ここのところほとんど連続で
「
パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」
「
パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」
の二作品のDVD購入し、せっせと見た。
「
パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」
を見てやろうと思い立ったため。
面白かった。
正直なところ、ディズニーのアニメを実写(ライブ・アクション)に、のシリーズはどうかな、と思っていたのである。
かなり前、「ジャングル・ブック」を劇場で見て、まあ、あくまでそこそこな出来の作品だったので、以来、偏見があって、「101」と続編「102」も見ていない。ジャンルはホラーになるということから「ホーンテッド・マンション」(安かったこともあり、DVDを=Amazonのマーケット・プレイスのDVD-Outletで=一昨年末にまとめ買いした際に購入したもの。見たのはこのブログを始めて以降)を見るには見たのだが、まるで魅力を感じられず、やっぱりな、と思っておったのだ。
それが、なんだか急に魅力的に感じられるようになった理由は、そう、見事三部作に育ったという事実のためで、三部作といえば、「STAR WARS」だって「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だって傑作ではないか! やっぱり押さえておいた方がよさそうだぞ、と。
そう。面白いではないか。
まさに「STAR WARS」や「バック・トゥ…」と同様の成り立ちの三部作である。
とにかく一本目の「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」は、確かに続編の余地はあれど、きちんと結末がついていると言っていい。その点で「新たなる希望」と最初の「バック・トゥ…」によく重なり合う。
そして、二本目「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」、こいつはカーボン・フリーズされたハン・ソロ、落雷で暴走したデロリアン・タイムマシンによって西部開拓時代にとばされたドクの如くに、終盤でジャック・スパロウはクラーケンの鋭い牙が無数に生えた口にひと呑みにされてしまうのである。中継ぎの二作目として、見事なクリフハンガーである。
そう、そうして映画館に行ってきましたよ。
次々に絞首刑にされていく海賊関係者。主にご家族かと思われ、婦人や子どもが混ざっている。彼らが歌いだす悲壮な歌は実は文字通りの意味を持ち、同時に海賊長の評議会の招集を要請するものだった。
上海の海賊長サオ・フェンを訪ねるエリザベスとバルボッサ船長、そしてこの世の彼方に到るための海図を盗みにサオ・フェンの叔父の寺に潜入し損ねて捕まったウィル・ターナーと、この人物の配置と雰囲気が、まあ、ジャバの宮殿潜入とハンの救出を思い出させてくれた。シャンハイ海賊たちとブラックパール乗組員、そして東インド会社=イギリス海軍との三つ巴の戦いも見ものだ。
通訳オウムと不死身猿のジャック。かつては呪われた海賊の仲間だったコメディリリーフのビンテルとラゲティ、さらにはイギリス海軍の下っ端ふたり組み、みながみな微妙なふたり組みで、なんともR2(アートゥー)と3PO(スリーピオ)のように感じられる。
PIRATES OF CARIBBEAN:AT WORLD'S END というのがこの三作目の原題なのであるが、もちろん、ジャックを生き返らせるためにブラックパール一行が向かう「この世の果て」(実は死者の面倒を見ることに決められている「彷徨せる阿蘭陀人号」の船長ディヴィ・ジョーンズの「世界」なのだ!)の意味と、しかもそこに到るために経る、海が巨大な滝のように落下しているところは天動説的世界観のモデルであってこの世の海の行き止まりの意味である。と同時に(自由な)世界の終わりに瀕した海賊団のいみでもあろう。
見所はあまりにもたくさん、2時間45分ノンストップでダレ場なしであるが、
特に大渦(メールシュトレーム)を挟んで微妙な操舵で互いに相手を正しく照準(ポイント)して打ち合う「彷徨せる阿蘭陀人号」と「黒き真珠号」の格好良いこと! CGの、VFXのと、最早驚くことはないのであるが、こういう望ましい「絵」を見ることはやはり幸せなのだと思う。
もちろんストーリー上の辻褄も合って、然るべきかたちに収束していくわけだが、こんな結末はやるせないと、そう感じる方も多いのかな、とも思う。
クスっと笑わせるエンド・ロール後が効果的なオマケだった二作目までとは違って、三作目は胸迫るオマケである。
お時間があれば大き目のスクリーン、望みうる音響効果方式の映画館でご覧になることをお勧めする。
憂き世を三時間弱忘れて過ごせるだろう。
*フライング・ダッチマンっていうのは、これ、幽霊船と同意の英語ですね。最後の審判の時までずっと呪われているんだとか。*