「小原庄」は往古の山梨市の中心地域であった?!
現山梨市の中心地として街には風情が残る・・・!
現小原西、小原東村付近にあったとされる荘園。
建治元年(1275)、10月以前に出された
関東評定事書(陽明文庫、本式目追加)に甲斐国
小原庄が諸人越訴停止を命令した際の事例として
掲げられている。・・・小原西の妙音寺は、安田
義定の館跡と伝える(甲斐国志)。安田氏の名字
の地と云われる安田郷は、八幡庄域内であるが、
当庄と八幡庄の関係は、判然としない。
八幡庄の中心になった「大井俣窪八幡神社の本殿」も現在も健在に・・・!
安田館が構えられたと云う小原西の現状は全く往古の勢いはないが・・・、
今も市役所や中心街に最も近い。小原東も隣接する清寂な宅地圏域である!
安田義定と大井俣窪八幡のゆかり検証資料:嘗てこの地を安田義定も崇敬?
2019年、山梨県の方は、なぜ「武田信玄」ばかりを崇敬する?!
と、隣の山梨市は、安田義定ゆかりの地ではないかと、学習に没頭し
たことがある。その時に作成した学習資料で恐縮ですが、添付した!
上記に添付した資料と、大井俣窪八幡の写真は、往時、取材したものですが、
改めて、「窪八幡神社」を再学習してみたい。
当時、知った当八幡の史料では、「大井俣窪八幡神社(通称:窪八幡)は、
貞観元年(859)に清和天皇の勅願により、宇佐八幡を勧請して以来、
1千年を超す歴史を有し、後世には、武田氏を始め甲斐源氏の崇敬を集めた
伝統ある神社。YS記:当時学習した記憶では、あの甲斐源氏”始祖新羅三郎
義光が、安田館のあったと云う現小原西地区にあった大井俣神社が度々水害に
合うので、窪に場所を移転して、創建したと云う由緒ある神社です。
注)武田家の始祖とされる新羅三郎義光は、現在山梨県内にある”源氏山”が、
山城であったと云う伝説を辿って、若い頃、登山したことがあるが、山上には
それらしきものはなく、現在も特に武田氏に関して物知りと言われた平山優氏
を訪ねたことはあるが、往時、殆どの学者の研究テーマであったらしく・・・、
「新羅三郎義光は、往時、甲斐国に居を構えたことはないと学んで以来、
武田家の始祖と云われる新羅三郎義光は、歴史上の人物で祀ることにした。
それ以来、新羅三郎義光は、創建を伝えている古刹もあるが、そのことは
伝えていない。伝説・伝承は証さない方が良いと思う一人でもある。