ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

信じているものは、何?……そんなものを信じていいの?

2006-08-04 | 映画
スケルトン・キー」(Skeleton key)

実に巧みなつくりの作品だ。決して派手な作品ではないし、ラストシーンも終盤に近づいたあたりからは予想も出来る。それでもなお、伏線が効果的であると、舌を巻くしかない。

「アンフェアなのは誰か」、ならぬ、「騙されているのは誰か」、といったところか。

ルイジアナ州ニューオリンズ。ホスピス(終末医療院)で看護士をしている女性、キャロラインは、効利主義に走り、死の順番を待つ者を食い物にしているような病院の体制に疑問を抱いていた。折も折、新聞広告で住み込みの看護人を探しているのを見つけて彼女はそれに応募した。

その家は沼地の多いテレボン郡の、広大な敷地にぽつりと立っていた。その家主に依頼を受けて新聞広告を出した弁護士ルークと面接をしたキャロラインは、はじめは女主人バイオレットに会ってさえもらえないが、ルークの「バイオレットは大体の看護候補者を気に入らないので、気に掛けることはない」という言葉を頼みに半身不随で口も利けないバイオレットの夫ベンの世話をすることになった……。

唯一、合鍵(スケルトン・キー)では開けられない屋根裏部屋。ベンは屋根裏で「鏡の中の幽霊」を見たために具合をおかしくしたという。だから「鏡」を見るとベンはまた発作を起こすというのだ。

宗教としてのブードゥー教から、呪術だけを独立させたフードゥーの存在。前任の看護人である黒人娘は「信じない者には幽霊も見えないし、呪術も利かない」と教えてくれた。

映画はこんなエピソードを積み重ねながら、進む。

勘がよければ、多分、キャロラインよりは早く「真相」に気付くと思うが、さてその真相は?

そもそもこの作品のジャンルはサスペンスなのか、ホラーなのか、謎解きミステリなのか? ……そういう混乱さえ、見る者に与えながら、作品は展開する。

……わたしは面白かったよ。ひとによっちゃあ、怒ったりもしそうな終わりだけれども。

*「アンフェアなのは誰か」とは、ドラマ「アンフェア」のキイワードである。もう少しで「アンフェア」もレビューできるかもしれません。*