「辞める=責任をとる」の図式は随分と、日本人特有な考えと思う。
「切腹」からの名残りなんかな?
「死んだら許す」はまだ理解できますが、
「辞めたらチャラ」は、むしろ本人を「楽」にするだけじゃない?
・・・では、「責任をとる」ってどういうことだろう?
ひとつ良く考えなきゃいけないのは、「その責任」ってのは、一体
「誰に? 何に?」を明確にする必要があると思うのですが、
昨今は、そこが非常に曖昧のまま とにかく責められてる人をよく見かける。
法を犯したのであれば、「法律的な処罰を受け入れること」
金銭的な損失を出したのであれば、「金銭的補填を行うこと、今後の仕事で補うこと」
期限までに結果が出せなければ、「結果が出るまでやり続けること」
責任をとると言うことはそういうことですよね? 使い込んだお金を全部返金したらOKと言う意味ではないけど。
と言うことは、「責任をとる」は、「やらかした」を上回る補填
・・・少なくとも補填しようとする努力をみせること?
同じ過ちをしないための再発防止方法を実践する・・・で良いのかな?
「責任は 取るものでなく 果たすもの」
厄介なのは「道義的」とか「倫理」とか「感情」とかで「責任をとれ!」と責められた場合。
対象が曖昧で、誰にどのように、どこまでやったら「責任がとれる」ことになるのかがわからない。
ゴール・・・ストーリーのエンディングが見えない。
ネットの発展で「叩く」技術だけが一方的に発達したけど、その出口・・・ゴール、エンディング
・・・「責任の取り方」というか・・・たぶん最終的に「許す」の技術も
向上しなくちゃいけないんじゃないかと思う。
ちなみに、「盗んだバイクで走り出す~♪」の尾崎豊の歌をリバイバルしたGUのコマーシャルが、
「犯罪を助長している」とBPOに苦情があったと言うニュースをみたが、呆れた。
「単なる昔の歌じゃん!」と思う反面、
あまり感じの良いCMではないし、あのCMで服を買いたいと思うヤツがどれだけいるのか?
誰が得してるのかは・・・確かに不明だし、面白くもなんともないのは認めるが、曲に罪はないと思う。
「よーし!バイクを盗もう!」って思ってる馬鹿なヤツは、あのCM見ようが見まいが盗むと思う。
「叩いてる人」の質の低下は、誰がどのように責任をとるのだろう。