ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

DVDやCDの時代でも、シリコンオーディオの時代でも……ドラマの中心は「TAPE(テープ)」

2006-08-17 | 映画
テープ(TAPE)」はよく出来た作品だった。

安モーテルの一室。馬鹿みたいに缶ビールを呷っては、その缶を捻り潰し、ゴミ箱に放り込んで悦にいっている男、ヴィンセント(イーサン・ホーク)。高校時代の友人ジョン(ロバート・ショーン・レナード)が訪ねてくる。

ジョンは駈け出しの映画監督で、明日から開催される映画祭で上映される作品を携え、この故郷の田舎町に戻ったのだった。そして同じく故郷を離れていた旧友のヴィンセントに呼び出されてこのモーテルを訪ねたのだった。

ジョンは生真面目な常識家タイプ。まだ、監督としての将来を約束されたわけではないが、映画祭での自作の上映に期待を抱いて、順風満帆という気分だ。一方のヴィンセントは表向きは消防団に属し、その実はヤクの売人として糊口をしのいでいる。ジョンはここでもそのことを叱るが、ヴィンセントはへらへらといい加減な態度で聞く耳を持たない。

それどころか「お前は昔から、そうやって真面目ぶっているが、なあ、あの時のことを正直に話せよ」と迫ってくる。高校卒業間際、ヴィンセントが別れたばかりの彼女エイミー(ユマ・サーマン)と、ジョンは付き合ったのである。そのエイミーと「あの夜に何をしたのか?」と、ヴィンセントは問うのである。

「何もないさ」「何もないわけがないだろう」「そりゃあ、まあ、お前が別れたばかりの彼女と付き合ったのは、悪かったかも知れない」「そんなことじゃない! お前、彼女に詫びた方がいいことをしたんじゃないか?」「何を。普通さ、普通だよ……」「普通って、なんだよ」「ああ、ああ。わかったよ。あの晩、彼女と寝たさ」「どんな風に」「わかるだろう。普通さ」「レイプか?」「合意だよ」「レイプだろう」…………こんな会話のやり取りの後、ジョンは「両手を押さえて突っ込んだのさ」と告白させられる。

それを、ヴィンセントは「テープ」に録音していた。そして、モーテルの部屋を三人目の人物エイミーが訪れる……。エイミーはこの街に今も住み続けており、地方検事であるという。

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この映画、実に登場人物はこの三名のみ。つまり、三人の役者の演技力と、リチャード・リンクレイター監督の演出力のみで出来上がっている。(もちろん、音響だって、美術だっているのだが、そういうことは意識の外に追い出してよいはずだ)。

舞台もモーテルの一室のみ。時々カットは割れるもののカットバックとかフラッシュバックとか、「時間」を前後させるテクニックは一切用いられていないし、クロス・フェードや暗転で時間を跳ばしたりも一切しないから、実質的には86分の上映時間が、イクォール劇中の時間経過である。

極めて「舞台的」であるのも当然、もとは「舞台劇」のシナリオに目を通したイーサン・ホークが惚れ込んでの映画化だという。

しかし、そういう作品でも変に「映画の文法」に色気を出して、先述したような手法を取りがちだが、この作品はあくまで閉塞的状況を登場人物と観客に強いるのである。

そこが、面白い!

そして「事実」とか「真実」とかにこだわっても仕方がない。ひとの心が如何に感じるか、あるいは「時」が事態をひとの中でどのように風化させ、あるいは歪曲しうるか、いくつかの解釈を許しながら、それでもこういうことはあるんだよなあと、思い切りうなずけるのではないかと思う。これがわたしの感想。

時間が許せば是非とも見るべし!


「女高怪談」第3弾は、だんだん上がるエスカレーターならぬ、願えば叶う階段の「狐怪談」!

2006-08-16 | 映画
本日は前作に引き続き「狐怪談」(Whispering Corridors 3:Wishing Stairs
)(女高怪談 3番目の話 きつね階段) を鑑賞。

今度の女子高校は「芸術科」がある学校のようだ。学校には寮があって、寮生と通学生がいる。

寮生のひとりオム・ヘジュ(チョ・アン)は美術コースの生徒。犬木加奈子ばりのマンガを描く。酷く太っていて、かなり風変わりなメンタリティの持ち主で、虐めの対象になっている。バレエコースのキム・ソヒ(パク・ハンビョル)は穏やかな性格で彼女にも優しいので、ヘジュはソヒに憧れを抱いている。ヘジュは物置を隠れ家的アトリエにしているが、彼女の苦手なロダン気取りのハン・ユンジ(パク・チヨン)が「いい所を独り占めしてるじゃない。わたしにも使わせてよ」と闖入してくるが、彼女は嫌と言えないのだった。

