ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

超絶ネタバレ! 本当に更なる続編はあり得るの?

2007-11-24 | 映画
バイオハザードⅢ

超絶ネタバレ!につきご注意を。

アリスが超人ぶりを発揮しすぎ、と皆さんおっしゃるが、

そんなことは気にならない勢いがあり、見て損はないと思います。

しかし、あのラスト!

あれはやりすぎじゃないでしょうかね。

クローン・アリス軍団の予感、ということね!

ご冗談でしょう、いくらなんでも。

冗談じゃないとしたら、次回作はアンブレラ変異体軍団対アリス軍団という内容になるのでしょうか? 見たくないですよね。


侵略者を撃てったら、撃ちまくれ!

2007-11-21 | 映画
ボディ・スナッチャーズ

原作に沿っているかどうか、という基準からいうと、この「ボディ・スナッチャーズ」が一番オリジナル臭い展開だ。何しろ宇宙から来た何らかの生命が人間をコピーして入れ替わるというその点については、この作品の作り手は説明不用と考えているようで、

というのは、何しろ、DVDパッケージの原題BODY SNATCHERSの下には堂々とTHE INVASION CONTINUESと書いてあるくらいだから、リメイクというよりも、78年版の続編くらいの意識なのかも知れない。

主人公の継母役のメグ・ティリーって、どうも見覚えがあると思ったら、「サイコ2」やら「吸精鬼/ワン・ダーク・ナイト」のヒロインだったのですね。なんだか見覚えがあるけれども、割りに目立たない感じの役者さんなので、作品中で久しぶりに会えて嬉しかった。

「盗まれた街」映画化作品四本中、これと最新「インベージョン」が女性主人公であることも意味がありそう。かの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」が1990年のリメイク版「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世記」では強いバーバラの物語に成り代わり、更に先がけて「人食いアメーバの恐怖」もまた1988年版「BLOB/宇宙からの不明物体」では終盤ヒロイン大活躍の物語に化けたように、90年代以降は女性の時代だということだね。

それにしても「18歳で自立することを夢見る継子(ままこ)」であるガブリエル・アンウォーが、異星生物のポッド運びの軍用トラックや、陸軍基地を攻撃させるラストは、戦闘ヘリパイロットの実戦経験がクェート=湾岸戦争である事実と呼応しつつ、皮肉なものを漂わせていたなぁ。

*本編からの写真は日を改めて掲載予定です*

姿なき侵略者 地球は狙われている!

2007-11-20 | 映画
インベージョン」(THE INVASION)

「盗まれた街」四度目の映画化作品。原作と今までの旧作とは違って、今作での異星生命体は、「豆鞘」を使って実体を複製することはせず、直に頭脳を乗っ取ってしまう!

なんというか、シナリオの詰めが甘く、完璧には程遠い、ラストがあまりにあっけなく、全体のバランスが悪い、カー・アクションなどそんなバカなというよりない、など、欠点はある。

それでもなお、面白くドキドキ鑑賞できた。少なくとも見ている間は楽しめた。

今までの映画化は、
「ボディ・スナッチャー/恐怖の街(盗まれた町)」(1956)
「SF/ボディ・スナッチャー」(1978)
「ボディ・スナッチャーズ」(1993)
そして、今作「インベージョン」(2007)の順だ。

そして、自分が懐かしく思い出すのは1978年版。ロードショーで見た後に、五反田の名画座で、「エイリアン」「溶解人間」「SF/ボディ・スナッチャー」の三本立てなんて、お腹一杯になりそうな組み合わせを見たのが昨日のようだ。リック・ベイカーのメイクもグログロな「溶解人間」のみがその時初見だったのだが、「エイリアン」で宇宙であんな目に遭ったうえ、「SF/ボディ・スナッチャー」では地上でもあんな目に遭ってしまうヴェロニカ・カートライトの不憫を鑑賞するという隠れ設定もあり、楽しんだものだ。

で、昨日のような記憶からの、今回の「インベージョン」だ。あれ、この精神科患者(クライアント)もしかしたら?! と思ったのである。オバサン、「SF/ボディ・スナッチャー」で生き残りつつも、主人公ドナルド・サザーランドに「ギャーーーーーーー」と指差されて見事ダウンビートな幕引きにおいて、その目ん玉毀れんばかりに見開いて怯えたヴェロニカ・カートライトそのひとじゃないかと、鑑賞中俄かに気付いたのである。

彼女は後半に差し掛かったところで、やはり変成者の群れに取っ捕まり、しかも今回の設定では異星生物たちには不都合な免疫者であったため、もしかしたら78年版よりも不幸な末路になっただろうと予想され……。製作者の遊びに乗っかって楽しみましたよ。エンドロールで、はい、やっぱりヴェロニカ・カートライトだったと嬉しかった。

*「インベージョン」も、まあ、面白かったけれど、(93年版は未見だが、)いまだに一番原作に沿いつつ傑作なのは56年版だと思う。56年版欲しいけれど、とりあえずDVDは廃盤で、中古も高値だ。仕方ない、とりあえずは93年版も持っているので、そいつだけでも見てみるかな。*

