ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

二度も三度も楽しめる「つくり」なら、単なる二次創作とは言えない!

2006-08-02 | 映画
ノベライズ「殺人の追憶」を読み終わり、その勢いで映画「殺人の追憶」をも見直した。

初見の印象以上に、演出の細かさが際立って、評価をさらに一層上方に修正した。もちろん初めて見たときにも充分に面白いとは思ったのである。それが、ノベライズを読んだことによって、ノベライズ作家が施した文字ならではの工夫と、映像作家ならではの表現がくっきりと見て取れて、感心したわけである。

映画の監督と共同脚本はポン・ジュノ。韓国で実際にあった未解決事件をモチーフにしているという。ポン・ジュノとシム・ソンポのオリジナル脚本をもとに「超訳」(あの、“英的冒険”の会社から怒られないのかしら?)こと「この作品は韓国映画『殺人の追憶』シナリオをもとに新たに書き下ろしたフィクションです」という再創作作業を施したのは薄井ゆうじだ。

時代背景は1986年から87年に架けての時期。この時期は薄井小説版に詳しいが、ソウル五輪を控えて民主化と都市整備が韓国内、殊にソウル近郊では急がれていたころである。ハングルの意味はもちろん正確にはわからないが、英題“MEMORIES OF MURDER”に近いニュアンスなんだろうと思う。「殺人の記録」。つまりは、ここには間違いなく「時代」が閉じ込められ記録されているのだ。

と、同時に第一の主人公パク・トゥマン刑事(ソン・ガンホ)、彼が映画の最後の場面(15年後、すなわち現在)で、映画の最初の場面である第一の現場に戻り思いがけずそれよりも少し前にこの現場を「真犯人」が訪ねたらしいと知るわけであるが、刑事を辞めても(偶然のようにではあるが)この場所に立ち戻ってしまった彼と、真犯人とがまさにこの場所での「追憶=メモリー」でつながっているということなのである。

この十数年でドラスティックに変化した韓国、「ひとのやる仕事じゃない」と愛人ソリョンに評されて警察を辞めたトゥマン刑事、ともにそれでも「変化以前」を引きずっているという……「追憶」というキイワードは、そういう点で優れていたといえるだろう。

薄井小説版は、文字媒体ならでは、第二の主人公であるソウルから転任してきたエリート刑事ソ・テユン(キム・サンギョン)の「転任を願い出た動機」をはじめ、内面を掘り下げている。

映画では、直感的・粗暴なトゥマンと論理的・冷静なテユンが反発しながら歩み寄り、互いに似ていくさまを、観客の共感を呼ぶように描いていく。これは映画的な楽しみである。

薄井小説版は映画では結局は曖昧にされた「あの人物」に関し、まさに内面に踏み込み、動機を語ることによってもうひとつの「殺人の追憶」を盛り込んでいく。これが実に巧みなうえ、それゆえに「似て非なるもうひとつのラストシーン」に見事にこれが結実していくわけだ。

見てから読んでも、読んでから見ても……といいたいが、これは見てから読むべきだな。その上でもう一回見る! それに決まりだ!