私は小説を読むことが好きなので、今までごく自然にその時々に出会った物語や小説を手に取り、面白い物語に没頭してきた。村上春樹氏の小説もその中の一つである。村上氏の作品は、散文とはいっても感性的な部分が大きくて、まるで、構成(プロット)を持った長い長い詩のようだと思うことがある。村上氏は講演文で、次のように述べている。
「私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。」
(私が小説を書く目的は)「個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てること」
これらの言葉を、私は自然に受け止めることができる。 小説は(文学は)、言葉の(共通認識としての)意味と同時に、言葉のイメージを喚起させる比喩という手法を織りなすことで、人の心に直接訴えかける世界を作ることができる。 目に見えない個々の内面に形を与えて、それを他者が「共有」することができる。文学だけでなく、音楽や絵画やすべての芸術はそういうものなのだろう。
ところで、村上氏の「エルサレム賞」講演文を読んだ。
村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演(2月15日)全文
(英語からの仮訳=47NEWS編集部) 2009/02/18 16:45 【共同通信】
村上氏は、ここで、個々の内なる世界を照らすための、その同じ手法で、外の世界の有り様を示す。小説家らしく。比喩を用いて。(以下、一部抜粋)
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。
そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?
この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
次に彼は、もっと踏み込んで、この「暗喩の解釈」を示す。 個人は「壊れやすい卵」とし、そして、壊れやすい私たち(卵)が直面するものは、「高く、堅固な壁」であると。
しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。
「高く堅固な壁」とは「システム」であると村上氏は言う。ではここで、「壁=システム」とは、何を指しているのか? ここで、「個」「人」と対比させながら提示されている「システム」とは、おそらく、「システム=組織、社会、共同体など」を指しているのだろうと思う。 村上氏は、「個」「人」に立ちはだかるもの、対立するもの、時に自己増殖し、人を傷つけるものとして、「高く堅固な壁」という言葉を使い、その言葉のイメージに、「システム=組織」という概念を重ね合わせる。壊れやすい卵のような「個」、それに対立する、堅くて冷たい壁「システム」と。
このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「組織」をつくったのです。
村上氏が言おうとしていることは、理解できる。というよりも、想像できる。 しかし、ここでは、未だ、「組織=システム」とは何かについて、その本質については語られていない。 「個々の存在」の対極のイメージとして、「壁=システム」というイメージが、掲げられているにすぎない。