ヘジュが犬木加奈子ばりの画風で描いたマンガ。ヘジュを思わせる女の子が石段を一段、一段数えながら上っていく。26、27、28……そして、ありえないはずの29段目! 「ああ、狐よ、狐よ! わたしの願いを叶えておくれ! わたしの願いは……」――寮の目前にある28段の石段。これを数えながら昇るとき、29段目が現れたら何でも願いが叶うのだという言い伝えがこの学校にはあった。

ユン・ジンソン(ソン・ジヒョ)は貧乏な寮生。キム・ソヒは彼女の親友だ。しかし、自宅生で自分の裕福さにほとんど無頓着なソヒを時に疎ましいと思うことがある。「母のかつての夢の実現のために押し付けられたバレエなんて好きじゃない」と彼女は言うが、ソヒは誰からも認められる才能の持ち主で、次期コンクールでは優勝を勝ち得て、ロシア留学も確実視されている。

何ごとにも屈託ない気性のソヒは、ジンソンの努力も苦悩も知らず、彼女に抱きついては、「ジンソン大好き。わたしにはあなただけ」と、いつもいつも甘えてくる。しかし、ジンソンの中には、自分がいつも二番手に甘んじなければならないということに関して大きな不満があった。次期コンクールの学校代表が校内オーディションで決まると知って、彼女は狐の階段に願を懸ける……。

校内オーディション当日。ジンソンは自分のロッカーに新しいトゥ・シューズが入れてあるのを発見する。「大好きなジンソン。新しいシューズで頑張って!」と添えられたソヒの可愛らしい丸文字も憎らしい。当たり散らすように割ったガラスビン。そんな様子をソヒが伺っていたことも知らなかった……。

ジンソンに押し返されたトゥ・シューズを履いて、ソヒは完璧な演技を終える。学校代表はソヒと決まった。荒れ狂うジンソン。訪ねてきたソヒが「信じて。わたしには本当にあなただけが大事なの」とまとわりつくのを振り払う。その一挙動にソヒは階段から落ちてしまった……。

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まあ、全部のあらすじを書くわけにはいかないだろうと思うので、直接の筋を追うのはここまでとする。

ライバルのトゥ・シューズに異物! 少女マンガの王道だが、それをやったのがどちらかというと主人公なのが、目新しいかな。

まあ、ここまでのあらすじで先が読めると思うが、不気味デブ娘ヘジュは狐階段への願いで痩せ始める。そして、もちろんソヒは死んでしまうのだが、ソヒを慕うヘジュがやってしまいます! ジェイコブズの「猿の手」を!

ヘジュが「ルームメイト」ばりの「現象」を起こしていくのも、まあ、かなりのひとが読めてしまう展開ではないかと思う。(これも想像できることだが、ヘジュ役のチョ・アンは、プロフィールの写真とか見ると、どちらかというと可愛い容貌なのだが、前半特殊メイクで不気味デブになっているのであった)。

最後の最後、ジンソンが「猿の手」の「最後の願い」を試みるのだが……。

*「三番めが一番怖い」というのは「学校の怪談3」の宣伝コピーだったが、「女高怪談」は「3番目がもっとも『学校怪談』風だった」と思う。*

*ジェイコブズの「猿の手」については説明しない。探して読んでください。これを引用したものはあまりに多いから。たとえばスティーブン・キングの「ペットセメタリー(ペットセマタリー)」もそうだ。*

*「ルームメイト」も説明端折っていいですね。……もっとも簡単に。同居人がどんどん自分に似ていき、恋人も取られそうになる恐怖!*

夏は怪談! だから「女高怪談」シリーズ第2弾にしてみました。

2006-08-15 | 映画
少女たちの遺言」(Memento Mori)。また、韓国映画だ。

韓国映画の吹替え音声付のヤツは、何しろとっても安心して見ていられるので。まあ、女子高生のセリフとしちゃ、どうかな、という吹替えもあるけどね。

この「女高怪談」シリーズ、最新作が「ヴォイス(女高怪談4:声)」といい、6月後半にDVD発売されているが、この第2作はそのものずばり「女高怪談 二番目の物語」という原題(もちろん訳すと、だが)だということ。

まあ、直接の続編ではない。前作がどこか田舎の女子高校だったのに、「少女たちの遺言」の舞台は都会(ソウル市内か。屋上からはこの学校がビル街に程近いとわかる)の女子高校。ただ、直接の因縁はないものの、この学校は過去に五人の死者を出しているらしい。「七人の死者が出たら廃校という噂」だと、生徒の一人が言っていた。

それから主役三人の、特にヒョシン(ハン・イェジン)とミナ(キム・ミンソン)はテレパシーで会話するし、シウン(イ・ヨンジン)もミナから「答え」を送られることから、まあ、超能力ほどではないにしろある程度の感能力があるのかもしれない。この、「超能力」の存在というのが前作と被っているかもしれない。実際は必然がないのであるが。

前作はあらかじめ秘密と怪奇が存在するところから始まり、巻頭早々女教師が殺されるが、この作品はかなりの時間を割いてイメージ・フィルムのようなカットと他愛ない女子校の日常を積み重ねていく。

