に来た時とは別人のように元気になったと私は改めて思った。表情が豊かになり、声も張りがあり大きい声で話すようになった。頭の回転も動作もかなりすばやくなった。
 以前から1日中お菓子を寝転んで食べる癖があった母。食事も寝転んでだらだらと食べていた。そういう母から私はお菓子を取り上げ、時間と量を決めて食べさせるようにした。それに対する母の抵抗は大きかった。「お菓子を頂戴、飴玉頂戴」と日に何度も執拗に迫ってきた。そしてそれに応じない私に「あんたは冷たいなあ。もう自殺したい」など罵倒する言葉を容赦なく投げつけてきた。
 食事をソファーに寝たまましようとする母に「ちゃんと食事の時は据わって食べるように」と私が言えば「腰が痛くて座って食べるのはきつい」と母。「病院で1日中車椅子に座った生活ができていたんだから、食事の時くらい座れないはずはない」と私。
 居間に出てきては「あれを部屋に忘れた」と私に取ってきて欲しそうに言う母に「自分で取ってきて」とそっけない私。本当に私は冷たい人間かもしれないと気が滅入りそうな日も何度もあった。
 弟が母を実家近くの介護施設に入所申し込みをしている。ゆくゆくはそこに入ることになるだろう。娘として、できるだけ母を自立させたい。できるだけ人前で母に恥ずかしい思いをさせたくない。改善できる点は改善したいという思いがある。その一心で母に接してきた。
 その成果はあったのではないかと我ながら思う。あれほど文句を言っていた母が、いつの間にか座って食事をするようになった。間食が減ったので3度のごはんを良く食べる。いつもおいしそうに全部食べる。食べる速度も速くなった。トイレもひとりで行けるようになった。全く踏みたてられなかった足が、今では歩行器があればひとりで歩けるかも?と思えるまでになった。
 「冷たい娘」の効用が結構あるのではないか?と自画自賛の気分である。しかし、ここまでになるには私も結構ストレスがあった。今、そのストレスが大分減ったことを実感する。
 母は義妹に連れられ、ずっと母が住みなれた我が家に嬉しそうに帰っていった。明後日、我が家に連れてくるのが大変かもしれない。
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ぬけてる私・・・

2010年04月23日 | 日記
 自分では、たまにしっかりしているような気分になったりするのだけど、「どうしてこんなにぬけてるの?!」と思うことが多い。
 今夜も・・・・。仕事関係の方のお義父さんが亡くなられたと聞き、お通夜に行った。
受付は私の知っている人だった。挨拶をして香典を受付のお盆(?)にいれ、記帳し、香典返しを受け取り、会場へ向かおうとしたら、受付の人の様子がおかしい。なんだか慌てている。口ごもりつつ、しかし、モジモジして、慌てている。「えっ?!」と言ってその人の顔を見ると、受付のその人は私の左手を指差した。なんと左手にしっかりと香典袋を握り、かつ右手には香典返しの袋を持って、私はその場を去っていこうとしていたのだ。つまり一旦出した香典をまた自分で受け取って持ち去ろうとしていたのだ。笑ってはいけない場なのだが、私のやらかした失敗が可笑しくてクスクス笑ってしまった。受付の人も笑っていた。通夜の途中でもその事が頭に浮かんできて、ふと顔がにやけそうになったりした。こういう失敗をよくやらかしてしまう。
 家に帰ってみると、机の上に娘がメモを書いて置いていた。「菊屋(菓子店)からTELあり。今日の午前中にお菓子を取りに行く予定だったの?」
義母の3回忌を明後日(25日)するので、先日お店に行って、その為のお菓子を注文しておいた。その受け取りは、明日(土曜日)と言ったはずなのに、お店の人が間違ったなと思い、控えを出して確認すると、なんと今日の午前中になっていた。「準備をして待っていたけど来ないので・・・と電話で言ってたよ」と娘が言う。明日のつもりで今日の日にちを言って注文したのだ。ああ、またしても・・・。なんたることか・・・。とほほ。
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