「ザ・リング」(the ring)特典込みで全部見直した。
まず浮かんだこととしては、原作小説からの作品化ではないよなぁ、という再認。基本的には映画「リング」(中田秀夫監督 高橋洋脚本)の「ハリウッド版リメイク」なのだから、まあ、当然だわな。(これは「ダークウォーター」も同じね。原作者 鈴木光司には気の毒だが)。(ちなみにわたしは「リング」原作に大感動したひとり。さすがにオリジナルのハードカバー版ではないが、角川ホラー文庫版が上梓されてすぐに読んだのだ。ビデオテープとウイルスと呪い。見事な三題話だと思ったよ)。
再見して、冒頭の「女子高生」は、やっぱり竹内結子の方がいいねぇ、なんてのんびり見だしたのだけれども、やはりオリジナルと重ねられるところでは、オリジナルの方がよく見えるのだよね。
「ハリウッド版リメイク」ってのは、あれだね。喩えていえば「アニメ」「マンガ」の「実写映画化」を見る気分に似ているのだね。「似ている」とか「努力はわかるがイメージ壊す」とか、そういうことに目が行ってしまう。
そういう点では、やっぱりエイダン(日本版では浅川玲子であるレイチェル・ケラーの息子。調べてわかったが、そうか、淺川はレイコで、レイチェルか~)が不気味だ。こりゃあ、「ザ・リング2」(ハリウッド版の方ね)で、中田監督が不気味なキャラクターを強調しているように見えるのは、当然だなぁ、と思ったことだ。
さて、オリジナル、原作ともに「貞子」は超能力者なわけだが、本作ではサマラの「異能」を示すために父の営む牧場の馬が全滅するというネタが示されている。その再現がレイチェルの島渡り途中に起こるわけ。興奮した(怯えた?)馬がフェリーから海に飛び込んでしまい、スクリューだろうかね、海に大量の血が広がって死を暗示する。
この作品のレビューで「なんで馬?」というのが多いけれども、もちろん、どうしても馬じゃなければいけないわけじゃないとは思う。だが、馬という動物が非常に敏感で勘のよい(真実を見抜く)動物であるということなんだろうな。
サマラは「異能者」どころではない、得体の知れない「もの」なのだ。
このあたりから、オリジナルとは似て非なるニュアンスのラストに走り出す。
キイワード1「あの娘(サマラ)は決して眠らない。ボクらをずっと見ている」(エイダン談)
キーワード2「優しくしたくないのか?」「そう思うけど、どうにも止められないの(みんな、死ぬわ)」(サマラ談)
ここで、本編にはなかった(たぶんね。時々散漫な見方をした部分もあるので)特典映像の未公開シーンにあったサマラの誕生の秘密をヒントにしたい。
隔絶した島。港町に隣接する丘の牧場。「あの子のことは話したくない。また不漁になるのは嫌だ」という漁師。それを無理に説き伏せて聞き出す……。「夫婦には子どもがなかったんだ。そうまでして、無理に儲けなくてもよかったろうに。外国の医者に行って授かったそうだ」
このニュアンスから、彼女が「人間の子どもではない」可能性が臭ってくる。不漁をもたらすものとは、ダゴンとかヒュドラとかじゃないのか。その申し子、すなわち邪神の子ではないのか?
これに類する指摘は「ホラー映画の魅力―ファンダメンタル・ホラー宣言」あたりで小中千昭がしていたように思うが……定かではない。
ということで、実は本編よりも面白かったのは約16分に編集された「未使用カット」によるもうひとつの短編版「ザ・リング」だった。
ちょっと鬱陶しいかもしれない本編を見直してもらい、それに引き続いて是非「未使用カット」によるもうひとつの短編版「ザ・リング」(“Don't watch this"と題されている)を見て欲しい。それがお奨め! そうすることでオリジナル「リング」から独立した「邪神の子が世界を呪いで覆うために、その呪いをビデオテープにコピーした」という「ザ・リング」が見えてくるはずだ!