それによってわかってくる人物像。ヒョシンはとてもエキセントリックで、その隠された能力に関係あるのか同世代より大人びてもおり、周囲からは虐めというかスポイルされる人物であるとわかる。陸上部員のシウンはボーイッシュな雰囲気の娘で、練習には全力で打ち込む真面目な気性だが、理由も示されないが耳が聞こえなくなりつつあり、焦燥か何か、精神の安定を欠いている部分を持っている。ミナは割りに平凡な娘だが、ある日ひょんなことからシウンとヒョシン、レスボスな関係と噂のふたりが交わしていた交換日記を手に入れその心の襞に触れて、ふたりをもっと深く理解したいと思うようになる。

その矢先、屋上からヒョシンが飛び降りて死んでしまう。それから、あちらこちらで彼女の姿が目撃されることに。

それは交換日記に記された言葉の「メメント・モリ(死を思い留めよ)」にあらわされる思い、「わたしを忘れないで、いつまでも憶えていて」というその表れなのか。

たとえばコ・ヒョンソク先生(ペク・チョンハク)は彼女を妊娠させたと噂されるが、死して後、訪ねてきた彼女に問う。「もう、苦しみから解放されたのか」と。彼は彼女の大人びた態度の陰に、不安に苛まれる孤独な魂を見ていた。

その孤独を唯一癒せたのがシウンととも居られることであった。ヒョシンが絶対に別れたくない相手、それがシウンだった。

……こういう切ないほどの叙情と、一方で「キャリー」ばりのパニックとが並存しているため、後半はどっちつかずな印象である。

「怪談」だけどね。でも一面ガラス張りの天窓一杯に映りこむヒョシンの顔、なんてあんまりだ、と思う。

とかなんとかいいながら、主演3人のそれぞれの愛らしさを楽しむことができたので、実にそういう映画だと割り切れば楽しめる映画だ。

*「囁く廊下~女校怪談~」(日本公開名。VHS版もこういうタイトルのようだ)(“Whispering Corridors”という英題が英語のシリーズ題名でもある)、こちらはVHSのみリリース。日本では未DVD化作品。*

*3作目「狐怪談」もレビューしています!*

ミラー・ワールドの中核(コア)には、一番の嘘つき鏡があると決まっている……?

2006-08-14 | 映画
Mirror 鏡の中」(Into The mirror)。キム・ソンホ監督 ユ・ジテ主演。

一昨日の日本版ワイドドラマレベル映画鑑賞に次いで、今日は韓国のワイドドラマレベル映画を見た。実際に劇場公開された映画のようだが「四天王に次ぐ期待の男優ユ・ジテ」が売りらしい、キム・ソンホ監督第一作なのだそうで、DVDのリリース会社がこんな惹句くらいしか用意できないところに、既に「作品的限界」が丸わかりというところか。(だいたい「四天王」って誰がそうなのかも、よく知らない。ヨンさまは、そうでしょう? あと、クオン・サンウとかかな? ソン・ガンホは違うよね。まあ、いいや)。

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不審火による火災から一年。再開店間近のデパートで、次々に不可解な殺人事件が起こった。自分で首を切ったかのような若い女性。耳から脳までボールペンが串刺しにされた男性。自分の車の中で不可解な死をとげた男性。

警備責任者のウ・ヨンミン(ユ・ジテ)は、事件の真相を追ううちに、3人がもともと同じ部署で働いていたことを知る。しかも、全ての死が、ウ・ヨンミンが刑事を同僚を死なせ刑事を辞職した原因の、鏡に結びついていた。

……以上、DVD発売元アットエンタテインメントの作品紹介(ストーリー)から。

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当然というか、映画はこういう風には進みません。「鏡」を用いたホラーの「怖さ」は、そこにいるはずのないものが写ること。つまり犠牲者は鏡の中の自分が勝手に動き出して、それに殺されるわけ。もう一回ひねりがない限り、鏡の中の何かにヤラれていると、被害者と観客だけが確定的に知っている。
せっかくヨンミン刑事の後輩が精神科医であるという設定をしたのだから、「酷いショックに遭うと、意識が乖離して鏡の中の自分が独立したように感じる」なんて(まあ、ラストには意味を持つわけだが)半端な注釈させないで、もっと「ミスディレクション」を誘うような、そう、たとえば「催眠」とかではないけれど、強い暗示で被害者も乖離感を感じていて「自殺させられている」とか、そういう勘繰りを観客に抱かせてくれたらよかったのに、と思った。

ウ・ヨンミン、そもそも叔父の経営するデパートの警備主任なんだよ。そのことに情けない気持ちも抱いている。それに一年前に「同僚を死なせた」ということなのだが、今度のデパートの事件を担当することになったハ・ヒョンス刑事(キム・ミョンミン)にとっては親友、ウ・ミョンミンにとっては相棒だった刑事が人質に取られている状況で、遊園地のミラー・ハウスみたいな場所(そこは鏡張りのうえ、全体が揺れるように出来ている)で、射撃大会常勝の射撃の名手ということになっていたヨンミンが誤って「鏡の中の犯人の額」を打ち抜いたために人質の刑事が殺されたということなのである。

