ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

ジョー・ヒルの短編集。

2008-11-10 | 読書
「20世紀の幽霊たち」を読み進めています。

どれも確かに粒ぞろいですが、ロメロの「ゾンビ」のエキストラの話、「ロメロのゾンビもののエキスラ」じゃなくって、「ゾンビ(Dawn of the dead)」そのものなんですね。架空の映画とか、割合に近作である「ランド・オブ・ザ・デッド」とかではなくって、オリジナルの「ドーン・オブ・ザ・デッド」。かれこれ30年近くが経つ、あの映画。リビング・デッドの2作目の「ゾンビ」そのものの、あのショッピング・モールの撮影が舞台なんですよ。
なんか、それだけで嬉しくなってしまいました。

古いメモから② 『〔完本〕黒衣伝説』 または 文学のデモン。

2007-02-22 | 読書
 文系、殊に文学の方法というのは実に「借り物」と「パッチワーク」で出来上がっているという感じがある。論の着想は、あたかも子どもが初めてことばを獲得する際にそうであるように、ある時、爆発的に意味をもってつながり、姿を見せる。一見して直感的ではあるものの、複数の概念や、複数の論説が蓄積されたときに「不意に形を得て立ち上がるもの」に、論理性を与えるという方法を、文学という学問は意識的・無意識的に使ってきたという気がするのである。

 つまりは、それ自体が「関係妄想」的方法とでもいうべきものだと気が付いた。結局、「文学」は実質上の学問にはならないな。方法が既にして神憑りなのだから。そう、常にデモンの囁きなんだ。

 ささやき声は、みだりに発してはならないそうな。ささやきとは「笹焼く神事」に関係するという。火にくべた笹はパチパチと幽かな声を発する。それが神の啓示であるという。真実や未来を、告げる声であるという。(昔、講義中の私語を、そういって戒めた石上堅先生の、仰ったことだ。民俗の常識みたいにお話になったのが今でも思い出される。)

 六条戻り橋。その下には鬼神がいる。辻神の一種だ。人々の口に上すことばの端々に、真理を載せるそうな。ただひとりが神憑りになるのでなく、複数の人が無意識に、各々にばらばらに語ることが聞き手に伝わったときに聞き手の中で意味を為す、安部清明の逸話にもあるな。

 それが、陰謀であるという。悪意ある、作為ある「ささやき」で、不都合な思想を持つ人間を狂気に追い込もうとするという。たとえばそういう話なのだ、朝松健の『〔完本〕黒衣伝説』などは。

 それは、怖ろしい。実に怖ろしいことなのだ……。

 ……と、まあ、怖ろしさの意味が伝わっただろうか?

*今日は「親指さがし」を鑑賞した。この感想も先送りです。*

閑話休題2 イギリス伝統侵略SF

2006-11-07 | 読書
ジョン・ウインダム「海竜めざめる」(John Wyndham “The Kraken Wakes” a.k.a“The Things from the Deep”“Out of the Deeps”)

この傑作に初めて出会ったのは小学校4年生のころだったか。

子ども向けの翻訳シリーズで、小学校の図書室にあった、岩崎書店のSF世界の名作「深海の宇宙怪物」(斎藤伯好訳 長 新太絵)であった。(このシリーズでは他に「宇宙人デカ」ことハル・クレメントの「二十億の針」、「海底パトロール」ことA・C・クラークの「海底牧場」、そして、あとは通常の翻訳を見かけたことがないリチャード・ホールデンの「光る雪の恐怖」、ロバート・セドリック・シェリフの「ついらくした月」などを楽しんだものだ)。

この作品、大洋に落下してきた無数の謎の赤い光球が、実は侵略兵器(生物?)で、真っ白い椀を伏せたようなゼリー状の巨大な怪物の姿で湾岸から陸上に現われ、その一部が泡が膨らむようにはぜると、ひも状の触手として飛び散り、触れるものを人間でも、他の生物でもなんでも引きずり、本体に飲み込み、海底に消えるのである。

子どものころ、うん、怖かったなぁ。

そう、あの「宇宙戦争」の三脚戦闘機(トリポッド)の攻撃の理不尽さに、ちょうど、似ているのだ。

そうして、本作と「宇宙戦争」の共通点をもうひとつ。主人公が名無しの「わたし」であること。

そして、ひょんなことから敵の弱点がわかること。(それには日本人が関与している!)

硬質なこの作品、星新一訳のハヤカワSF文庫版を探して、是非読んでいただきたい!

映画化しても、面白いと思うのだが。なお、ジョン・ウインダムの「呪われた村」を原作とする映画は「光る目」。

閑話休題 新しい火星人類の誕生!