*マンガとアニメと実写というような表現形式の違いに割りとこだわらないのがアメリカ流。「クローン大戦」アニメシリーズとかは、きちんと「スター・ウォーズ2」と「3」の間に横たわる話として認められるわけだ。*
*オリジナルをきちんと解体して舞台や役割を置き換える、そういう作業、あるいはそうして生み出された作品を「翻案」という。たとえば横溝正史の「髑髏検校(どくろけんぎょう)」。「吸血鬼ドラキュラ」を江戸時代の日本に翻案したもの*
*そういえば、「THE RING VIRUS」っていう韓国版もあったなぁ。韓国正規版が日本語字幕付なのだけれども、翻訳がどうも今ひとつで、途中で眠くなって……こんどこそ見終わりたいと思います。それでレビューしますよ。*
まず浮かんだこととしては、原作小説からの作品化ではないよなぁ、という再認。基本的には映画「リング」(中田秀夫監督 高橋洋脚本)の「ハリウッド版リメイク」なのだから、まあ、当然だわな。(これは「ダークウォーター」も同じね。原作者 鈴木光司には気の毒だが)。(ちなみにわたしは「リング」原作に大感動したひとり。さすがにオリジナルのハードカバー版ではないが、角川ホラー文庫版が上梓されてすぐに読んだのだ。ビデオテープとウイルスと呪い。見事な三題話だと思ったよ)。
再見して、冒頭の「女子高生」は、やっぱり竹内結子の方がいいねぇ、なんてのんびり見だしたのだけれども、やはりオリジナルと重ねられるところでは、オリジナルの方がよく見えるのだよね。
「ハリウッド版リメイク」ってのは、あれだね。喩えていえば「アニメ」「マンガ」の「実写映画化」を見る気分に似ているのだね。「似ている」とか「努力はわかるがイメージ壊す」とか、そういうことに目が行ってしまう。
そういう点では、やっぱりエイダン(日本版では浅川玲子であるレイチェル・ケラーの息子。調べてわかったが、そうか、淺川はレイコで、レイチェルか~)が不気味だ。こりゃあ、「ザ・リング2」(ハリウッド版の方ね)で、中田監督が不気味なキャラクターを強調しているように見えるのは、当然だなぁ、と思ったことだ。
さて、オリジナル、原作ともに「貞子」は超能力者なわけだが、本作ではサマラの「異能」を示すために父の営む牧場の馬が全滅するというネタが示されている。その再現がレイチェルの島渡り途中に起こるわけ。興奮した(怯えた?)馬がフェリーから海に飛び込んでしまい、スクリューだろうかね、海に大量の血が広がって死を暗示する。
この作品のレビューで「なんで馬?」というのが多いけれども、もちろん、どうしても馬じゃなければいけないわけじゃないとは思う。だが、馬という動物が非常に敏感で勘のよい(真実を見抜く)動物であるということなんだろうな。
サマラは「異能者」どころではない、得体の知れない「もの」なのだ。
このあたりから、オリジナルとは似て非なるニュアンスのラストに走り出す。
キイワード1「あの娘(サマラ)は決して眠らない。ボクらをずっと見ている」(エイダン談)
キーワード2「優しくしたくないのか?」「そう思うけど、どうにも止められないの(みんな、死ぬわ)」(サマラ談)
ここで、本編にはなかった(たぶんね。時々散漫な見方をした部分もあるので)特典映像の未公開シーンにあったサマラの誕生の秘密をヒントにしたい。
隔絶した島。港町に隣接する丘の牧場。「あの子のことは話したくない。また不漁になるのは嫌だ」という漁師。それを無理に説き伏せて聞き出す……。「夫婦には子どもがなかったんだ。そうまでして、無理に儲けなくてもよかったろうに。外国の医者に行って授かったそうだ」
このニュアンスから、彼女が「人間の子どもではない」可能性が臭ってくる。不漁をもたらすものとは、ダゴンとかヒュドラとかじゃないのか。その申し子、すなわち邪神の子ではないのか?
これに類する指摘は「ホラー映画の魅力―ファンダメンタル・ホラー宣言」あたりで小中千昭がしていたように思うが……定かではない。
ということで、実は本編よりも面白かったのは約16分に編集された「未使用カット」によるもうひとつの短編版「ザ・リング」だった。
ちょっと鬱陶しいかもしれない本編を見直してもらい、それに引き続いて是非「未使用カット」によるもうひとつの短編版「ザ・リング」(“Don't watch this"と題されている)を見て欲しい。それがお奨め! そうすることでオリジナル「リング」から独立した「邪神の子が世界を呪いで覆うために、その呪いをビデオテープにコピーした」という「ザ・リング」が見えてくるはずだ!
*マンガとアニメと実写というような表現形式の違いに割りとこだわらないのがアメリカ流。「クローン大戦」アニメシリーズとかは、きちんと「スター・ウォーズ2」と「3」の間に横たわる話として認められるわけだ。*
*オリジナルをきちんと解体して舞台や役割を置き換える、そういう作業、あるいはそうして生み出された作品を「翻案」という。たとえば横溝正史の「髑髏検校(どくろけんぎょう)」。「吸血鬼ドラキュラ」を江戸時代の日本に翻案したもの*
*そういえば、「THE RING VIRUS」っていう韓国版もあったなぁ。韓国正規版が日本語字幕付なのだけれども、翻訳がどうも今ひとつで、途中で眠くなって……こんどこそ見終わりたいと思います。それでレビューしますよ。*