これ、伏線になるのは想像に難くない。そうです。「道義的真犯人」(こう説明すれば、合っているかな?)にヒョンスが人質になるんだな。

精神病歴のあるイ・ジヒョン(キム・へナ)は、双子の姉を「火災」で失っているが、姉は行方不明なのだという確信を持っている。ここでも双子という、わかりやすいミラー・イメージが提示されるほか、デパートのリニューアル・オープンで催されるファッション・ショーにも同じような服装のモデルの左右対称のポージングとか、まあ、念入りな積み重ねには納得してあげるべきなのかもしれない。

しかし、あのオチ! あれは必要かね? ホラーだから? ならば、もう少し引っ張って、「シックス・センス」的に落とすべきだったんじゃないかな。それなら心も温まるだろう。何も不安・不快ばかりがホラーのオチではないと思うぞ!

*ミラー・ワールドは「仮面ライダー龍騎」に出てくる鏡の中の世界で、モンスターの住む世界。ライダーはモンスターと契約したカードの持ち主で、そのカードデッキを収めたベルトで変身し、鏡の中に入り込む。ミラー・ワールドは、その世界の秘密、すなわち大きな嘘を秘めたコア・ミラーを中心に形成されている。*

貞子(サマラ)は邪神の裔なのか。英断せよ! エイダン!

2006-08-13 | 映画
ザ・リング」(the ring)特典込みで全部見直した。

まず浮かんだこととしては、原作小説からの作品化ではないよなぁ、という再認。基本的には映画「リング」(中田秀夫監督 高橋洋脚本)の「ハリウッド版リメイク」なのだから、まあ、当然だわな。(これは「ダークウォーター」も同じね。原作者 鈴木光司には気の毒だが)。(ちなみにわたしは「リング」原作に大感動したひとり。さすがにオリジナルのハードカバー版ではないが、角川ホラー文庫版が上梓されてすぐに読んだのだ。ビデオテープとウイルスと呪い。見事な三題話だと思ったよ)。

再見して、冒頭の「女子高生」は、やっぱり竹内結子の方がいいねぇ、なんてのんびり見だしたのだけれども、やはりオリジナルと重ねられるところでは、オリジナルの方がよく見えるのだよね。

「ハリウッド版リメイク」ってのは、あれだね。喩えていえば「アニメ」「マンガ」の「実写映画化」を見る気分に似ているのだね。「似ている」とか「努力はわかるがイメージ壊す」とか、そういうことに目が行ってしまう。

そういう点では、やっぱりエイダン(日本版では浅川玲子であるレイチェル・ケラーの息子。調べてわかったが、そうか、淺川はレイコで、レイチェルか~)が不気味だ。こりゃあ、「ザ・リング2」(ハリウッド版の方ね)で、中田監督が不気味なキャラクターを強調しているように見えるのは、当然だなぁ、と思ったことだ。

さて、オリジナル、原作ともに「貞子」は超能力者なわけだが、本作ではサマラの「異能」を示すために父の営む牧場の馬が全滅するというネタが示されている。その再現がレイチェルの島渡り途中に起こるわけ。興奮した(怯えた?)馬がフェリーから海に飛び込んでしまい、スクリューだろうかね、海に大量の血が広がって死を暗示する。

この作品のレビューで「なんで馬?」というのが多いけれども、もちろん、どうしても馬じゃなければいけないわけじゃないとは思う。だが、馬という動物が非常に敏感で勘のよい(真実を見抜く)動物であるということなんだろうな。

サマラは「異能者」どころではない、得体の知れない「もの」なのだ。

このあたりから、オリジナルとは似て非なるニュアンスのラストに走り出す。

キイワード1「あの娘(サマラ)は決して眠らない。ボクらをずっと見ている」(エイダン談)

キーワード2「優しくしたくないのか?」「そう思うけど、どうにも止められないの(みんな、死ぬわ)」(サマラ談)

ここで、本編にはなかった(たぶんね。時々散漫な見方をした部分もあるので)特典映像の未公開シーンにあったサマラの誕生の秘密をヒントにしたい。

隔絶した島。港町に隣接する丘の牧場。「あの子のことは話したくない。また不漁になるのは嫌だ」という漁師。それを無理に説き伏せて聞き出す……。「夫婦には子どもがなかったんだ。そうまでして、無理に儲けなくてもよかったろうに。外国の医者に行って授かったそうだ」

このニュアンスから、彼女が「人間の子どもではない」可能性が臭ってくる。不漁をもたらすものとは、ダゴンとかヒュドラとかじゃないのか。その申し子、すなわち邪神の子ではないのか?