取り替えっこが、始まるよ……

2007-11-17 | 映画
チェンジリング」(The changeling)

昔々、劇場公開で見て、その後もテレビの洋画劇場での放映を録画し、またレンタルビデオなどでも楽しんだ作品ですが、

いや~、DVD国内未発売なんですね。面白いのにな。

そうそう。そういえば先日「くもはち~偽八雲妖怪記~」(大塚英志の小説版。角川文庫)を読んでいました折に、チェンジリングっていうのが、イギリスの民俗で、人間が神隠しに遭い、そのかわりに偽ものとして妖精が置かれるという、取り替えっ子のことだと知りまして、まあ、民俗学なんていうものも自分も齧ったうちですので、気付かなかったのはうかつだったなと。

さらにさらに

「取り替えっこが、始まるよ」という花子さんの一言から始まる劇場版アニメ「トイレの花子さん」も、

妖精とのチェンジリングならぬ妖怪とのチェンジリングなわけで、

あのかわいらしい短編アニメも意外に奥が深かったのかな、と関心しました。
(劇場版1本で終わっちゃったけども、「忍たま乱太郎」の路線でNHKで放映される可能性があったんじゃないかな、あれは)。この作品もやっぱりDVDはないようで……)。

韓国ホラーはけっこう面白いのです。

2007-11-16 | 映画
霊~リョン~

キム・ハヌルというと、「同い年の家庭教師」「彼女を信じないでください」などのコメディエンヌという印象が強いですが、「霊~リョン~」でのふたりひと役というか、ひとり二役というか(これは作品のツボに触れる点なのですが)、まあそういう演技により、シリアスな役柄も充分にいけると証明しているように思われます。

(もっとも、「友引忌」「ボイス」のハ・ジウォンも、「恋する神父」でとんでもない役柄を演じていたりしますけれども)。

まあ、とにかく「霊~リョン~」です。

これ、「エンゼル・ハート」と「チェンジリング」に貞子風味を加えたような作品です。わかるひとには充分にネタばれなご紹介。

実際の中身も、ロッカーのかくれんぼ少女やら、記憶喪失の主人公やら、丁寧に重ねて描き出す伏線、また、ラストのドッキリオチまで、そこそこに楽しめます。

繰り返して見るほどの作品ではありませんが(といいつつ、わたしはかなりしばらくぶりの再見でした!)、流して鑑賞する分には充分な気がします。

デヴォン青木って……

2007-11-14 | 映画
「プラネット・テラーinグラインドハウス」の回のコメントで触れた「シンシティ」やら「DoA:Dead or Alive」に出ている役者さんのデヴォン青木。

実はもともとモデルさんだったんですね。

電車内の「ELLE Girl」の中吊り広告で初めて知りましたよ。

映画の方ではもう少しぽっちゃりした印象がありましたが、

こちらの写真ではかなりすらりとした感じです。

蘇る死体は、仁義なきリビング・デッドの墓場に眠らしめよ

2007-11-12 | 映画
「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」、例のBOXのね、モノクロ版をコメンタリー付きで数日に分けて見ていました。出演者ヴァージョンとスタッフヴァージョンね。

で、夏以来ちょこちょこゾンビものを見直したりしていた中で、

悪魔の墓場」は勝手にリメイク作品としては一番よく出来ているんじゃないかな、と、また思い返しましたよ。

ちゃんとしたご紹介もしたいところですが、

忙しさに追われる「怠け者」としては、とりあえず写真=キャプチャでお茶濁します、はい。

300(スリーハンドレッド)は殺戮の番号

2007-11-11 | 映画
300(スリーハンドレッド)

見ました。

作品的には買えませんね。

何というのか、人間はもはや映画のパーツに過ぎない、

CGキャラクターにいつでも置き換えられる、

そんなことを感じてしまいました。

いやいや、決して詰まらないわけではないのですが、

ここまで作りものだとね、

そんなことを感じてしまいました。

メジャー作品は実際見ておけばよいという感じで、

マイナー一途なわたしですしね。

チェリーは死神004? 特技は死のダンスとブリッジ!

2007-11-09 | 映画
「インフェルノ」でトラックバックしてくださった古居メイソンさんのBlog「映画細胞」で取り上げられていた「プラネット・テラーinグラインドハウス」(ロバート・ロドリゲス監督)。この作品の存在を寡聞にして知らなかったのですが、その設定の力強さに強烈に見たくなり、

日本語字幕なしもものかはで、あちら版DVDで見てしまいましたよ。

聴覚障害者用英語字幕をONにして、まあ、全部読めるわけでもないわけですが、台詞を理解する助けには充分になりましたし、本質的に「絵」で充分楽しめる内容でしたから、実に問題なく堪能いたしました。

