黒澤映画「椿 三十郎」に続いて、「用心棒」を観ました。
映画の製作順序は、「用心棒」が先ですが、
時代設定は「椿」の方が古いようです。
主人公は同じ三船敏郎で、着物や風貌は同じなので、
続編とされているが、正式に同じ主人公である設定とは
公言されていないようです。
(敵役 仲代達矢も同じく・・・そして素晴らしいですが・・)
ただ、「用心棒」で、名前を聞かれた主人公が、
窓から見える桑畑を眺めて
「桑畑三十郎・・いやもうそろそろ四十郎だが・・・」と、
苦笑いをするシーンと、
「椿」でも同じように、窓から見える椿を眺めながら、
「椿 三十郎・・いや、もうそろそろ四十郎だが・・・」と、
同じ台詞廻しがある。
どちらがどう面白いかというのは、「ぜひ!観ていただきたい!!」
としか言いようがない・・・くらい素晴らしいのですが、
どちらが好きかと聞かれたら、やはり「椿三十郎」かな?
椿の方がコミカルな部分が多いのと、「用心棒」の時で試みた、
いろんな実験が、「椿」で結実してるから、
どうしてもこちらを選んでしまうのだろう。
ただ、「用心棒」の「斬新さ」「新しいことをするエネルギー」ってのも、
神がかってるとしか言いようがないくらい、渾身のパワーを感じる。
用心棒でひと家族を助けたせいで、ボッコボコにされた三船に向かって
「この世の人間に見えね~な!」と言う台詞があるが、
まさに、迫真すぎて、「人間」を超越した姿でスクリーンに
映ってしまってるようなシーンもあった。
それと音楽の使い方・・・ドルビーサウンドなんか、いや
ステレオさえなかったかもしれない時代に、あれだけ迫力のある音楽が、
どこを切っても写真になっちゃうような構図の中で、
画面の中、生き生きと蠢く獣のようにシンクロしていて凄い。
凄いとしか言いようがない。
レンタル屋さんで、「最近つまんねぇ~映画ばっかだなぁ~」
ってお嘆きの方がおりましたら、騙されたと思って一度、
手にとってもらいたい。
あ、いや、いや、それはそれとして、
何が言いたかったかと言うと、
没後に自らの冠が付いた文学賞「直木賞」で有名な、
作家「直木三十五」も、31歳の時に「直木三十一」と名乗り、
誕生日ごとに「三十二・・三十三・・・三十四・・・」
と名前を変えたが、「三十四」と書いた時に、編集者の間違いで
「三十五」と間違えられたのを機会に、それ以降、
「直木三十五」のままとなった話を聞いていて、
桑畑(椿)三十郎もそうだが、歳と共に名前を変えるのも
面白いなぁ~と思ったのです。
ま、本名は無理として、例えば自分が使ってる
ユキヒロック=yukihi69を毎年ひとつづつ数字が
増えてくってのはどうかと?
「yukihi69・・・yukihi70・・・yukihi71・・・72・・・73」
ネットの世界では一文字でも違うと「別人」ということになるそうなので、
あまり うまくないようですし、
もともとROCKの当て字で69の意味もなくなるし。。。(笑)
そうやって、自分で年齢を意識することによって、
自分を問いただすというか、
「ちゃんとその歳に見合った自分になれてるか?」みたいなこと、
1年1年の成長具合を意識することによって、
自省する考え方もあっていいと思うし、
それとは間逆に・・・
(私は早生まれの為、39になったばかりですが・・・)
春から40になった同級生たちの中には、
「誕生日は祝わない!・・・年齢を意識しないようにしてる」的な
ことを言いはじめる者もいて、
「そうだよねぇ~!! 30を超えたら、自分の年齢は
自分で決めていいのではないか?!」と・・・共感します。
体力的には年々落ちていくのを実感しますが、少なくても精神的には
毎年どんどん若返るくらいの気持ちでいたいですね。
特に女性が美貌を保つことばかりを示して
「アンチエイジング」という言葉を使っておりますが、
歳を忘れて、歳に関係なく、没頭できる趣味や仕事などを持ち続けたり、
挑戦し続けたりすることが、「アンチエイジング」の本当の意味では
ないかと思う。
そして、そういうことに付き合ってくれる仲間がいることが、
一番の「不老不死の薬」かもしれない。
(ありがたや、ありがたや)
でも、最近・・・自分の不摂生が祟り、
太りすぎでアチコチ・・身体がボッロボロですが。。。
ちっくしょー、歳になんか負けるもんかぁ=!
問題は・・・すでに
直木三十五はもとより、すでに椿のように四十郎だってこと。
数年前、韓国の謎の女優「シ・ジュウ」・・・・などと、
3つ年上の奥様をからかっていましたが、
いよいよ、自分がその年齢に・・・。
80歳が平均年齢と考えれば、折り返し地点。
「これからは幾つになったが問題でなく・・・今まで何をやってきたか?