これに類する指摘は「ホラー映画の魅力―ファンダメンタル・ホラー宣言」あたりで小中千昭がしていたように思うが……定かではない。

ということで、実は本編よりも面白かったのは約16分に編集された「未使用カット」によるもうひとつの短編版「ザ・リング」だった。

ちょっと鬱陶しいかもしれない本編を見直してもらい、それに引き続いて是非「未使用カット」によるもうひとつの短編版「ザ・リング」(“Don't watch this"と題されている)を見て欲しい。それがお奨め! そうすることでオリジナル「リング」から独立した「邪神の子が世界を呪いで覆うために、その呪いをビデオテープにコピーした」という「ザ・リング」が見えてくるはずだ!

*マンガとアニメと実写というような表現形式の違いに割りとこだわらないのがアメリカ流。「クローン大戦」アニメシリーズとかは、きちんと「スター・ウォーズ2」と「3」の間に横たわる話として認められるわけだ。*

*オリジナルをきちんと解体して舞台や役割を置き換える、そういう作業、あるいはそうして生み出された作品を「翻案」という。たとえば横溝正史の「髑髏検校(どくろけんぎょう)」。「吸血鬼ドラキュラ」を江戸時代の日本に翻案したもの*

*そういえば、「THE RING VIRUS」っていう韓国版もあったなぁ。韓国正規版が日本語字幕付なのだけれども、翻訳がどうも今ひとつで、途中で眠くなって……こんどこそ見終わりたいと思います。それでレビューしますよ。*

「誘拐犯に憐れみを」。失っていたのは記憶。

2006-08-12 | 映画
プレイ/ pray」 佐藤祐市監督 玉山鉄二(ミツル)、 水川あさみ(マキ)

本編77分で、まあ、実質テレビムービー並みでしょう、というのが今日見ることにした。きっかけ。多分、このあとテレビを見るから、その隙間で見終わる作品ということで。

チンピラ・カップルのミツルとマキ。車の後部座席には眠る女児。ふたりはこの女児を誘拐したのだ。たどり付いたのはかつてミツルが通っていた、今は廃校となった小学校。マキが身代金を要求する電話を架けたが、その様子がおかしい。それもそのはず、切られてしまったという、その電話の相手は、「娘は1年前に死んだ」と答えたのだった。

睡眠薬で眠らせたはずの女児が、寝かせた保健室のベッドから消えていた。ふたりは仕方なく、無人のはずの校内を探し回る。

時を同じくして、霊媒師を尋ねる夫婦。1年前に行方不明になった娘のことが知りたい。死んだなら死んだと諦めもするが、なんとしても行方が知りたい。親から受け取り、卓上に置いた写真に手をかざしながら霊媒師はいう。「ああ、そばには誰かがいますね……」

女児を探してミツルは音楽室にたどり着く。その横引き戸に手を掛けようとすると、指先に静電気が走る。その瞬間、形を成さない記憶の残滓がミツルの脳裏に浮かぶが、そのヴィジョンは長持ちせず、すぐに消えてしまった。

「ああ、また。今度は三人の男が……」。果たして、霊媒師には本当に失踪した娘のことが見えているのか……。「その場所を教えてください」と父親は言う。

廃校にやって来たのはミツルの手下(てか)のヤスダら三人組。そして、ひとり、ひとり、不可解な死を遂げる。

殺される者はなぜ、手首を切り落とされるのか。娘は本当に死んでいるのか。そして、ミツルのヴィジョンにはどういう意味があるのか。


うーん。まあ、二転三転くらいはする筋立ても、まあ、わからないでもない。しかし、実は登場人物の底の浅さゆえに、結局は薄っぺらであったとしかいえない。

軽い気持ちで見ていれば、そんなに詰まらなくはない。

バジェット的にもテレビドラマ以上、ワイドドラマ以下という感じで、劇場作品と言いたくはない出来である。でも、その程度と思っていれば見られないこともない。

満腹大作の箸休め、そういう作品が見たい人にはよいのではないだろうか。

しかし、あのオチは蛇足だね。あの前で止めるべきでしょう。



*二日連続で「誘拐もの」を見てしまいました。ハイ。*

*「絶対恐怖」という括りで同時上映だったという「ブース/Bootn」の方も今度見てみようと思う。*

*発売元が日販! 東販と並ぶ本の取次ぎの。栗田はもう少し小さいんだったよね。違う? 東販で、学生のときバイトした記憶が……。*

断ち切りがたい「連鎖(リング)」は「呪い」だけではない。それともこれは「復讐」の「感染」ですか?

