主権回復の日 国際社会復帰の重み忘れまい
(4月29日付・読売社説)
日本が、サンフランシスコ講和条約の発効によって戦後の占領支配から解放されたのは、1952年4月28日だ。国際社会の責任ある一員になると誓った意義深い日である。
政府は61年後のこの日、主権回復と国際社会復帰を記念する式典を憲政記念館で開いた。
「これまでの足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたい」
そう語った安倍首相は、占領期を、「わが国の長い歴史で初めての、そして最も深い断絶であり、試練だった」と振り返った。
占領下では、閣僚人事も国の予算や法律も、連合国軍総司令部(GHQ)の意に反しては決められなかった。言論統制もあった。
こうした歴史が、国民の間で忘れ去られようとしている。主権を失う事態に至った経緯も含め、冷静に見つめ直すことが肝要だ。
内外に惨禍をもたらした昭和の戦争は、国際感覚を失った日本の指導者たちの手で始められた。敗戦と占領は、その結末である。
日本は主権回復後、国連に加盟し、高度成長を成し遂げて、今日の豊かで平和な社会を築いた。
だが、沖縄県・尖閣諸島沖での中国監視船の領海侵入や、韓国の竹島不法占拠、北方領土で進行する「ロシア」化など、領土・領海を巡る問題は今もなお、日本の主権を揺さぶっている。
今年の政府式典は、そんな主権の現状を考える節目となった。
一方、沖縄県宜野湾市では、政府式典に抗議する「屈辱の日」沖縄大会が県議会野党会派などの主催で開催された。
沖縄は、奄美、小笠原と共に講和条約発効と同時に日本から切り離され、米軍施政下に置かれた。かつて戦場となり、主権回復からも取り残され、米軍基地建設が進んだ。このため沖縄では4月28日は「屈辱の日」と呼ばれる。
しかし、日本が主権を回復したからこそ、米国と交渉し、沖縄返還を実現できたことも事実だ。
沖縄を軽視した式典でないことは言うまでもない。首相は式辞で「沖縄の人々が耐え忍ばざるを得なかった、戦中戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなさない」と沖縄にも言及した。
仲井真弘多沖縄県知事の代理で式典に出席した高良倉吉副知事は「首相は比較的、沖縄の問題に向き合って発言された」と語り、式典に一定の理解を示した。
沖縄の歴史も踏まえて、米軍基地問題の解決への道筋を考える機会にもしたい。