服用している薬が残り少なくなったので午前中に近くの病院へ。
待ち時間に読もうと気軽に読めそうなポケット詩集を持って行った。
この本はもう何度も読んだはずだが、開いてみると「こんな詩は初めて」と思うような詩が結構あった。
そんな中に私の大好きな詩があった。
茨木 のり子さんの『汲む(くむ)』という詩
汲む 茨木 のり子
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立ち居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
その人は私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
この詩が好きなことは今までもブログに書いてきたが
今日久しぶりにまたこの詩に出あい、やはり好きだなあと思った。
私には弱点がたくさんある。
この詩を読むと私の弱点を擁護してくれているような気分になる。
上手くいかず落ち込んだりしたとき、この詩に何度も励まされてきた。
午後、久しぶりに散歩。
タケノコ山にも行ってみた。
まだタケノコの気配なし。
よそのお宅のハクモクレン。昨年からこの木のファンになっている。
今年も見頃になるのを楽しみにしている。
↓これは我が家の今日のモクレンとチューリップの状態