2006-08-11 | 映画
復讐者に憐れみを」。パク・チャヌク監督の復讐三部作の第一。

聾唖者のリュ(シン・ハギュン)は、自分の思いをラジオ番組に託し、姉に告げる。自分のために何もかも犠牲にしてくれた姉に。姉の患った腎臓病から彼女を解放するため、自分の腎臓を提供したいと。しかし、姉弟といえ、血液型が異なり、その夢も叶わず、適合者が現れるのを待つしかないという。

姉の看病から無断欠勤が続くリュは勤めていた工場を解雇になってしまった。皮肉にもその退職金が手に入ったので、リュは密売臓器を手に入れようと考える。臓器密売者は対価が足りないといい、代わりにリュの腎臓摘出をも条件に適合臓器を提供するという。リュが目覚めてみると、自分の腎臓は摘出され、金も持ち逃げされていた。

更なる皮肉がリュを追い詰める。病院から適合臓器が見つかったので、五日以内に手術したいという。手術費用も、もうない。どうすればいいのか。

リュの恋人ヨンミ(ペ・ドゥナ)は「共産革命思想」の持ち主で、労働者から搾取する資本家から労働の尊い対価を取り返すのは正しいことだといい、リュを解雇した工場の社長ドンジン(ソン・ガンホ)の娘ユソンを誘拐するようそそのかす。離婚したばかりのドンジンにほったらかしにされている娘は、お兄さん・お姉さんと遊んでもらって、わずかな期間で家に戻れて、楽しい「夏休み」の思い出を作るだけだから、誰も傷つくわけではないと、ヨンミはいう。

自分の病気をはかなみ、弟の犯罪を戒めて自殺してしまう姉。姉の遺体を思い出の川辺に葬ろうと、ユソンを伴ってやってきたリュ。しかし、その川でユソンは溺れて死んでしまう……。

リュは臓器密売者への、ドンジンは誘拐犯(つまり、リュ)への、それぞれが復讐に向かって動き出す。

その過程でドンジンはヨンミを殺すのであるが、ヨンミは「わたしの共産革命の同士がお前を許さない。同士はテロリストだ」と言う。

これらの伏線がラストで陰惨な「殺害シーン」へと結びついていく……。


三部作中、一番泥臭く、それだから痛々しい殺害シーンであるように思う。

「オールドボーイ」の方が、殺し方にも迫力はあるし、バジェットも高そうに見えるが、この泥臭い重々しさには敵わないように思う。

親切なクムジャさん」には、復讐の後に救いさえあるのだ。

筋立てにもどこか粗さがあって、破綻もあるのだが……面白かった。

*ソン・ガンホの新作は「グエムル~漢江(ハンガン)の怪物~」。監督は「殺人の追憶」のポン・ジュノ。ソウルを流れる漢江から、突如巨大な怪獣が現れ、人々を殺戮するが、父ソン・ガンホの目の前で娘コ・アソンがさらわれる。この娘を取り戻そうと家族が頑張るという話だそうだ。怪獣の秘密を巡り、政府も米軍も「敵」らしい。……すごーく、面白そうだ。誰か、一緒に見に行かない? 今のところ最良の映像はこれ!

取り返せないと思うから、タイムマシンにお願いしたいんだよね。

2006-08-10 | 映画
今晩は映画「サマータイムマシン・ブルース」で楽しんだ。

冒頭 真木よう子が構えるカメラの中で、ユニフォーム着た若者たちが到底野球とは思えぬ珍プレイを展開するが、その画面の端々に、なにやら不自然なほど写り込む人影……。瑛太たちは、なるほど、決して野球部員などではなかった。「おれら、結構いけるじゃん。まだまだ動けたな」と妙な自信ぶりをのぞかせた彼ら、SFがなんの略称かもわかっていないSF研の部員たちである。

SF研の部室。(実はもともとは暗室も付属した写真部部室。写真部員は真木よう子と上野樹里だけ)。ドミノ倒しか、とんだ連鎖でコーラがエアコンのリモコンにかかる。リモコンは壊れてしまった。古いエアコンは本体に非常運転スィッチもなく、リモコンがなければエアコンを動かすことができない。このままでは夏の猛暑を越せない。顧問の佐々木蔵之介先生の研究室を訪ね、修理依頼をするが、心もとない。

翌日、部室に見知らぬ不審な若者がいる。挙動不審な若者が立ち去った部室にはちょっとした大きさの「機械(マシン)」は据えられていた。それは(ジョージ・パルの)タイムマシンに似ていた。一同はこの冗談に喜び、いつも軽いノリの永野宗典をマシンのシートに据え、ゲージを昨日の日付に合わせ、過去側へとレバーを倒す。そして、マシンは光とともに空間の歪曲の中に消える。マシンは、本物だったのか?

ほどなくマシンとともに戻った永野。昨日に確かに戻ったという。(冒頭にちらついた「人影」のひとつは彼であった!)