2006-11-06 | 読書
川又千秋の「火星人先史」。

テラフォーミングを進めつつある火星。人類はその単純労働と非常用食料として遺伝子操作したカンガルーを大量に投入した。

ガルーと蔑称されるカンガルーたち。地球で最後のカンガルーが息を引き取ったとき、彼らは「火星人」を名乗り、地球人類に独立を宣言する。

工作員として、ガルーの体にその脳を移植された地球軍人は、その使命を忘れ、自由に疾駆することに楽しみを見出すようになる。

頭脳がもともと人間であることは些細なことである、と、火星人の一人として受け入れられていく彼ら。そして、むしろ独立闘争の中心的なメンバーとなっていくのであった。

……実は、ずーーと昔読んだきりなのだが、この作品の魅力は計り知れない。

また、読んでみようかな。

変な続編、こんな「SW」こんな「JAWS」読んだことあるかい?

2006-06-12 | 読書
スター・ウォーズ/侵略の惑星 アラン・ディーン・フォスター著

「スター・ウォーズ」1本目(後のエピソードⅣ 新たなる希望)のノベライゼーション作家として有名なアラン・ディーン・フォスターが、ファン達からの作品への絶賛を受け敢然と書き下ろした「スター・ウォーズ」のオリジナル続編。

ルークとレイアの相思相愛らしき描写、ウーキーより強力そうな猿人であるユッツェムの登場、フォースを増幅する樹木、謎のフォース婆さんなど、さすが「スタートレック(ログ・シリーズ、つまり「まんが宇宙大作戦」)」のノベライズも手がけたSF作家だけに、バラエティ溢れる作品に仕上がっていた。
元祖の「帝国の逆襲」が公開されるまでは、「スター・ウォーズ」に乾いた読者を癒すだけの役割は果たしていたように思う。
なお、見開きカラー挿絵は生頼範義画伯が担当、これがルーカス卿の目に留まり、「帝国の逆襲」の国際版ポスターに、生頼画伯が起用されるきっかけになったということは有名な逸話だろう。

ジョーズ2 ハンク・サールズ著

ヤノット・シュワルツ監督の「ジョーズ2」。わたしは、「ジョーズ」の初見が遅くって、日劇で「ジョーズ」「ジョーズ2」の二本立て興行があったときに連続でみたのであるが、世間様よりも、そのために連続性の中で見ることが出来たため、結構この作品を許している。
ピーター・ベンチリーの原作がブロディ夫人とフーパーの情事などというのを描いていたり、まあ、もともと映画そのものではないことから、このハンク・サールズのノベライズもある意味映画通りでないだろうという期待があったが……小技が効いていたかな。
この2頭目の鮫がメスで「妊娠している」ため、一層飢えているなんていうのは、結構良かったかな。

この、「続編小説」二作。共通点は「サンリオ出版」のハードカバーであったことです。


「キマイラの新しい城」はヒロイック・ファンタシー!

2006-06-06 | 読書
殊能将之(しゅのう まさゆき)。

凄い作家です。

「ハサミ男」でメフィスト賞を受賞。それ以前の作家的履歴もあるようなのですが、とにかくその作品で(再?)デビューしたわけです。

本格推理にして異色推理という奇跡のようなこの傑作以降、「美濃牛」という「八つ墓村」のような、「迷路館の殺人」のような、しかもとんでもないぺダントリーに満ちた作品で「名探偵 石動戯作(いするぎ ぎさく)」を誕生させ、続く「黒い仏」ではその「名探偵 石動戯作」の「神」にさえ「加護された」「超絶推理」を描き(本格推理ファンではない、ある種の作品ファンを、そのカラクリで熱狂させ)、彼のとんでもないアシスタント「アントニオ」を紹介する。「鏡の中の日曜日」では「名探偵 石動」の死を、「樒/榁(しきみ/むろ)」では純粋な「密室モノ」を提供してくれました。

「キマイラの新しい城」はそんな石動モノの、現状の最新作です。

いやいや。面白かった。

「トキオーン」の「ロポンギルズ」を巡る稲妻卿の冒険は、これ、ヒロイック・ファンタシーですね。

うーん。第一之書が幻獣の塔、第二之書がトキオーンを求めて(これに、ピクピクと、我が触角は反応!)、第三之書は嵐を呼ぶ剣。嵐を呼ぶ剣ですよ! ストームブリンガーじゃないですか!

そして、なんとまあ、凝ったヒントが!

参考・引用文献を読んでご覧なさい。
エルリック、ホークムーン、コルムの諸作が挙げられながら、同じ永遠の闘士(エターナル・チャンピオン)であるのに、先の一なる三者だけで、四者、すなわちエレコーゼの作品が挙げられていないではありませんか。

これこそ「ヒント」と思ったら、うーん、どうやら正解です。

エレコーゼは「すべての転生の記憶を持つ者」。つまり、何もかもわかっている人物なのです。

何もかもわかっている人物を、作品の中に隠してあったわけです。

これ、推理小説のネタバレではありますが、実質的には何もばらしていないという大技のレビューでございます。

*映画「ハサミ男」。あの作品が映像に出来るなんて! と思ったら、こんな方法か! ということで、原作ファンはすぐに納得の方法で出来ていました。で、原作を知らないと、結構騙されるみたい。娘(中1)は、へー、ぐらいは騙されていた様子です。