「グラインドハウス」なる二番館にて上映される傷だらけのプログラム・ピクチャアという想定、中途でパーフォレーション(映画フィルムの横に空いている穴)が外れて空回りしたためにフィルムが燃えるとか、リール1巻紛失(と称し、大幅にストーリーに必要な段取りをすっ飛ばす)とか、フェイク予告編とか、いかにもなメタ・フィクションもよいのですが、

なんといっても登場する女性キャラの魅力に参りました。

スカートをたくし上げると、注射器のホルスターが大腿に……なんていう、とんでもない女医さんのダコタにも吹っ飛びましたが、

やはり主役のチェリーに惚れ込みました。

セクシーショウのダンサーで、ゾンビ(病気感染者=シッコ)に右足を奪われるのですが、そんなことにいつまでもくよくよしていないスーパーヒロインなのです。義足代わりに、ついには重火器を仕込み、迫り来る化け物どもを次々に薙ぎ倒します。

「マッドマックス」シリーズか、はたまた「ターミネーター」か、なラストもGoodですね。

見て損のない作品です。

うーん。クェンティン・タランティーノの「デス・プルーフ」の方も見てみましょうかね。

文芸という魔物が生み出したホラー

2007-11-01 | 映画
「インフェルノ」Inferno の字幕なしヴァージョンのレビューをしないうちに(VHS版以来未発売だった、待望の)日本語版DVDが発売となってしまい、しかも「レビューをしていない言い訳の回」にトラックバックまでもらってしまった。本当にお恥ずかしい限りだ。

しかも、状況は改まらず、辛うじて「作品を見る」時間が取れるかどうかなので、きちんとレビューする間がない。にも拘らず、因縁のような関連を感じさせる「マウス・オブ・マッドネス」In the mouth of madness (狂気の顎=あぎと=に囚われて)を、またまた数日に分けて見ていたりするのだ。

「マウス・オブ・マッドネス」はこんな話だ。

「スティーブン・キングをも上回る」というホラーのベストセラー作家サター・ケインが失踪する。辣腕を以って知られる保険調査員ジョン・トレントは、出版社からの保険金支払い要求に対してケインを探すと答える。恐るべき直感に導かれ、トレントと専属編集者リンダ・スタイルズはケイン作中の架空の街であるはずのホブズ・エンドに辿りつく。ケインの紡ぐ悪夢に、現実が浸食されていく……。

「インフェルノ」とはなんら関係ないように思えるだろうか?

こういう連想だ。

「レビューをしていない言い訳の回」にも書いたが、「インフェルノ」は「サスペリア」に始まる三人の魔女をモチーフにするシリーズだ。そして、そのイメージのもとはトマス・ド・クインシーの「深き淵よりの嘆息 (阿片常用者の告白続篇)」Suspiria de Profundis なのである。

そして、同じ「深き淵よりの嘆息」に刺激を受けて作られた小説がフリッツ・ライバーの「闇の聖母」Our Lady of Darknessだ。この作品のオチをばらす。H・P・ラブクラフトとも親交があり、クトゥルー神話作品も手がけていた作家クラーク・アシュトン・スミスの知り合いでもあったというう「ド・カストリーズ」という作家に付かず離れず従っていた謎の女性、その驚くべき正体が「書物(ブック)」だというのだ! 本という魔物の話である。

横道に逸れる。
ティボー・タカクスという映画監督がいる。その作品に「ハードカバー/黒衣の使者」HARDCOVER a.k.a I, MADMAN というのがある。 こんな話だ。やはり、ネタバレする。

本屋務めのメガネ美人ヴァージニアが読み進めるホラー「アイ,マッドマン」。ヴァージニアの身近にその登場人物である狂気の殺人科学者の影が見え隠れするようになる。遂にその殺人鬼に彼女が追い詰められた時、この狂気の科学者を憎む、これまたそのホラー作品の中に出てくる「怪物(ビースト)」が現れ、二者は彼女の目前で揉み合うようにして戦い始める。揉み合いながら、窓を破って外に飛び出した瞬間! 二者は本の頁となって風に吹き飛ばされていく……。

と、まあ、本は魔物であり、その内容が現実を蝕むというイメージにおいて、だから一脈通ずるような、通じないような。

どれもあらぬことを考えつつ、見たり読んだりするのにはよい作品ですよ、と勧めておきたい。変に合理的にぴたりと嵌った「絵柄」でないとだめだという堅い頭のひとには向かないと思うので、それだけはご注意を。

*ジョン・カーペンターでは、マスターズ・オブ・ホラーに参加した作品「世界の終り」Cigarette Burns が、またまたフィクションが現実を侵食する話である。そして、これは別の機会に語りたい「パラダイム」The Prince of darkness も、イマジネーションと世界の終わりに関する物語と言ってもよく、ラブクラフティアンだねぇと思えるのだ。

*ラブクラフトといえば、ルチオ・フルチの「地獄の門」(Paura nella città dei morti viventi) City of the living dead a.k.a. The Gates of Hell の舞台の街の名も、ダンウィッチだったりする。