興奮する一同。「タイムマシン」なら、やっぱり大過去でしょう。興奮するが、上野樹里が水を差す。「帰って来られなくって、化石で発見されたりしてね」そこで、安全で実用的な旅を思いつく。「昨日に行って、壊れる前のリモコンを持って来よう!」

タイム・パラドクスも理解しないまま、悪乗り三人組ムロツヨシ、与座喜秋、川岡大次郎が昨日に向かって旅立った……。

基本的にはコメディなのだが、どこか「あの夏」とでもいいたい懐かしさが漂う。

それに、「自分殺し」や「欠落する輪」、「同時存在(の矛盾)」など、タイムマシンもののツボも要領よく説明したり、小技として示したりもしてあって、立派な「時間SF」でもある。

派手なアクションはないが、小技が紡ぎ出す「時間のねじれ」は「バック・トゥー」にも匹敵する(は、言い過ぎか)。

まあ、青春コメディの佳作とはいえるだろう。

お奨め! (特に気分だけでも若返りたい人に、かなぁ)

鼻息は鼾鬼(イビキ)、太古の化石鬼(カセキ)、酔狂な物好鬼(モノズキ)なんてだめ?

2006-08-09 | ドラマ
このブログでは報告しなかったが、「響鬼」DVDの10巻は、結構前に見ていたのだ。

そして、DVDの11巻である。
第41話「目醒める師弟」~第44話「秘める禁断」。

前巻ラストで威吹鬼の危機に、ついに変身するあきら。この「目醒める師弟」では、そこから始まるが、いやー、あっけなくヤラれて失神、丸裸。(「秘める禁断」でうつ伏せでお尻見せの斬鬼さんとは違い、肩裸で暗示。随分前に轟鬼が気を集中できず、変身を解くと丸裸で斬鬼さんに諭されていたのを踏まえているのだろうが、小賢しいシナリオと思ってしまう自分が悲しい)。おざなりな展開だ。桐矢京介・明日夢の弟子入り話とのコントラストとしてあきらが「師匠に無断の変身」「京介・明日夢を“弟子”にしたこと」で威吹鬼に叱られる。うーん。この威吹鬼も、彼らしくないのだよな、どうにも。この41話の最後で「あきらの出した答えがそれならいい」とかいうところは、そんなものかなとは思えたが。

前巻の朱鬼編が、とにかく酷かったのだが、まあ、朱鬼との関係にきちんと終止符を打てたことで、「生きること」に整理がついたとでもいうのか、斬鬼がまさにラストスパートに入る。

「オロチ現象」というカタストロフ迫るに従い、魔化魍が異常活性化するという最終話に向かった「豪華展開」は、思えば「平成ライダー」の基本パターンのような気もするが、実際はもっと「おとなの事情」なのではないかと、今回も思った。

つまり、着ぐるみの総使い回しとCG(VFX)パターンの使い回し(色違いの同キャラ多数、なんてまるでテレビゲームじゃないか!)で一回ごとの特撮コストを落とす。それから、その回に不要ならば役者も出番を削る。轟鬼の致命的負傷と失意に対し、日菜佳があの状態なら、香須実が姉として気働きをしないわけがないのにそんなことは省いてしまう。しばらくぶりに持田〈もっちー〉ひとみが出てきたと思ったら、チア部ではない(もしかしたら、チア部員を揃える方がコスト高?)。それに彼女は轟鬼の従妹のはずだが、彼の見舞いさえしない。29話までに築いた「日常」がまるで機能しないのである。

井上脚本で日常とは「飯を喰う」ことなんだろうか。

「このラーメン屋のラーメン、おいしいなぁ」
「今日はボクが奢りますよ」
もっと細やかな日常の、感情生活をキミ達は持っていたはずじゃないか!

斬鬼のラストスパートも、「秘める禁断」、反魂だか返魂だかの禁呪法を用いた様子。轟鬼のため、朱鬼同様に「禁を犯す」というドラマなんだろうが、うーん、どうにも無理やりな展開だなぁ。次巻最初のエピソードで「散華する」そうだが。

文句を言いつつも、前2巻よりは面白かった。脳内補完にもわたくしの方が慣れてきたということかな。

それでも鼓も弦も管もなく、魔化魍との相性関係なくガムシャラに闘うのはやっぱり無様だな。あと強化響鬼が強すぎ。「とぉ」とかって、一撃で魔化魍5体とか倒しちゃいかんだろう。「夏のヤツ(とにかく増えるタイプ)」じゃあるまいに。それに、着ぐるみ使い回しでもいいけども、大鯰の胃袋まで混じっているのは意味不明じゃないか!

……ああ、やっぱり文句言ってしまった。

いよいよ未見はあと1巻。最終話「明日なる夢」を見て、「許せる」ことを、自分に期待したい。

なあ、ビル! 今こそ本当の「天国からの手紙」をおくれ!

2006-08-08 | 映画
本日は映画を見られません。「江原啓之/天国からの手紙」の日だから。

「あのひとは本物だ」「とんでもない詐欺師だ」

どっちでもいいわけです、実は。わたくし、死後生を、できたら信じたい。でも、最近は「科学的な理知」の方がわたしの中で勝るため、「信じることが出来ない」状態にある。

で、彼の語る死者の言葉がリアルで、(出演者が全員仕込み、全員役者、最初からフィクションというケースを想定しない限り)信じてみたいと思わせるところがある。

もちろん、わたくし、素直な人間ではないから彼の口真似とか顔マネを状況にあわせて先回りしつつ、「楽しんで」いるのです。


さて、もちろん、ここでこう書いているものを江原さんが目を通すわけもないし、こんな「企画」は成り立たないでしょうが……江原さん、ウィリアム・ガードラーさんの「天国からの手紙」を、世界のゲテモノ映画ファンのために手に入れてくれないでしょうか?