そしてこれから 何をやってゆくのか?」
そちらの方が大事になってくるのではないかと思うので・・ござる。(笑)
映画の製作順序は、「用心棒」が先ですが、
時代設定は「椿」の方が古いようです。
主人公は同じ三船敏郎で、着物や風貌は同じなので、
続編とされているが、正式に同じ主人公である設定とは
公言されていないようです。
(敵役 仲代達矢も同じく・・・そして素晴らしいですが・・)
ただ、「用心棒」で、名前を聞かれた主人公が、
窓から見える桑畑を眺めて
「桑畑三十郎・・いやもうそろそろ四十郎だが・・・」と、
苦笑いをするシーンと、
「椿」でも同じように、窓から見える椿を眺めながら、
「椿 三十郎・・いや、もうそろそろ四十郎だが・・・」と、
同じ台詞廻しがある。
どちらがどう面白いかというのは、「ぜひ!観ていただきたい!!」
としか言いようがない・・・くらい素晴らしいのですが、
どちらが好きかと聞かれたら、やはり「椿三十郎」かな?
椿の方がコミカルな部分が多いのと、「用心棒」の時で試みた、
いろんな実験が、「椿」で結実してるから、
どうしてもこちらを選んでしまうのだろう。
ただ、「用心棒」の「斬新さ」「新しいことをするエネルギー」ってのも、
神がかってるとしか言いようがないくらい、渾身のパワーを感じる。
用心棒でひと家族を助けたせいで、ボッコボコにされた三船に向かって
「この世の人間に見えね~な!」と言う台詞があるが、
まさに、迫真すぎて、「人間」を超越した姿でスクリーンに
映ってしまってるようなシーンもあった。
それと音楽の使い方・・・ドルビーサウンドなんか、いや
ステレオさえなかったかもしれない時代に、あれだけ迫力のある音楽が、
どこを切っても写真になっちゃうような構図の中で、
画面の中、生き生きと蠢く獣のようにシンクロしていて凄い。
凄いとしか言いようがない。
レンタル屋さんで、「最近つまんねぇ~映画ばっかだなぁ~」
ってお嘆きの方がおりましたら、騙されたと思って一度、
手にとってもらいたい。
あ、いや、いや、それはそれとして、
何が言いたかったかと言うと、
没後に自らの冠が付いた文学賞「直木賞」で有名な、
作家「直木三十五」も、31歳の時に「直木三十一」と名乗り、
誕生日ごとに「三十二・・三十三・・・三十四・・・」
と名前を変えたが、「三十四」と書いた時に、編集者の間違いで
「三十五」と間違えられたのを機会に、それ以降、
「直木三十五」のままとなった話を聞いていて、
桑畑(椿)三十郎もそうだが、歳と共に名前を変えるのも
面白いなぁ~と思ったのです。
ま、本名は無理として、例えば自分が使ってる
ユキヒロック=yukihi69を毎年ひとつづつ数字が
増えてくってのはどうかと?
「yukihi69・・・yukihi70・・・yukihi71・・・72・・・73」
ネットの世界では一文字でも違うと「別人」ということになるそうなので、
あまり うまくないようですし、
もともとROCKの当て字で69の意味もなくなるし。。。(笑)
そうやって、自分で年齢を意識することによって、
自分を問いただすというか、
「ちゃんとその歳に見合った自分になれてるか?」みたいなこと、
1年1年の成長具合を意識することによって、
自省する考え方もあっていいと思うし、
それとは間逆に・・・
(私は早生まれの為、39になったばかりですが・・・)
春から40になった同級生たちの中には、
「誕生日は祝わない!・・・年齢を意識しないようにしてる」的な
ことを言いはじめる者もいて、
「そうだよねぇ~!! 30を超えたら、自分の年齢は
自分で決めていいのではないか?!」と・・・共感します。
体力的には年々落ちていくのを実感しますが、少なくても精神的には
毎年どんどん若返るくらいの気持ちでいたいですね。
特に女性が美貌を保つことばかりを示して
「アンチエイジング」という言葉を使っておりますが、
歳を忘れて、歳に関係なく、没頭できる趣味や仕事などを持ち続けたり、
挑戦し続けたりすることが、「アンチエイジング」の本当の意味では
ないかと思う。
そして、そういうことに付き合ってくれる仲間がいることが、
一番の「不老不死の薬」かもしれない。
(ありがたや、ありがたや)
でも、最近・・・自分の不摂生が祟り、
太りすぎでアチコチ・・身体がボッロボロですが。。。
ちっくしょー、歳になんか負けるもんかぁ=!
問題は・・・すでに
直木三十五はもとより、すでに椿のように四十郎だってこと。
数年前、韓国の謎の女優「シ・ジュウ」・・・・などと、
3つ年上の奥様をからかっていましたが、
いよいよ、自分がその年齢に・・・。
80歳が平均年齢と考えれば、折り返し地点。
「これからは幾つになったが問題でなく・・・今まで何をやってきたか?
そしてこれから 何をやってゆくのか?」
そちらの方が大事になってくるのではないかと思うので・・ござる。(笑)