ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

DVDやCDの時代でも、シリコンオーディオの時代でも……ドラマの中心は「TAPE(テープ)」

2006-08-17 | 映画
テープ(TAPE)」はよく出来た作品だった。

安モーテルの一室。馬鹿みたいに缶ビールを呷っては、その缶を捻り潰し、ゴミ箱に放り込んで悦にいっている男、ヴィンセント(イーサン・ホーク)。高校時代の友人ジョン(ロバート・ショーン・レナード)が訪ねてくる。

ジョンは駈け出しの映画監督で、明日から開催される映画祭で上映される作品を携え、この故郷の田舎町に戻ったのだった。そして同じく故郷を離れていた旧友のヴィンセントに呼び出されてこのモーテルを訪ねたのだった。

ジョンは生真面目な常識家タイプ。まだ、監督としての将来を約束されたわけではないが、映画祭での自作の上映に期待を抱いて、順風満帆という気分だ。一方のヴィンセントは表向きは消防団に属し、その実はヤクの売人として糊口をしのいでいる。ジョンはここでもそのことを叱るが、ヴィンセントはへらへらといい加減な態度で聞く耳を持たない。

それどころか「お前は昔から、そうやって真面目ぶっているが、なあ、あの時のことを正直に話せよ」と迫ってくる。高校卒業間際、ヴィンセントが別れたばかりの彼女エイミー(ユマ・サーマン)と、ジョンは付き合ったのである。そのエイミーと「あの夜に何をしたのか?」と、ヴィンセントは問うのである。

「何もないさ」「何もないわけがないだろう」「そりゃあ、まあ、お前が別れたばかりの彼女と付き合ったのは、悪かったかも知れない」「そんなことじゃない! お前、彼女に詫びた方がいいことをしたんじゃないか?」「何を。普通さ、普通だよ……」「普通って、なんだよ」「ああ、ああ。わかったよ。あの晩、彼女と寝たさ」「どんな風に」「わかるだろう。普通さ」「レイプか?」「合意だよ」「レイプだろう」…………こんな会話のやり取りの後、ジョンは「両手を押さえて突っ込んだのさ」と告白させられる。

それを、ヴィンセントは「テープ」に録音していた。そして、モーテルの部屋を三人目の人物エイミーが訪れる……。エイミーはこの街に今も住み続けており、地方検事であるという。

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この映画、実に登場人物はこの三名のみ。つまり、三人の役者の演技力と、リチャード・リンクレイター監督の演出力のみで出来上がっている。(もちろん、音響だって、美術だっているのだが、そういうことは意識の外に追い出してよいはずだ)。

舞台もモーテルの一室のみ。時々カットは割れるもののカットバックとかフラッシュバックとか、「時間」を前後させるテクニックは一切用いられていないし、クロス・フェードや暗転で時間を跳ばしたりも一切しないから、実質的には86分の上映時間が、イクォール劇中の時間経過である。

極めて「舞台的」であるのも当然、もとは「舞台劇」のシナリオに目を通したイーサン・ホークが惚れ込んでの映画化だという。

しかし、そういう作品でも変に「映画の文法」に色気を出して、先述したような手法を取りがちだが、この作品はあくまで閉塞的状況を登場人物と観客に強いるのである。

そこが、面白い!

そして「事実」とか「真実」とかにこだわっても仕方がない。ひとの心が如何に感じるか、あるいは「時」が事態をひとの中でどのように風化させ、あるいは歪曲しうるか、いくつかの解釈を許しながら、それでもこういうことはあるんだよなあと、思い切りうなずけるのではないかと思う。これがわたしの感想。

時間が許せば是非とも見るべし!