さて、皆さん。

「グリズリー」をご覧になりましたか。

うん。

「アニマル大戦争」は?

そして、ビルの最後にして最高傑作「マニトウ」はもちろんご覧になっていますね! まだのひとはDVDで……あー、北米版とかでご覧ください(って、やっぱり出てないのだ、日本版)!



こんな話です(ちょっとシーンのつながりが前後しそうな気がします。何年も見ていないから。でも、大筋は合っていると思うぞ)!

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トニー・カーチス扮する落ち目のマジシャンは、数年ぶりに会ったスーザン・ストラスバーグ扮する昔の彼女と、ひょんなことから焼けぼっくいに火が付いたのである。

ともにしたベッドでぐっすり眠る彼女の口から、「ぱな・うぃっちー・さりとぅー」と意味不明な文句が漏れるが、夢の中のトニーは何も気付かない。

彼女の首筋に出来た腫瘍は日々に大きくなっていく。この腫瘍を切除しようとした医者は自分の手を切り刻む始末。

「ぱな・うぃっちー・さりとぅー」

トニーはただごとでない事態に友人の霊能者に相談する。交霊界で垣間見た姿は「インディアン(ネィティブ・アメリカン)」であった。

トニーは憑き物祓いの出来る者を求めてインディアンの居留地を訪れる。〈歌う岩(シンギング・ロック)〉のジョンという男と知己を得て、助力を得られることとなる。

しかし、ジョンは病院で垣間見た相手の正体に、戦意を喪失する。「我が死は蘇りの約定(パナ・ウィッチー・サリトゥー)」という言葉で、既に六度(たび)蘇り、蘇るたびに力を増大させて、七度目には世界を支配するに足る力を伴って戻るといわれている伝説の呪術師ミスカマカス! それがスーザンに取り付いた相手だったのだ。あいつには最強級のマニトウである愛のマニトウも敵(かな)わない!

戦意を喪失したジョンに代わって、ヤケになったトニーは、手近にあったタイプライターを、半実体化したミスカマカスの霊に投げつける。あろうことか、一時的にこの大呪術師を退け得たではないか!

彼らの呪術戦は「精霊(マニトウ)」の助けを借りて行われるので、前の蘇りのときに出会わなかった「タイプライターのマニトウ」によってミスカマカスは一時的に負かされたのである。

そうだ! それならば現代最強の「器物のマニトウ」を以ってミスカマカスを退けよう!

スーザンの首筋(っつうか、もう、それどこじゃない大きさになっている)から、ついに「生まれる」ミスカマカス! 病院の個室は突如宇宙空間になり、その虚空の遥かにミスカマカスの呼んだ破壊のマニトウ〈大魔神〉が渦を巻いている!

病院の管理コンピューターに、病院の全電力が集中させられて(って、CPUが逝ってしまうじゃん! と突っ込めるのは今だから! 当時はなんて凄いアイデアだ! だったので、ここはそういう感じで読んでおくように)、……歌う岩ジョンは、しかし、絶望の声を上げる。「白人の作った機械は、インディアンのオレのいうことを聞かない!」

その時! ベッドの上に抜け殻のように伏していたスーザンがオッパイ揺すって起き上がったではないか! コンピューターのマニトウか? はたまた愛のマニトウか? 力を集めるように広げた掌に光が宿り……迸る光線がミスカマカスを吹き飛ばし、〈大魔神〉を退ける!

危機は去り、「お礼の煙草」を受け取ったジョンは、世界の危機を救ったふたりの愛に祝福の言葉を述べ、居留地に帰っていく。

(エンド・ロールに先駆け、1960年代の東京の病院で、少年の体から腫瘍として赤ん坊ひとり分の骨や肉が摘出されたというようなクレジットが写される)

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脳内補完もされているのですが、いかがでしょう? 面白くありませんか?

しかも、「マニトウ」は「スター・ウォーズ(後のEpⅣ新たなる希望)」に次ぐドルビー・ステレオとして二本目の作品なのです! 豪華でしょう? 病院個室のスター・ウォーズというわけです。

さて、本題に戻ります。この映画公開当時、次回作のロケハン中にヘリコプター事故で亡くなったウィリアム・ガードラー監督を、配給会社の社員が、イタコに依頼し口寄せしたところ「マニトウ」によって霊界の秘密を暴きすぎたので、邪悪な霊の攻撃に遭って殺された、と言って、(「事実」なら)死んでも自作のために尽力したのですが……。

江原さん。いやいや、ビル(ウイリアム)さん。真相はいかに?