ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

You get burnig!

2007-06-12 | アニメ
劇場版 機動戦艦ナデシコ~PRINCE OF DARKNESS

見ています。

面白いねぇ、やっぱり。

テレビ・シリーズももう一度みるかな~。

この劇場版でこれだけ胸が熱くなる作品ですからね。

おちゃらけているのに、マジであるというのが本当によい。

バカな題名に騙されて未見の向きは是非ご覧なさい。

正統なる大海賊映画(恐らくは)!

2007-06-09 | 映画
ここのところほとんど連続で

パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち
パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト
の二作品のDVD購入し、せっせと見た。

パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド

を見てやろうと思い立ったため。


面白かった。

正直なところ、ディズニーのアニメを実写(ライブ・アクション)に、のシリーズはどうかな、と思っていたのである。

かなり前、「ジャングル・ブック」を劇場で見て、まあ、あくまでそこそこな出来の作品だったので、以来、偏見があって、「101」と続編「102」も見ていない。ジャンルはホラーになるということから「ホーンテッド・マンション」(安かったこともあり、DVDを=Amazonのマーケット・プレイスのDVD-Outletで=一昨年末にまとめ買いした際に購入したもの。見たのはこのブログを始めて以降)を見るには見たのだが、まるで魅力を感じられず、やっぱりな、と思っておったのだ。

それが、なんだか急に魅力的に感じられるようになった理由は、そう、見事三部作に育ったという事実のためで、三部作といえば、「STAR WARS」だって「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だって傑作ではないか! やっぱり押さえておいた方がよさそうだぞ、と。

そう。面白いではないか。

まさに「STAR WARS」や「バック・トゥ…」と同様の成り立ちの三部作である。

とにかく一本目の「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」は、確かに続編の余地はあれど、きちんと結末がついていると言っていい。その点で「新たなる希望」と最初の「バック・トゥ…」によく重なり合う。

そして、二本目「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」、こいつはカーボン・フリーズされたハン・ソロ、落雷で暴走したデロリアン・タイムマシンによって西部開拓時代にとばされたドクの如くに、終盤でジャック・スパロウはクラーケンの鋭い牙が無数に生えた口にひと呑みにされてしまうのである。中継ぎの二作目として、見事なクリフハンガーである。

そう、そうして映画館に行ってきましたよ。

次々に絞首刑にされていく海賊関係者。主にご家族かと思われ、婦人や子どもが混ざっている。彼らが歌いだす悲壮な歌は実は文字通りの意味を持ち、同時に海賊長の評議会の招集を要請するものだった。

上海の海賊長サオ・フェンを訪ねるエリザベスとバルボッサ船長、そしてこの世の彼方に到るための海図を盗みにサオ・フェンの叔父の寺に潜入し損ねて捕まったウィル・ターナーと、この人物の配置と雰囲気が、まあ、ジャバの宮殿潜入とハンの救出を思い出させてくれた。シャンハイ海賊たちとブラックパール乗組員、そして東インド会社=イギリス海軍との三つ巴の戦いも見ものだ。

通訳オウムと不死身猿のジャック。かつては呪われた海賊の仲間だったコメディリリーフのビンテルとラゲティ、さらにはイギリス海軍の下っ端ふたり組み、みながみな微妙なふたり組みで、なんともR2(アートゥー)と3PO(スリーピオ)のように感じられる。

PIRATES OF CARIBBEAN:AT WORLD'S END というのがこの三作目の原題なのであるが、もちろん、ジャックを生き返らせるためにブラックパール一行が向かう「この世の果て」(実は死者の面倒を見ることに決められている「彷徨せる阿蘭陀人号」の船長ディヴィ・ジョーンズの「世界」なのだ!)の意味と、しかもそこに到るために経る、海が巨大な滝のように落下しているところは天動説的世界観のモデルであってこの世の海の行き止まりの意味である。と同時に(自由な)世界の終わりに瀕した海賊団のいみでもあろう。

見所はあまりにもたくさん、2時間45分ノンストップでダレ場なしであるが、

特に大渦(メールシュトレーム)を挟んで微妙な操舵で互いに相手を正しく照準(ポイント)して打ち合う「彷徨せる阿蘭陀人号」と「黒き真珠号」の格好良いこと! CGの、VFXのと、最早驚くことはないのであるが、こういう望ましい「絵」を見ることはやはり幸せなのだと思う。

もちろんストーリー上の辻褄も合って、然るべきかたちに収束していくわけだが、こんな結末はやるせないと、そう感じる方も多いのかな、とも思う。

クスっと笑わせるエンド・ロール後が効果的なオマケだった二作目までとは違って、三作目は胸迫るオマケである。

お時間があれば大き目のスクリーン、望みうる音響効果方式の映画館でご覧になることをお勧めする。

憂き世を三時間弱忘れて過ごせるだろう。

*フライング・ダッチマンっていうのは、これ、幽霊船と同意の英語ですね。最後の審判の時までずっと呪われているんだとか。*

THE GRUDGE 2って

2007-06-07 | Weblog
THE GRUDGE 2って日本公開しないんだろうか?

THE JUON 2って題名になるんでしょうがね。

いやいや。

コロンビア映画のね、

自由の女神様がね……。

英語ですが、本編も見てからご報告しますね。

わたしには日常でも

2007-06-06 | Weblog
世間一般から見れば、とても悠長に、まあ、かなり「非日常」なものごとを真剣に考えるのがわたしの仕事なのです。

いま自分で担当して教えているのは「蜻蛉日記」と「竹取物語」。古文ばかり。

でも、教育実習生とか、新任さんとか、あれこれ質問してくださったり、相談持ちかけてくれるひとがいると、「羅生門」やらなんやらの話題も話せて、実に楽しいものです。

そうそう。これもまあ「古典」関連なのですが、わたしの方にね、あんまり、そういう認識がなかった話題としてこんなのがありました。

完了の助動詞「ぬ」「つ」について、ある先生から、

「わたしはいつも語源を踏まえて教えるのだ」

と、そう伺いました。

「ふむふむ。語源ですか?」(あまり意識したことがなく、正直知りませんでした。まさにいまだ未熟者です)。


「ぬ」は「…て往ぬ」、「つ」は「…果つ」。だから「ぬ」はナ行変格活用型、「つ」はタ行下二段型に活用する、と、そういうこと。


なるほど。

と、そう言いつつ、余計なことが浮かぶ。

森鴎外「舞姫」冒頭。

=「石炭をばはや積み果てつ」

……これ、語源的には「果て『果てつ』」ということになるわけで表現がでダブっていることになるよね。

ホントだ!

楽しくふたりで笑い合いました。

かくのごとくに、国語の教員って「非日常」的に、マニアなんです。